最初から読む)

 

こんにちは、絶學無憂です。

 

このシリーズの前回の記事では別のテーマ、「仕事が煮詰まってます」について、Universound の AYANOさんのチャネリングによる

ハイヤーくんとのやり取り(4月)を紹介させていただきました。

 

「ポッと上がってくるもの」を待ちなさい、という、いかにもハイヤーセルフ臭いアドバイス。

 

「ポッと上がってくる」ものはまだ見つけられたわけではないので、給料ドロボーをもっと満喫せよということらしく、この話にはまだ落ちがないのです

 

と書いたのですが、実はこの記事をアップしたその同じ日のほんの数時間後に、なんと2つもポッと上がってきてしまい、むしろ大変狼狽しています。

 

うわっ、そう来たか、っていう。

 

あのタイミングであの記事をアップしたのは、二回目のハイヤーセルフとのチャネリング対談を申し込んだので、それまでに間に合わせて整理しておこうと思ったのですが、意外な展開を見せました。いやはや。

 

そして、今回の記事は二回目のハイヤーセルフとの対談(7月頭)。今回もまた刺激的なメッセージが降りてきました。これが自分の中から、っていうのが、まだ慣れていなくて、どう捉えたものだか私の中でも定まっていませんね。また、今回は声の印象が、前回の、高校生風の雰囲気よりもだいぶ落ち着いていて歳が行っているように感じました。これは何でしょうね、氣のせいかな。

 

というわけで、ハイヤーくん、改め、ハイヤーさんにしようかと思いましたが、冒頭にありますように、私の中に芽生えつつあったハイヤーセルフ崇拝的な傾向に対してすかさず牽制球を投げて来ましたので、また、自分に「さん」付けするのも日本語の慣習に反しますし、いっそ、呼び捨てでただのハイヤーセルフ、もしくはハイヤーで行ってみましょうか。ハイヤーセルフってなんだそれ、っていう人はこのシリーズの最初を見てください。

 

相談では、歯周病についてハイヤーセルフから渡された鍵を頼りにナゾナゾを解いたつもりではありますが、まだ釈然としない部分が残っていたので、その疑問をぶつけることにしてみました。

 

自分の得た気づき、すなわち、「自分の自由を、バーチャルリアリティ(私達が現実と呼ぶもの)よりも上に設定してしまえ」というのは所詮「屁理屈」じゃないんですか?この新しい自由の捉え方を手にしつつ、なお広い世の中のどこかにまだあるかもしれない歯周病治癒の奇跡を探し求めるというオプションはないのか?

 

一体、どんな答えが返ってきたのでしょうか。

 

 

ハイヤーセルフ

こんにちは、と、おはようございます、ですね。

もちろん感じていますよ、あなたの内なる静かな情熱というか、興奮だったり、期待だったり、そういったものを、私も同時に感じることがありますけれども、もうあなただって理解されている通り、ハイヤーセルフというのはあなたの意識の一部ですから、そんなに特別感を持って私と対話をしようなんて、そんなことすら必要無いんですよ

 

絶學無憂

うーん。

 

ハイヤー

自分の独り言をなんだかおかしな形で現実化している、そのぐらいのラフさを持ってやってください。なぜなら、必要以上の期待感や、求めすぎている、いわゆる幻想ばかりが膨らんでいる状態だと、目の前にある大切なポイントを見過ごしがちです。

どうぞリラックスして、そしていつもと変わらないあなたの平常心をもとに会話を進めて参りましょう。

 

無憂

はい。

なんかのっけから、すごく面白いというか、興味深いお話をありがとうございます。

 

このチャネリングセッションを前からかなり楽しみにしていたのですが、出だしからその興奮を見透かされて、窘(たしな)められました。そんな特別なものだと思うなかれ、と。独り言みたいなもんだぜと。

 

無憂

えーと、やはり、話の中心は、前回一つ鍵を頂きましたけど、前回から三ヶ月くらい経つ間に(症状が)ちょっと進行して一本歯を失ってしまいましたけど、こういう感じで進行中なんで、また、前回、まだまだ浅い、って言われたこともあって、もうちょっとこう自分なりにもっと理解したいなという気持ちがあるんですれども。

えーと、こないだのときに、すごく不自由を感じているんですが、ということを言ったときに、どんなバーチャルリアリティの現実が有っても自由、っていう態度があるんですよー、ていうことを言われて、「はー、それはどういう意味なんだろう」って考えた結果、一応「こういうことかな?」っていう感触を得て。

実際その通りに、観念の手放しとかやってみたところ、相当状態が悪いにも関わらず、なぜかそれに対して不自由には感じてない、っていうすごい不思議な状態になったんですけど、

なんかまだこう、自分の頭の中では、これってなんかこう自分を騙しているだけじゃないかとか、何ていうんですかね、あのう、気のせい、ではないなあ、何ていうんだろう、.... 屁理屈ですね。なんかこう、屁理屈でごまかしているだけじゃないか。

ただまあリアルに感じる違いとしては、肉体的にはかなりきついなっ、ていうような状態にも関わらず、なにかその、自分が不自由だっていう思いにはなっていない、っていう、なんかそういう、感覚があって、なんか軽くなったなっていう感じはあるんですけど。

えー、どうなんでしょう、これは。方向性はだいたい良いんでしょうか。

 

どうですか、いつも理路整然としたハイヤーセルフに対して、この私のシドロモドロな言葉。文字起こしすると読みにくいですね。ま、しょうがない、だって、にんげんだもの。

 

