冬来たりなば春遠からじ、とは今は不幸な状況であっても、じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるという例えです。
寒く厳しい冬が来たということは、暖かい春が目の前まで来ているというという意味です。
イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節から言葉だそうです。
「来たりなば」は、、来たらばという意味で 「遠からじ」は、遠くはないだろうという意味です。
苦境を耐えぬけば、やがて幸せな時期を迎えられるから、今の辛い時期を耐え忍ぼうという意味なのです。
わたしの父親は忍という名前です。
この忍とはどのような意味なのでしょうか。
「忍」という字は「心」に「刃」が刺さっているという字です。
痛いはずですが、刺されている心は安定して、まったく動じない様子の事だそうです。
痛さを我慢するという「忍耐」ではなく、痛ささえも感じない、心が動揺しないことこそ、本当の「忍」の境地であり、古人がこの字で私たちに伝えたかったことのようです。
面白い話がありました。
「中国の安徽省九華山で大興和尚が修行していたときのことである。
ある日、突然お寺に大勢の人が押し寄せ、和尚を激しく殴り罵った。
実は山の麓の村で、地主の娘が結婚前に出産し、父親が激怒し「相手は誰だ」と問い詰めたところ、娘がとっさに「大興和尚」と答えたのだ。地主は村の人々を連れて、けりをつけに来たわけで、生まれたばかりの赤子も和尚に押し付けていった。
ほどなくして噂が広まり、かつて尊敬を集めていた和尚は、一気に罵りの的となってしまった。
しかし、赤子を育てるため和尚は毎日恥に耐え、ミルクと食べ物をもらいに村まで来ていた。
このように、日々の屈辱に耐えながら、赤子を育て上げた。
数年後のある日、突然お寺にまた地主達がやって来た。
和尚が笑って、「ずっとお待ちしておりました」と。実は地主の娘は、ある書生と密かに誓いを結び身ごもったが、父親には和尚の子だと偽った。
功なり名上げた書生が求婚に来て、娘はようやく真相を父親に告げた。
地主は和尚の許しを請うたが、「怒ったことがないのに、何を許せと?子供を連れて行きなさい」と静かに答えた。」