人間の心はコロコロと変わりやすいという。
一喜一憂という言葉があります。
一喜一憂とは、状況の変化などちょっとしたことで、喜んだり不安になったりすること。
また、まわりの状況にふりまわされることです。
人間とはいつ頃からそのような心の持ち主なのでしょうか。
「いづれの行もおよびがたき罪悪の凡夫でも、南無阿弥陀仏のお念仏を称えることによって救われ、極楽に往生できる」その経典の序分には、「王舎城の悲劇」と称される、親子の間で繰り広げられた悲劇の物語が説かれています。
このような大乗仏教の経典は1世紀から10世紀頃にかけて成立した初期大乗仏典で 紀元2世紀頃までの、龍樹以前に成立したと考えられているそうです。
今から2000年位も前に出来た経典が観無量寿経などの大乗仏教の経典です。
人間の心とは2000年も前から変わらないのです。
その観無量寿経に妙好人について語られています。
善導の『観無量寿経疏』散善義において、念仏者を「もしよく相続して念仏するものは、この人、はなはだ希有なりとなす、さらに物としてもつてこれに方ぶべきなし。
ゆゑに分陀利を引きて喩へとなすことを明かす。
「分陀利」といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。
この華相伝して蔡華と名づくるこれなり。
もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。」と賞賛されています。
昔から妙好人と呼べる人がおられたからこそのお言葉ではないでしょうか。