ハイヤー

あなた自身がですね、感じていることに種類がいろいろあるわけですね。感情であったりとか、体感覚であったり、まあ、感じることにも種類があるわけですね。そしてそれを、感じたまま感じているということは、あなたがたの状態では難しいです。やはり、感じたことを理解して認識するという思考が働いて初めて、実体を伴っている心のゆらぎとして捉えることができるわけですね。

ということは、感じることを感じたままに、それが例え感情であろうが、肉体の感覚であろうが、思考で理解する時にやはり性質が違うわけですから、多少の葛藤や、そういった折り合いのつかなさというのはあるでしょう。

さて、話をあなたの肉体と言うか、歯のテーマにしっかりピントを合わせましょう。

今日はまた新たな視点をあなたをシェアしたいです。

あなたがた、人、ま、三次元と言われているこの地上にいる限りは、物質的存在としてある程度の制限がかかった状態にあります。それは、いわゆるライトボディのように、空間を(猛?)移動したりとか、時間の制限がないとか、そういったことがやはり不可能ですね。もちろん、不可能、100%ではないですよ。ですが、おおかた不可能と言ってもまあ語弊がないでしょう。

そういった上でですね、スピリチュアルな視点をどうその物質状態で、反映させて、折り合いがついた現実感を伴った生き方をすることがやはりポイントになってくるわけです。

さあ、それが一番、こう哲学的というか、思想的と感じられるかもしれませんが、例えば、片手を失ったとしましょう。物質的な側面で見れば損失です。そしてあなたがたの生活に置いては、左手がなければ、ある程度二本の腕よりは行動やいろいろな体験に制限がかかるかもしれません。

ですが、その状態自体が不自由なんでしょうか。いわゆる、制限がかかっている=そのまま100%不自由なのだろうか、と私はお聞きしたいです。

二本の足があればどこへでも歩いて行けますし、腕がないことによって、自分の片腕になってくれるような存在と出会うハードルが下がる、そんな可能性も生み出します。

もっと言えば、あちこちに不満足な状態があろうが、思考が健全な状態で、心地よく生きていく、心地いい自分の瞬間を毎瞬選択する、という思考を使うことだってできますよ。

 

無憂

たしかに。

ハイヤー

さあ、私の今お話した内容について、どう思われますか?

 

ここは小学校の先生のような、噛んで含めるような口調です。

無憂

うんうん、まさに、そういうことを、まあ自分同士の会話だからっていえばまあそうかもしれないですけれど、あのお見通しなのかもしれないですけど、まさにそういうことを、考えてましたね。

うーん、なるほど、なるほど。

なんかあのー、同じ話をしてるような感じで思われるかもしれないですけど、そういう理解というか気づきがある一方で、まだやっぱりこう、たとえば今の場合だと歯、さっきのたとえ話だと腕、がどうかなったっていう時に、なんていうんですかあのー、たまたまいろいろその、普通の医学ではないような知識も得てしまったので、もうちょっとできることがあるんじゃないかっていう方向からも考えてしまうんですよね。

その辺がなんかすごくどういうんでしょう、難しいなあと思うのは、たとえば、あのー、歯周病じゃなくてたとえば癌だとして、なんか死期が何ヶ月ですよ、とか言われたとして、まあやっぱりショックは受けるだろうなと思うんですけど、心のバランスをまず立て直そうとかいうようなことを考えて、でまあ、なんだろうか、その肉体は失うかもしれないけど、それでも心の自由って残っているよな、みたいな境地に達するような気もするんですよね。

じゃ、そのときに死んでいく肉体を放ったらかしにしていいのかというと、なんかそれも違うような気もするわけですよ。なんでしょう、代替医療とかなんとか、まだ自分の知らない世界に何かそのそれをどうにかする方法があるんじゃないないか、っていうことも考えちゃうんですよね。

そのあたりのなんか、何でしょうね、何て言ったらいいんだろう。まあ、これって結構あの、一般的な問題な気もするんです。肉体を持っていて何かこう制限がかかった時に、ええー、一方ではそういう心の自由っていうのを掴んでいくていうのがある一方で、その肉体面をどうにかしたいという思いですよね。これにどう向き合っていく、どう折り合いをつけていくのがいいんでしょうか、というのをちょっと教えていただきたいんですけれども。

ハイヤー

そうですね、あなたにとってはまあ日常茶飯事かもしれませんが、そういった思考ですね、考えるというものがオーバーエネルギーの状態ですね。そういったあなたにはあえてこう申し上げましょう。

あなたは何を望んでいるんですかということですね。あなたが自分らしくあれるには一番必要なのはなんですかとお聞きしたいですね。

まあ、これは今すぐ答えられなくてもいいですが、あなたはハートで今すぐ感じているひとつの答え、この瞬間の答えがあるはずです。

では、私もあなたのハイヤーらしくしっかりレクチャーしていきましょう。

無憂

(笑)

 

 

(つづく)

 

 

  • 私、絶學無憂は、テキストチャットと遠隔レイキによる手軽な感情解放セッションをココナラで受け付けています。
  • Zoomを使った、本当に使えるレイキのオンライン個人講座も開いております。ココナラでのセッションでやっているのと同じ技術を伝授いたします。zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com までもしくは Facebook でご相談ください。
  • その他、込み入ったご相談がおありの方は、Zoomでのオンライン個人セッションも受け付けていますので、zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com まで、もしくは Facebook でご相談ください。