精霊たちーはがき大ペン画 | ザーアートマンのブログ

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ペン画の展示。絵のサイズはハガキ大です。定年後書き溜めた絵画をできれば毎日一枚展示していきます。

 

 

ことばの物語

  ≪はじめとおわり始・終

 

始終(しじゅう)と終始(しゅうし)

始終というと「いつも」という意味ですが、始終となると

始めから終わりまで」という意味になりますね。「始め

から終わり」なのに「終」が先に来るのは漢語表示だそ

うです。死生観などもその部類ですかね。

終始一貫とは、始めから終わりまでずっと変わらな

いこと。

 

ーはじめ・シ

「女」に「台=農具のすきで、大地を掘り起こして柔ら

かにする」で、子供から思春期を迎える女らしい柔らか

さを迎えたはじめの意味。

納得できる解字とはいいがたいですね。

もう一つの字書によると、

「台=以てと同系で、人間がすきを持って口で物を言い

行為を起こす」で、女としての行為のおこり、つまり胎

児を孕むこと、転じて広く物事のはじめの意に用いる。

とちらも「すき」からはなれることはないですね。

どうも、母親の胎内に宿った生命の始まりからと、考

えた方がよさそうですね。

始めは処女の如く後脱兎のごとし

孫氏の兵法ですね。

はじめは静かにして鏑を油断させ、隙をついて一気に

攻撃を仕掛ける。

 

ーおわる・おえる・シュウ

」は編み糸の末端を結びとめた形で、「終」のも

との字。

冬が四季に用いられるようになって、糸の末端を示

す意味で糸偏を加えたもの。

季節の終わり、人生という四季の終わりでもあります。

一年で太陽を一周し、また同じところに戻る年の輪廻

であります。

仏教でいう生死を繰り返すことではありませんが、

一年を一生と考え輪廻の中にあると考えるのも面白

いかもね。

 

終末論

歴史には終わりがある。キリスト教では、終末を迎える

時、最後の審判があって、神の善が永遠の勝利を得る

という。

仏教には仏教が終末を迎える末法の思想があります。
釈迦が説いた正しい教えが世に行わる正法期、それ

が過ぎると教えは形だけとなる像法期、そしてついに

その形さえなくなる末法を迎える。

 

国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。泥棒

の始まりが石川五右衛門なら、助平の始まりが小平

の義雄・・・

                  (ふうてんの寅さんの口上)

 

終わりよければ全てよし 

            (シェイクスピアの戯曲の題)

 

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

死に死に死に死んで生の終わりに冥(くら)し 

              (秘蔵宝鑰・空海)

 

今日一日幸運でありますように 

 

2017.9掲載再考

 

                  誤字脱字ご容赦ください。

 

勉強の主な参考書

漢字源(学研) 漢語林(大修館書店) 成語林(Obunsha)
新明解語源辞典(三省堂) ことわざ辞典(Gakken)

字訓:白川静著(平凡社)

暮らしのなかの仏教語小辞典(ちくま学芸文庫)
新佛教辞典(誠信書房)

暮らしのことば 語源辞典(講談社)

講談社現代新書ー漢字の字源・漢字の知恵

漢字の用法ー角川小事典(武部良明著)

動物シンボル事典ー大修館書店/ジャン=ポール・クレベール

英米故事伝説辞典ー冨山書房

中国の故事と名言500選 (平凡社/駒田信二・常石茂編