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こんにちは、絶學無憂です。

 

ハイヤーセルフとの対話、のシリーズでは、Universound の AYANOさんのチャネリングによる、私のハイヤーセルフとの対話の様子を文字起こしして書いています。

 

前回はハイヤーセルフって結局誰?っていうことを聞いてみたのですが、その続きで、今回は前からずっと興味のあるこの質問から。

 

単純な YES/NO 質問で、「引き寄せの法則」のエイブラハムや、バシャールがよく話していることなので、かる〜く YES が返ってくるだろうと予想して聞いてみたのですが.......

 

 

絶學無憂

 

えーっと、後ですね、感情。ポジティブな感情はハイヤーセルフと一致しているとき、ネガティブな感情はズレが大きいとき、っていう理解はそれでいいよ、っていう感じですか?

 

ハイヤーセルフ

でも、ご存知じゃないでしょうか。そんなにものごと単純じゃないんですよ。

いいよ、いいよ、気持ちいいよ、気持ちいいよ、それだけですべて丸く収まらないくらいもっともっと深いテーマがあったりするわけです。

ともかく、自分の葛藤や苦しみからしか、自分の本質にたどり着けないくらい深いテーマというのがあるんですよ。

ということは、それが例えば、苦しみや、悲しみや、葛藤といったものを、あなたがたはネガティブだと部類分けしますが、私達からすると感情の種類にしか過ぎないです。別にそれ自体にポジティブやネガティブがあるとは思えませんよね。

 

絶學無憂

うーん。

(沈黙)

なるほど。

YES, NO質問だと思ってたんですけど、これはどっちなんだろうな、って思っちゃったんですけど(笑)。

 

はいそうですよ、っていう返事を期待していたら、だいぶ違うのが返ってきたので面食らっていて、混乱しています。

 

ハイヤーセルフ

まあ、その感情の種類に、あなたはポジティブ、ネガティブと部類分けしました。

 

絶學無憂

しました。

 

ハイヤーセルフ

感情にはそういった、YES、NOで答えられるようなものではありません、ということですね。どちらにもなりうるということですよ。

 

絶學無憂

なるほど、ふんふん。

(沈黙....)

うーん、と言われるとちょっと、.... なんだろうな、難しいですね。

 

なんとかごまかそうとしていますが、おいおい、これは一体どういうことじゃ〜???と私の頭の中が混乱しています。

 

ハイヤーセルフ

じゃあ、ひとつこんなエピソードをお伝えしましょう。

先程、あなたは何を望みますか、といったそのテーマと関わる話なんですけれども。

とある人は、ともかく自分がくつろいでいること、それが何より大事、それ以外のことにはまったく気を止めない、ということを決めていれば、いつの瞬間も自分の心地よいことだけを選び続けます。

ということは、感情がつねにポジティブです。ということは、あなたがたが認知している「ネガティブ」な要素が上がってきたとき、「ああ、自分はズレているな」と感じるかもしれません。

では、別のケース。他の方は、何か試練があって、努力をして、そして苦しみもがいた後に、素晴らしい自己成長があると設定さえしていれば、すべての成長のために苦しみと葛藤を自分の中に持って現実化させます。

ということは、その人にとって、それは決してネガティブじゃないかもしれません。

どうですか?ボーダーは曖昧です。いわゆるその方が何を望んでいるか、現実にその望んだものを反映させ、それを通してどうなって行きたいか、までしっかり自分が創り出しちゃっているんですよ。

 

絶學無憂

うーん。うーん、なるほど。そうかー。

(沈黙 .....)

