こんにちは、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。
このテーマ、順序立てて喋ろうとすると、いつまで経っても本題に入れない感があり、鬱陶しいので、作戦を変えて、先に結論的なことを言ってしまいましょう!これまで4ヶ月かけて張ってきた伏線を一気に回収します!
7月頃に私が気づいたこと、というのは要するにこういうことです。
感情ストレスを0から10に数値化し、何らかの調整法(レイキ、般若心経、キネシオロジーなどなんでもよし)でその数値をゼロにまで持っていいくことで、二元性を離れた「まんなか」の境地を体験して頂く
というようにセラピーを設計していたのですが、これは、おそらく間違っていた。
0から10に数値化してゼロに持っていく、というのは、EFTでも採用されていますし、キネシオロジーでもよく使われます。病院でも、痛みの評価には同じような方法が用いられます。ですので、これ自体は一般的なアプローチです。
この数値ゼロの意味が大事だと考えています。
エモーションフリー(という稲垣正信さんのセラピー)では数値ゼロまで持っていくこと(途中でやめないこと)を重視している、というのを知って、私はこの方針を採用しました。もともと、田仲真治さんのブレインアップデートの方法ではないんです。
ゼロまで持っていけばその感情ストレスは戻ってこない、ということが言われており、自分で試してもその通りだったので採用したのですが、
数値ゼロ=二元性を超えた境地、だからもう感情ストレスは戻ってこない
という、当時の私の理解の仕方はおそらく間違っていました。
今の私の理解では、感情ストレスがゼロという状態には二種類を区別できる、と考えています。
その二種類とは
- 二元性の軸が消失し、感情ストレスもゼロという状態
- 二元性の軸は残ったままで、感情ストレスがゼロという状態
と考えております。
ヴェン図で整理するとこういうイメージです。青の丸の中は感情ストレス0ですが、その中に、軸が消えた場合のオレンジの円と、その外側でまだ軸が残っている領域とが区別される。
1のほうは、私自身が体験した「まんなか」の状態です。それまで二元性の軸に沿って分離されていたエネルギーの再統合が起こり、深いレベルでの癒やしが起こり、人生の変化を体験します。
こういう物差しで善し悪しを判断して
こんな風に二元性の極性を感じていたのが、
いわば、これが
こんな風になることによって、
物差しそのものが消えてしまった!
というような状態です。
もう物差しがないので、以前と同じように善悪を判断するということすら難しい。ということは人生変わったということでもあります。
これに対して、2のほうは、似て非なるもの、ではないかと思っています。たしかに、扱ったテーマそのものについては感情ストレス反応が出ない、すなわち数値ゼロなのですが、その人がもともと持っていた善悪の基準、価値観の物差しのような、二元性の軸はそのまま温存されている状態があり得るのではないかと。
物差しがが残っているので、しばらくすると、全く前と同じ、ではないかもしれませんが、共通の物差しの上で善し悪しが測れるような、ちょっと違うとはいえ、よ〜く似たような問題がまた出てくる。
それをテクニックを使ってストレスゼロまで持っていく。
それでもまだ物差しそのものは手つかずで残っているで、しばらくするとまたこの同じ軸上に、別のお題を作りたくなってくる。
イメージとしては、表面的に出てくるお題を敵キャラとして倒そうとするのですが、そしてその都度倒しているのですが、なんか倒せば倒すほどいっぱい出てくるな〜、みたいな。対症療法的でもあり、まさにこの第2ステージの図に書かているようなイメージ。
表面的に出てくる個々のお題をきっかけとして、その背後にある、より大きなレベルでの二元性の軸という物差し、こちらのほうが実は「ボスキャラ」であって、でもボスキャラというよりは、むしろ「ゲーム空間の軸」みたいなものです。上の図で言えば、ノコノコとかクリボーとかパタパタが跳梁跋扈するようなゲーム空間、ステージ、面があるからこそ、彼らが跳梁跋扈するわけです。
