感動日記 四三三五 生きるとは心を定めて行動する事 令和五年二月二十二日(水) | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

人生計画という言葉は最近、余り聞きません。

計画をしたとしても頓挫してしまうからなのでしょう。

何故、上手くいかないのかというと煩悩が邪魔してしまうからなのでしょう。

計画が緻密であればあるほど完成が可能です。

しかし肝心なのは心の方向性です。

心が定まっていなければ行き先不明な大洋に浮かぶ船のようなものです。

まずは宗とする教えを選び信じなければ大波や浅瀬の岩にぶつかってしまう事もあるでしょう。

その試練を乗り越えていかなければ到底目的地には到着しません。

心が定まったならば当然、実践しなければ生きている意味がありません。

しかしこの実践を始めるには自分が持つ業や煩悩に冬眠して戴くしかないのです。でなければ業や煩悩の悪魔が執拗にくっついてきて離れません。いわば己を甦らせなければ実践は出来ないのです。

幾ら理論が素晴らしくても単なる評論家で御臨終となるだけです。

宗教学者という人がいますが、そのような人には教えを仰ごうとは思いません。

宗教家でなければ余り意味のないのです。実践に当たっては勇気が必要です。

己を人間として生きて来た証を人生にぶつける勇気です。

昔、ある僧侶が貧しい国に出向き奉仕活動を徹底的にやっている人がいました。

その僧侶が座禅などやっていい気になっているな、死ぬか生きるかの瀬戸際の人が多くいるのだ。

そのような人を助けずして何が僧侶だ、というような本を読んだ事がありました。

そこまで到底行う事は並大抵の事ではありません。

しかし少しでも近づくべく生きるのが人生なのでしょう。

ある先生が人間の精神的な成長は七十五歳から始まると言っておられます。

わたしは七十六歳になりました。

生まれたばかりの一歳の赤ん坊です。

少しは成長したいものです。