前回からの続き)

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こんにちは、まんなかを生きる科学者の絶學無憂です。AYANOさんのチャネリングによって可能となった、ハイヤーセルフとの初めての直接会話の第七回です。たった15分の会話の内容を数週間に渡って7回も取り上げるという、経済効率の良さ。

 

そろそろまたハイヤーくんと会って聞きたいことがいろいろ出てきました。

 

 

私のハイヤーセルフのハイヤーくんから、鍵を渡されまして(おお、これって The OA で主人公のプレイリー・ジョンソンが臨死体験中にガイドから movements を伝授されたのにちょっと似てるじゃないか)、それから一週間くらい、この鍵はどうやって使うんだろうといろいろ考えた挙げ句、私の出した答えは、

 

  1. バーチャルリアリティ(いわゆる現実世界)の現象
  2. 自由

というデフォルト設定になっている物事の優先順位を、

  1. 自由
  2. バーチャルリアリティ(いわゆる現実世界)の現象

という順序に変えてしまう、ということではないか、ということです。

 

たしかに、順序を入れ替えて、レイキも使ってエネルギー調整をすると、それまで感じていた、不自由感に伴う重苦しい感じが無くなって(なんにも歯周病には改善を認めてないにも関わらず)軽くなりました。という事実から判断して、これで大正解とは言わずとも、ある程度正解と言えるのではないかと思っています。

 

自分でも意表を突かれたのが、自分自身の中から出てきた考えなんですが

 

「肉体については思い通りにならない」とか、「なる」、という区別をすること自体が、そもそも不自由のもとだ

 

という視点です。

 

区別をすることでそれに囚われるようになって自由を失う。

 

 

遠い昔。銀河系の遥か彼方で。

 

ある男が初めての海外研究留学に向けて奮闘していた時、当時は今のようにグウタラではなく一生懸命働いていたわけですが、沢山応募した海外留学のための奨学金から次々に落選の通知が届きました。まったく手応えなしでした。

 

最後に残ったのは、中でも最難関と予想されている奨学金で、他の奨学金で一次審査に引っかからなかった自分がこれを突破する可能性はほぼ失われました。

 

結果待ちの状態で、年末を迎えましたが、その時の仕事は3月までで終わりで延長ができない、と分かっており、奨学金に落選したら、結婚してからそれほど経っていないのに4月から無職、という状況でした。

 

見かねた恩師が、地方大学の教員のポジションを見つけてきてくれました。もはやここまで、これを受けるしかない、と思い、ありがたくこの話を聞いて、(現在別居中の)妻に、「4月から無職になるのを避けるためにこれを受けるつもりだ」と言ったところ、妻はなんと言ったか。

 

あんたが地方大学の教員なんかになったら、アホ学生相手の授業なんかバカバカしくて、すぐ発狂するからやめたほうがいい

 

とのたもうたのであります。で、わずかとは言え貯金があるので、それで自費留学をして向こうで働きながら来年の奨学金に再チャレンジすることはできないか、と提案してくれたのであります。

 

海外研究留学のためのガイドみたいな本を開くと、ともかくこれだけは避けなさい、という禁止事項として「自費留学」というのが真っ先に挙げられています。行き詰まってにっちもさっちも行かなくなることがあるので、最悪の選択肢だというわけです。

 

発狂するからやめたほうがいい、と言われて、ぐうの音も出ず、もしかして自費留学という道は可能なのかと思い始め、受け入れ先のボスに事情を相談したら、意外にも事務的には向こうはOKという返事が来ました。

 

このときまで、

 

  1. 奨学金に通れば、3ヶ月後にはイギリス留学
  2. 落ちたら、日本で無職、もしくはなんとかありあわせの仕事を探す

 

という二択状態に置かれており、奨学金の合否はもはや自分の手の届くところにはないので、非常に不自由を感じていたのでした。そう、ここで今の歯周病の話と共通点がでてきます。

 

妻の提案をきっかけに、禁じ手の自費留学という道を探り、それが可能だとなったときに初めて、この分岐点が

 

  1. 奨学金に通れば、3ヶ月後にはイギリス留学
  2. 落ちたら、3ヶ月後には自己負担でイギリス留学

 

と言う風に、書き換わったのです。つまり合否がどうなろうが、なんだろうが結局自分は数ヶ月後にはイギリスに行くのだ。合否判定に振り回されるという不自由から解放されて、久しぶりに自由の空気を吸って、肩の重荷が取れて、やっと息ができるようになった、と感じました。

 

しばらくして、奨学金の事務局から合格通知が届き、他の誰と比べても見劣りするような、前代未聞のパッとしない研究業績で、この難関の奨学金を堂々と獲得したのでした。合格者一覧から業績を調べても、なぜ自分が合格したのか首をかしげるような結果でしたが、合格は合格だからありがたく頂戴して、このお金で留学した結果、今もイギリスにのうのうと住んでいるわけですが。

 