これを倒す、というか、陰と陽の統合によって、「面ごと消してしまう」ようなイメージでしょうか。面が無くなってしまえば、ゲームとしては意味なくなりますが、(だから任天堂はそんな裏技を設定しないでしょうが)ノコノコはもう出てきませんね。
簡単に言えば、
消すべきは感情ストレスではなくて、
その感情ストレスの発生をそもそも許している軸
のほうだった、
ということです。
感情ストレスの数値ゼロを目指してセッションすれば、ゼロにまではたしかに持っていけるのですが(世間の常識的にはこれだけでも驚異的ですが、セラピーやってみると皆さんにも分かります)、このときのストレスゼロの状態の体験が、どうも私が皆さんにもぜひ体験してほしい、とずっと思っていたものと、質的に違うのではないかという違和感がありました。
また、この夏にかけて自分自身でも、従来の方針で感情解放をやっていて、「ん?これは解放したと思ったんだけど、また似たようなのが戻ってきたな、おかしいな」という違和感を覚えました。
たとえば、山の一部だけ穴ぼこが開いたような状態で、そのすぐ周辺にはまだ爆弾が残っているような状態に至った例がありますが、この例の場合、セッションで扱ったお題そのものについてはたしかに反応しなくなっているのですが、その周辺までを含めた、善悪の判断軸はおそらくそのままだったんではないか、ということです。
では、どうやって、この二種類の感情ストレスゼロ状態を区別したらよいのでしょうか。
筋肉反射テストを使って、軸の存在を調べる、というようなことも可能ですが、この夏に治療院マーケティング研究所から期間限定で発売された田仲真治さんのDVDセットの、本編DVDではなく、付録の、しかもおしまいのほうに、大きな、大きなヒントがありました。
この付録DVDでは、治療院マーケティング研究所のスタッフの青年に対して、田仲真治さんが普通に個人セッションを行って、その後でそれを本人が解説するという贅沢な内容でした。
その一番終わりのほうに、収録スタッフの方が質問します。この質問がまず秀逸でした。個人セッションの目指すゴールについて。
理想的なゴールっていうのは、どういう状態になったら、OKというのは(何でしょうか)?
このやりとりの部分はアドリブだったと聞きましたが、この質問に対して真治さんが即答します。つまり、常日頃からそのことをじっくり考えて、この答えを既にお持ちだったのでしょう。
本当に、理想的なゴールって何かと言ったらね、過去を書き換えたいっていうことを、....
「もしタイムマシンがあるとしたら、過去に行ってもう一回書き直したいですか?」
って言ったときに、もし今起きていることすべてがパーフェクトだ、っていうことが分かったならば、
「いや、もう過去に行ったとしても、このままで大丈夫ですよ。あの時起きたことは、あれで完璧でした。」
ってなったらば、
(中略)
あの経験っていうのは今の自分を作り、これからの未来の自分を作るんだ、っていうところまで本当に思えたら、もう一度タイムマシンで行ったとしても、その事が起きるのをこの辺で(物陰に隠れて)ちゃんと見守っていると。
で、その中でああ失敗した、後悔したっていういろんなプロセスを経ながらも、その結果すごい成長していくことができました、っていうこの物語を、ちゃんとここで(物陰から)見守ることができるか。
そしたら(映画のカチンコを鳴らしながら)
「カーット!OK!って言って全部にOKが出る」
私はこれをタイムマシン質問と命名したいと思います。
実際に、この直後、セッションを受けた青年に「今、どうですか?この経験っていうのは、あんなことさえ無ければよかったのに、っていうような感じありますか?」と聞きますが、「全く思わないです」と青年が即答します。
私はこの部分のやりとりを見れただけでこのDVDシリーズには価値がある、と思い、こちらのブログでも非力ながら宣伝に協力させて頂きました。
良い映画と悪い映画の見分け方、というのである人がこう話してくれたことがあります。良い映画というのは、翌日になってもまだその映画のことを考えているような映画だと。このDVDは映画ではありませんが、まさにそんな感じで心が揺さぶられました。
タイムマシンで過去の最悪の場面に戻ったときに、それに介入せずに、微笑みながらその一部始終を見守っている、すなわち、過去を変えたいと思わない、というのが、陰と陽の統合によって、巨大な二元性の軸をまるごと消したときの境地です。
