感動日記 四三三七 元気のない社会  令和五年二月二十四日(金) | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

元気とは基本になる心という意味ではないでしょうか。この心がなければ元気にはなれません。

昔の日本人には善かれ悪しかれ夢と希望があり元気があったように思うのです。毎朝ラジオ体操をやっていますが初めにラジオ体操の歌があります。その一番の歌詞は「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 青空仰げ ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に開けよ それ1 2 3」です。さてこの歌詞は今の社会にあっているでしょうか。クラーク博士の「少年よ大志を抱け」も、このような事を今、駅前で演説でもすれば精神病院に運ばれそうです。それ程、将来を悲観している世相になってしまっているのです。

日本では子供の出生率が激減し施策を政府が試みているようですが少しは効果が生まれるでしょうが将来に渡っての政策とはならないのではないでしょうか。その原因は国際的にもウクライナのロシアの侵略戦争、中国の覇権、北朝鮮のならず者国家の独裁政治による弊害、そして我が日本国の敗戦による大和魂の消滅政策により政治も経済も教育も全てが息苦しく空しく生き甲斐のない元気のない社会になってしまったのです。

政治家も名誉と金儲けに奔走し国民の幸せなどお構いなしの政治になってしまっています。政治家さん国民の幸せとは何ですか、そもそも人間としての究極の幸せとはなんですか、あなたの幸せとは何ですか、等の質問に対して明確に答えられる政治家が果たしているのだろうか。

現代社会は本音を語らない話さない社会のようです。昔の暮らしは家族がいて村があり人々は助け合って暮らしていました。春の田植えの時期になれば近所の人が数人手伝い、お互い様で田植えを行っていました。村民たちは共同体でした。お互いに心が通じ合う仲間であり村落家族のようでもありました。当然、優しさが溢れる共同体だったのです。

それが現代社会では経済至上主義、競争社会となり共同愛のない殺伐とした孤独な社会になってしまっています。このような社会から子供に夢を、などと話しても通用しない社会になってしまったのです。

日本においては自殺者の数は、本当は年間十一万人もいるようです。そのように暮らしにくく不幸せな国が我が日本国です。そのような社会を甦らせるにはどのようにすべきでしょうか。

 

この問題の解決方法のポイントは心の問題です。心が貧乏になれば自殺者が多くなるのです。国民全体が心の富裕者になれば自殺者が激減します。要は国民全体が心の支えを持つ事ではないでしょうか。それが元気の源です。

現在の教育において肝心な人間は何の為に生きるのか、幸せとは何なのか等の基本を教えてはならない教育になっているのです。人間の真の幸せとは何かを先生も親も知ろう、求めよう教えようともしない社会では当然、暗黒の末法社会になってしまいます。