感動日記 四三三六 足るを知る 令和五年二月二十三日(木) | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

「足るを知る」という言葉に何で足が出てくるのだろうか。もしかすると、あなたが当たり前だと思っている足がなかったならば今頃どうして生きているかを考えてみなさい、という言葉のようです。

足るを知るとは人間の原点を知る言葉のようです。この言葉こそが人間の心に刻ませておかなければならない大切な言葉のようです。

その意味は古代中国の思想家、老子の言葉だそうです。

「足るを知る者は富む」、つまり「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということだそうです。

人生においての究極の問いであり答えのようです。当たり前の反対は有難うという言葉だそうです。

足るを知るとはこの有難う、の言葉のようでもあります。

あり得ない命を戴いて生きているという事です。人間はこの事を分かる為に生まれてきたとも言えます。有難い有難いと思って一生、生きられたならどんなに幸せでしょうか。しかし人間にとってこの甦りは容易なことではありません。

それには己とは罪悪深重煩悩熾盛の極悪人の凡夫としての自覚しかないのではないでしょうか。人間至上主義的な思い上がりの生き方では幸せは決してやっては来ません。

煩悩即菩提・地獄即浄土がなんで即なのかが納得できずに皆、生きています。

食事において人は美味しい美味しいとステーキなどを食べています。他人に殺生させて自らの手を汚さずに食べています。本来は自分で殺処分しなければ食べる事は出来ないのです。その光景を想像しながら食べてみて下さい。そこが地獄で有る事が分かります。人は皆その地獄を生きているのです。しかし食欲という欲望を消し去る事は出来ません。そのように惨たらしい人間であったとしても、有ればこそ弥陀が必ず救ってあげましょう

それにはわたしの名前である南無阿弥陀仏というお念仏を称えてみてください地獄にいるあなたならこそ私、弥陀は必ず救ってあげましょう、と約束されておられるのです。それが「即」という意味ではないでしょうか。