2018年にBUオンラインコーチングで深い解放を体験したときにも、家族との別離という「最悪」の事態が、完璧だと思えたので、もうその出来事を変えたいという気持ちは全くありませんでした。もちろん今でも同じです。
それよりも10年以上前のことですが、私は別の地獄を体験しておりました。そのときは「鏡の法則」という本を読んでいて、憎い上司に対して「ありがとう」を電車の中で40分ほど繰り返したら、電車から降りたときにまったく違うエネルギーに変わっており、その上司との血みどろの数年間の地獄体験をできることならば変えてみたいという気持ちは完全に消えて、ただ彼との出会いへの感謝だけが残りました。
こういうときには、扱ったお題そのものについてはストレスを感じないが、その出来事自体は無ければよかったのにとまだ思っている、つまり感情の爆弾の山に穴ぼこを開けた、というような感じではなく
そもそも爆弾の山自体が消失しています。
また、この干渉せずに、ほほえみながら見守っている、という視点は、ハイヤーセルフの視点に近い、とも言えるでしょう。目指すべきはここなのだ、ということがはっきりしました。
覚えておいででしょうか、ハイヤーセルフとの対話シリーズで、ハイヤーセルフの言っている意味が分からなかったという回がありました。
ハイヤーセルフ
まあ、その感情の種類に、あなたはポジティブ、ネガティブと部類分けしました。
絶學無憂
しました。
ハイヤーセルフ
感情にはそういった、YES、NOで答えられるようなものではありません、ということですね。どちらにもなりうるということですよ。
これですね。
これも、感情ストレスを体験している最中に、第2ステージから見ていれば、感情にはポジティブ・ネガティブがあって〜、という見方が絶対的です。
ですが、もし第3ステージから見るならば、すなわち、もう二元性の軸が消えた後で、「起こったことのうち、何がポジティブで何がネガティブですか?」と聞かれても、「いや〜、どれも完璧なんで答えようがないですね」となります。
「家族との別離はネガティブでしたか?」そうは、思いません。
「家族との別離で鬱を体験しましたがそれはネガティブだったと思いますか?」そのときネガティブなエネルギー状態を体験したとは思いますよ、でもそういう体験をしたことはネガティブとか決められないですね。
こんな感じです。
やっぱりハイヤーセルフの視点というのは、つくづく二元性を超えて、ぶっ飛んでいるのですね。
それでは、セラピストとしてはどのようにして、この境地を目指せばよいのでしょう。
感情解放のテクニックの部分には秘密はない、と言っても過言ではないでしょう。
なにせ、昔の例では、ただありがとうを連呼するだけでも、この境地を体験したわけですから、テクニックなどと呼べたものではありません。使うのが音叉であれ、レイキであれ、他の何であれ、そこはポイントではありません。全く同じテクニックを使って、軸を残したまま感情ストレス0に持っていくことも、軸ごと消してしまうこともできるはずだ、ということです。
大事なことは目指すべきゴールを明確にすることだと思います。「エネルギーは意図に従う」と言いますから。
初めから、感情ストレスを0にすると設定した時点で、ある意味失敗しています。そこが目指すところではないのですから。ですので、セラピストの前提意識や世界観が鍵だと思います。
それよりも、陰と陽を両方見ることで、すべて起きていることは完璧だという理解を得ることをゴールにする。
あるいは、タイムマシンで過去に戻っても微笑んで見守るだけという境地をゴールにする。
これらのゴールが達成されたときには感情ストレスはゼロになっています。一方で、感情ストレスがゼロになったとしても、これらのゴールが達成されていない状態というのはいくらでもあり得るということです。
今回はここまでとしますが、皆様、いかがお感じになられましたでしょうか。
いやはや、これだけのことを言うのに、4ヶ月もかかってしまいましたが、やっと吐き出すことができて、ちょっとホッとしています。これまで辛抱して待っていただいた方、ありがとうございました〜。
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