これは妻に足を向けて寝られない、と言う話でもあります。改めて振り返ると、このいざというときの度胸は只者ではないですね。別居を決断したときも同じ。

 

 

さて、

 

  • 奨学金に通る、通らないで人生が変わってしまうという状況

 

と、

 

  • 歯周病の症状がなんとかなる、ならないで人生(の一部、少なくとも歯の運命は)が変わってしまうという状況、

 

どちらも自分の思い通りになるわけではない、という強烈な不自由さが伴うのですが、前者では、奨学金に通っても通らなくても行きたいところへ行く、というのがこのジレンマから出る秘訣になっており、その結果、奇跡のようなことがしれっと起こってしまいました(今の所、この奨学金の事務局からやっぱり人を間違えてたから金返せ、っていう話は来てません)。

 

「肉体については思い通りにならない」とか、「なる」、という区別をすること自体が、そもそも不自由のもとだ

っていうのも、どうも似たような構造になっていると思いませんか。

 

ハイヤーくんは、歯周病が治る、という可能性については結局一言も語らず、ただ自由なスタンスを見つけることの重要性だけを説いていたのですが.....

 

優先順位を変えることで、「それがどうした」という境地に至っても、それだけでは歯周病はそのままで、外から見るとただの強がり、負け惜しみのように見えるかもしれません。
 
ですが、もしかすると、この一見、自分が求めているものを諦めているかのような態度、そこはどっちでもいいという境地に至る、というところに、願望実現のための逆説的な秘密が宿っているのでは?と思えるのです。
 
奨学金が取れても取れなくてもよい、と決めたら、取れた、というこのたった一度の経験から考えると.....。
 
 
 
バシャールの「公式」というのがあります。意訳すると
 
  1. 最高のワクワクをもたらす機会を捉えて行動せよ
  2. そのワクワクを最大限体験しなさい
  3. 特定の結果に関する一切の執着や想定を捨てた上でワクワクを体験せよ

 

という感じです。

 

この三番目ですね、「with absolutely zero insistence or assumption with respect to a specific outcome 特定の結果に関する一切の執着や想定を捨てた上で」という部分。

 

奨学金に通りたいとか、歯周病を治したいとか、っていうのは、具体的な結果に執着しているし、それを想定している、っていうことになるんじゃないでしょうか。それがこういう結果にならない限りは、自分の願いは叶わない、っていう風に考えているわけですから。

 

第三の公式の但し書きも紹介するとこんな事が書いてます。

 

  • 特定の結果、現実化、道筋に執着することは、実は自分の想像力の範囲を超えるような、よりよい現実化を阻むものであると理解せよ。
  • あなたがワクワクするものそれ自体は実を結ぶ必要もありません。それは、現実化される必要のあるものが現実化できるような、あなたの在り方を作り出すために、あなたをワクワクさせて行動を起こさせているだけかもしれません。

 

 

さらに、「未来はえらべる!」(本田健、バシャール)には

 

自分の観念体系すべてを使って、情熱を傾けているものに15分間集中した後、それを実現させるための最良の方法とは、「それを手放し、ゆだねて、実現するかどうか気にしない」ということです。

 

...中略...

 

 

実現化とは、「集中と忘れること」、「(起きるのを)許すこと」の結果だと言えます。

 

集中して、忘れる。

集中して、忘れる。

集中して、忘れる。

 

これが、実現化の法則です。

 

p. 84, 86

 

と書いてあります。

 

忘れろ、と言われても、海外留学を計画している時に奨学金の入手のことを忘れたら頭がおかしいし、病気を抱えている人が、症状を体験しながら、治癒するという願いを忘れる、というのは、ほとんどの人にとっては絶望的に難しいのではないでしょうか。ひょっとするとこの部分はエゴの執着であって、だからこそなかなか手放せないのかもしれない。そして、だからこそ願望は実現しないのかもしれない。

 

これに対して、「これを願いはしたが、それが実現しても実現しなくてもどっちでも大丈夫である」という屁理屈の境地は、まさかの逆転の発想であり、特定の結果への執着を手放して、どうなるかはゆだねて、実現するかしないか気にしない、という条件を満たしているのではないでしょうか?アルツハイマーのように本当に忘れたわけではないけれど、忘れたのと同じような効果があるのではないでしょうか。

 

 

この見方は、結構いいところを突いているのではないか、という手応えを感じています。ですが、実際にはロックダウンに入ってから、歯周病はますます悪化しており、右の奥歯の全機能をほぼ失いましたし、咀嚼ができなくなりつつある影響だと思いますが、消化器系の調子もよくないし、疲労感も大きい。執筆している現在、わずかに歯の痛みも感じています。

 

というわけで、ものすごく肉体的に試されている状況なのですが(....その割に不自由とはどうもあまり思ってないし、しんどい状態から抜けると妙に平気。しんどいときは、しんどいっすな。)、それでもこれでどうだ!とみなさんに提案してみたい。次にハイヤーくんと話すときには、これでどうだ!と言ってみたい。あいつ、ニヤニヤしそうだけど!

 

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