うーん、はい、ありがとうございます。

また例によってもっといろいろ聞きたいことがあったんですが、もういいや、っていう気になりました。

 

これ、不思議なんですが、おい、それは一体どういうことじゃい、と通常であれば突っ込みたくなるような箇所なのですが、なぜかこの対話ではそれが難しい。

 

バシャールの対談本を読んでいて、インタビュワー側が「そうですか、わかりました」とか言って、用意しておいた次の質問にすぐ移ってしまうというパターンが目立ちます。ひとつひとつのバシャールの発言を掘り下げる、ということができていなくて、対話がとても浅い(=物足りない)、と感じることが多いのです。ですが、自分で似たような状況を体験してみて、もしかしたらそのように畳み掛けるように質問するのが異様に難しいという特別な事情があるのかもしれない、と思うようになりました。

 

ハイヤーセルフなり、バシャールなり、の発する高い波動の影響、ということになるのでしょうが、どうもそういう通常の左脳的な批判的思考が沈静化してしまって、あまり質問が出てこないのです。そんな印象を持っています。

 

 

状態としては、感情ストレスを8の字テクニックで解消するときの様子に似ていますね。

 

これはみなさんも簡単に実験できます。

 

自分に向けて8の字を書くのは難しいので、手のひらの上にミニチュアの自分がいると設定して、その自分に向けて横8の字(無限大マーク )を指でグルグルと描きながら、ネガティブなことを思い出してみてください。思考をその記憶に集中させるのが非常に難しいと思います。

 

 

 

 

その記憶を浮上させようと思ったら、意識をそこに集中させる必要がありますが、そうやって記憶を捕まえたと思っても、砂場の砂が指の間からサラサラと散っていくように、その感情が散り散りになってしまいます。記憶が消えるのとか、完全に忘れたというのとは違いますが、非常に遠い場所で、ずっと昔に起こった他人事のような、そんな感じになります。自分の体験だか、新聞記事で読んだ話なのか、曖昧なような感じです。

 

これが起こるときに脳内で何が起こっているのかとかとても気になりますね。

 

 

この現象に似たような感じで、本来であれば、

 

絶學無憂

おいおい、感情にポジティブもネガティブもない、と言っても、ネガティブ感情、ポジティブ感情はあるだろう。

そのネガティブ感情がその人にとってネガティブ体験と言えるかどうかは、たしかにその人の生き方とかゴール設定によるかもしれないが、感情にポジティブ、ネガティブの区別があるっていうことは、エイブラハムやバシャールでさえ、普通に認めている話だぞ。その感情によって波動の高い低いの差が生じて、それが引き寄せの焦点として働くという話だろう。

そもそも感情にポジティブもネガティブもない、と言ってしまったら、波動の高い低いもない、ということになるぞ。

 

っていうような反論をすべきところだったのですが、言葉が出てこなくてあえなく降参しました。不甲斐ない。

 

何か聞き落としたのかなと思って録音を聞き直したりしましたが、文字起こししてもハイヤーセルフの発言内容は明らかですね。

 

そしてこれは意味がまるで通らない。

 

これまで自分の学んできたこと、また自分の体験とも合わない。

 

ある感情体験をネガティブな出来事ととらえるかポジティブな出来事ととらえるか、というのであれば、そんな区別はもともと無い、という話は十分理解できますよ。一見ネガティブ感情を体験していてもそれがポジティブな意味を持ち得る、そりゃあそうでしょう。

 

しかし、そもそも感情体験にネガティブ、ポジティブという質の違いは無いと言われても、体験と合わないですね。怒り、憎しみ、悲しみ、罪悪感、恐怖、はやはりいずれもネガティブな感情でしょう。愛、喜び、共感、というのはポジティブな感情でしょう。違いますか?

 

この話は意味不明のメッセージとして、処理されることになりました。このときハイヤーセルフはもしかして私の質問の主旨を取り違えたのではないか?それにしても答えはかなり明瞭で疑問の余地がないが。ふーむ。

 

これは7月上旬頃の話なのですが、その後、間もなくして、このときのハイヤーセルフの意味不明のメッセージがヒントのひとつとなり、ずっと引っかかっていた謎、つまり私がブログで伝えようと思った一番の内容である、この「まんなか」とは何なのか、ということについて、一気に理解が深まるということがありました。

 

ということを7月上旬にブログでちょろっと書いた気がしますが、いやあー、それから随分引っ張っているな。

 

時間的、体力的に、ブログ書くのがちょっとしんどいので更新ペースが遅くなってしまい、結果的に読者の皆さんを何ヶ月も待ちぼうけにしてしまってますね。すんません。

 

ですが、10月中にはこの話の本題に入っていけるでしょう。気長にお待ちあれ〜。

 

 

 

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