感動日記 3581 大原問答 5 2/2(火) | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

我が家に明治時代の禅の巨匠である沢木興道の書があります。

その書には富士山を背に三保の松原を夫婦が二人して歩く姿が描かれています。

老師は結婚をすることなく坐禅一道で生きられた人です。

しかし描かれた書には夫婦の絵が描かれているとは老師の夢のようなものでもあったのではないでしょうか。

幾ら坐禅一道で生きたとしても煩悩には勝らないとの表現の書ではないでしょうか。

法然上人は親鸞とは異なり結婚もせず日本を代表する修行僧であったのではないでしょうか。

親鸞はその姿と温和な人柄に仏さまのような人だと思われたのではないでしょうか。

故に法然上人に騙されて地獄に堕ちたととしても後悔する事は微塵もない、との思いがあったのでしょう。

次の本題の設問は地蔵菩薩の化身といわれた天台宗の永弁が法然上人に質問しました。

天台宗が真実ですから、浄土仏教は方便の教えで、極楽へ往ってさとりを得るにも時間がかかるでしょう。

なぜ速やかに救われる真実の教えだというのです?

「真実というのは天台宗ばかりが真実ではありません。

お釈迦さまは、大無量寿経に真実を顕示す、と言われています。

また「必ず超絶して去ることを得て、安養国に往生す」と説かれていますから、速やかに救われる教えです。

たとえ臨終でも、聞く一つで苦悩の根元が断ち切られて浄土へ往けるのです。

天台宗が速やかに真実をさとるというのは、自力の修行が必要ですから、現実には誰もできません。他力の教えは、どんな人でも速やかに救われる道なのです」こうして永弁は二の句が継げなくなってしまいました。

3番目は、中国にまでその名が轟いている天台宗の智海の問いでした。

なぜ浄土宗では、生仏一如、 迷いの衆生も悟りの仏も別のものではないということを説かずに、 西方浄土の阿弥陀如来を拝まれるのですか?

法然上人は答えます。

「阿弥陀如来のお力によって苦悩の根元が断ち切られれば、生きているときに、仏心凡心一体、煩悩即菩提となります。

しかし天台宗では、修行をしなければ生仏一如のさとりは得られません。欲や怒りや愚痴の私たちですから、他力によって仏凡一体になるのです」

明快な答えに、智海は言葉を失ったそうです。