前回からの続き
 
このバシャールのメッセージに関して、自分の中で浮上したことがあります。

 

コロナウイルスで悩みや不安を抱えてコロナ鬱となっている方が多数おられると聞きます。

 

お金や仕事をなんとかしてとか、亡くなった家族を取り返してと言われても困りますが、私がこれまでの限られたセラピスト経験から言えることは、もし感情ストレスの問題であるならば、人類はすでにそのための答えを持っているということです。

 

新型コロナウイルスそのものを抑えるということに関してはいまだにワクチンもなく、有効な手立てというのはロックダウンくらいしかない、というので困っている、これは分かります。解決策をまだ手にしていないので困るというわけです。

 

しかし、それが不安や恐怖といった感情ストレスの問題であれば、そのためのツールが沢山ありますし、セラピストも沢山います。何か機密情報になっているわけでもなく、インターネットで検索して依頼すれば済む話です。それどころか自分でできるような方法もたくさんありますし、無料で方法が公開されているものもいくつもあります。

 

解決策があるのにそれを使わないで困っている、というのが現状である、というように私には見えるのですね。そういう人が例えば今回のコロナ危機だけでもひょっとすると何億人とか何十億人という単位で発生している。

 

そして例によってバカ正直に書きましょう。「解決策があるのにそれを使わないで困ったままでいるというのはアホだ」、という観念を自分が持ってたのを私は見つけました。

 

言うまでもなく、この観念は上から目線になって見下してジャッジしまっているので、上下という極性を作り、分離的です。

 

見つけてしまえば手放すのはだいたいそれほど難しくないので、色々あるツールのひとつを使ってこれは手放したのですが、そしたらその下からもう一つ出てきました。

 

 

「針の穴が小さい」っていう表現は、私がどうなるかはさておき、大半の人が通れない、通るのに失敗するということをほのめかしています。バシャールの言う通りにポジティブ地球行き、ネガティブ地球行きの電車がすでに走り出しているとして、多くの人がネガティブ地球へ行ってしまう。大勢がネガティブ地球へ行く、ということに、自分の中でOKを出すのは難しいと感じました。

 

極端なネガティブ地球は「完全に破壊されてしまう」ともバシャールは言ってますからね。

 

この話、個人個人の波動の高低に応じて、体験するリアリティが変わる、とい部分は、何の変哲もない、引き寄せの法則そのものとも言えます。特別な点があるとすれば、やはり異なる波動の体験が、同じ地球を舞台として同時に繰り広げられる、という通常の形に対して、それらが並行現実として別々の地球を舞台として展開するようになり、相互の連絡が無くなる、と言っている点でしょう。

 

バシャールはしばしば我々の意識の周波数というのは実際に数値化できると言います。このときの周波数の値は、今日の我々が知っているような物理学的な振動の周波数とは異なる、未知の周波数だ(振動しているものは私達が今日理解しているようなものではない)、と言っていましたが(the Eyes of the Needle の中での質疑応答で)、ともかく周波数の高い・低いというのは厳然としてあるのだそうです(「バシャール x 坂本政道 人類、その起源と未来」坂本政道、バシャール)。

 

よく似たコンセプトとして、「意識のマップ」といって、キネシオロジーで意識の波動を1から1000に数値化して測定するという方法があります (「パワーかフォースか」デーヴィッド・R・ホーキンズ)。

 

以前にも記事にしていますが、この測定が筋肉反射テストでできるかどうかという点では、キネシオロジストの間でもあまり意見の一致を見ていない、論争の絶えないものでもあります。詳しい説明は省きますが、人間の意識の波動を1から1000で数値化でき(10を底にした対数なので数値が1増うることは10倍、を意味する)、200以上が真でありパワー(力づけるような力)、199以下が偽でありフォース(強制力)だ、というのです。このそれぞれが筋肉反射テストでの強い、弱い、という結果として表れている、という考え方です。

 

こんな風に、1から1000の数値がどのような態度や感情と関係しているかというのをまとめた表があります。

 

 

この意識のマップのように、人間の意識の波動を数値化する、という行為はエゴの増大に直結しやすいので、危険性を孕んでいます。「嫌いなあいつよりも、自分もほうがほーらやっぱり波動が高い」などと言ってほくそ笑んでしまったらもう終わりです。私自身もこれでまんまエゴの増大に飲み込まれた経験があります。これはかなり危ない!、と警告しておきましょう。

 

このように波動の数値化、というのは、周波数が高い低い、という二元性の極性を明らかに持っていまから、これが分離エネルギーを刺激し、エゴの増大を招きやすいのだと思います。

 

 

ポジティブ地球とネガティブ地球があります、と言われてネガティブ地球がいいという人はあまりいないでしょう。もし自分がポジティブ地球へ行くとなったなら、ネガティブ地球へ行く人を下に見たり、憐れんだり、バカにしたり、あるいは勝ち誇ったりしてしまいがちではないでしょうか?逆に、自分がネガティブ地球へ行くと決まったら、ポジティブ地球行きの人を羨んだり、妬んだりしてしまいがちではないでしょうか?

