「へこたれる」とは江戸の俗語で「ヘコ」と「タレル」よりなる言葉だそうです。
ヘコは凹へこむと同義で弱体を意味します。
尚、凹むは「減りこむ」の短縮形だと言います。
この「こむ」は「磨きこむ、のめりこむ」など、ぎりぎりの状態に達するまで同じ動作をつきすすめることだそうです。
又、「タレル」は垂れるの意味でもあります。
すなわち凹むも垂れるも、高揚し、ピンと張りつめる状態の反対なので、弱気やマイナス状態を指すのです。
気力がなくなって動けなくなる。
へたばる。
気力がくじけ弱ってしまう。
つらくて中途でくじける。
だめだと思って元気をなくす。
まいって途中でほうりだす。
すわってしまう。
くたびれて腰をおろす。
ひどく腹が減る、などの意味です。
人生は、へこたれる、との闘い、自分との心の戦いとも言えるでしょう。
へこたれるとは精神的に気弱になった状態、つまり神経衰弱になり己れが無くなる自暴自棄的な精神状態の事です。
所謂、孤独になること事なのでしょう。
しかしその時、心の中に仏さまが同居していたならば、孤独にはならないのです。
自分の心の中ではなく他の所に仏さまがおられたならば気づく事が遅れ、仏さまとの縁が遠のくのです。
人とは仏縁を如何に引き付ける事が出来るかが一大事なのです。
いたらない自分であるからこそ仏さまが心配で心配で心の中へ飛び込んで下さるのです。
同行二人ではなく我仏同居となるのです。