演奏家の八木です。
今更ですが、「演奏」の「そう」は「奏でる」です。
ネットのギター動画なんかを見ていると、どうにも「争」になっている人も多いように思います。「アイツより速い」とか「俺の方が正確だ」とか「アイツの運指は間違っている」とか・・・腕自慢をしたりアラ探しをしたり。だいたいの傾向として、腕自慢をする人は「他人の曲」を弾いているし、アラ探しをする人は「口だけ」のやりもしない人。
みんなそれで良いのだろうか・・・と思う時がある。
やっぱり「演奏」なのだから「奏でてなんぼ」だろうと思う。
速く弾けるのもすごいし、運指まで完コピするのも偉いと思うけど、大事なのは「その曲で何を表現したいか」じゃないのかな?
伝えたい思いの込められていない「音の羅列」を聞かされても、一般のリスナーには何も届かないと思うんだよね(ギタリストには受けるんだろうけど)。この世には「ギターを弾かない人」の方が、圧倒的に多いんだよね。
思いを込めて奏でることに真剣に取り組んでいる演奏家がいることを、もっと多くの人に知ってほしいし、そういう人がもっと増えていってほしい。
だからといって「みんな僕のように弾け!」という訳ではないけど、速く・正確に・機械のような精度で弾く事ばかりを求めるのは、音楽に対して不誠実だと思うのです。
その曲に込められた「思い」を「演じ奏でる」ことが、演奏家の使命なのだと僕は強く思うのです。僕自身曲を書くこともするので、尚更そう思うのかもしれませんね。
奏でることで、思いを伝える。そんな演奏家でいたいと思うのです。
あ、僕の演奏が「走りがち」なのは癖なので、どうしようもありません。
今日は少し偉そうなことを書きました。それでも僕の想いが、少しでも届けばいいなぁ。
んぢゃまたっ!