 

これらはすべて、極性の間を分離エネルギーの振り子が揺れているための感情で、いずれも実は波動が低い、ということになるでしょう(そういう意味では針の穴を通れずに引っかかってしまうかもしれません)。

 

私は、大勢がネガティブ地球へ行くと聞かされるとそれは辛い、OKできない、と感じました。でも、そこにあるのは、憐憫の情であり、ネガティブ地球を下に見ていたのですね。要は極性です。

 

しかし、ポジティブを選ぶのか、ネガティブを選ぶのかは、その人自身にまかせなければなりません。彼らに選択の機会を提供して、彼らがポジティブな選択をするのにまかせるというのはポジティブなエネルギー的なことです。一方、彼らがネガティブな選択をするにまかせるのもまたポジティブなエネルギー的なことなのです。.... もし選択の自由を与えないとしたら、それはネガティブなエネルギー的なことなのです。

バシャール

 

「バシャール スドウゲンキ」須藤元気、バシャール、2007年、p. 36

 

このバシャールの説く境地に立とうとすれば、「ネガティブ地球は最悪だ、下等だ」という観念をまず外す必要を感じます。中でも極端なネガティブ地球においては、地球が滅びると言っているのにも関わらず、です。

 

波動の高い・低いというのを二元性の中で見ると、頭とお尻があって例えばこんな感じで、頭がお尻のほうをみっともない、と思っているようなものです。

 

 

このイメージに対して、「ウロボロスの蛇」という、尾を飲み込む蛇のシンボルが昔からあります。少なくともこうやって丸めてしまうと、かなり印象が変わります。ちょっと、ホッとしませんか?

 

 

他の例を出しましょう。周波数の高い低い、がもし音であれば、高音、低音、可視光であれば、紫色、赤色になります。音程の違いや、色の違いを私達は日々体験していますが、そろぞれ高い音のイメージ、低い音のイメージ、違う色から連想するものなど多様ですけれども、どっちが良くてどっちが悪いとかっていちいち思いませんね。

 

おそらく、バシャールが波動の高い低いを論じているときって、私達が色の違いを語っているような感覚なんではないでしょうか。

 

もしかしたら、そういう感覚で波動を扱えるのであれば、その人は「意識のマップ」による波動の数値化を使いこなせるかもしれません。

 

 

どうも、ポジティブ地球とネガティブ地球へ別れていく、っていう話自体が、このように私達の常識的な価値観=思い込みに挑戦してくるように思いますね。

 

心の悩みのほとんどに対してはもう答えが用意されていて、しかもオープンになっているのに、一部の人達しかそれにアクセスしていない、という現状を見て、私の中にはそれに対して「変えていく必要がある!!!」とか「もっと大勢がアクセスすべきだ!!!」(そうすると回り回って私の副収入も増えるので)という観念があったのですが、別々の地球に向かって列車が走っているのだとすると、そういう思い込みも意味をなさないのかなと思いました。

 

たとえば、...... 気の世界とか、目に見えないエネルギーとか、胡散臭いものは一切信じない、と言う人がいたとすると、今後、別々の地球に到着してからは、もうたとえ気が変わってもそういう話に触れる機会が減ってしまうのかもしれません。

 

宇宙人はいない、と信じている人がいたとすると、宇宙人とのオープン・コンタクトが起こらない地球へ到着するのかもしれません。

 

心の悩みについては解決法がない、と信じている人がいたとすると、今後、スピリチュアルや、キネシオロジーと言った情報にますますアクセスできなくなっていくのかもしれません。これまでならば、幾らでも観念浄化をして波動を上げていくという手段があったのですが、そういうものがたとえばGoogleの検索に出なくなってくるのかも。

 

それぞれの人が、自分がこうだと信じているような地球を体験していくことだとすれば、こういうことになりますね。唯一の真実、みたいな話が到底成立しないようになっていくということです。

 

既に、Googleで探せばすぐ見つかるにもかかわらず、必要としている(キネシオロジーのような)セラピーの情報にたどり着く人が少ない、という、この現状、それは使用する検索キーワードの違いとか、結果のうちどれをクリックしてどれをクリックしないかという違いでしょうが、ここに既に、別々の地球行き、という分離が表れ始めているのか。そうだとすれば、それに対してどうこうしよう、などと思うこと自体が余計なのかもしれません。

 

他の大勢がどうであるかということよりも、自分軸なのかなと。