こんにちは、絶學無憂です。

 

田仲真治さんのブログで紹介していただきました。ありがとうございます。

 

他のいろんなことの価値というのは、コロナウイルス禍のような大事件が起こった時に変わってしまうかもしれませんが、二元性の分離・再統合、という原則だけは普遍的に通用するように思います。

 

実際、在宅勤務になってから、今はウイルス感染の不安も、経済悪化に対する不安もなく(一旦不安を感じて揺れましたが解放してしまうとすぐになくなってしまいました)、ちょっと不謹慎かもしれませんが春休みのようなうららかな気持ちで過ごしているのです(ニュースはたくさん見てますがそれでも不安になりませんので)。ところが、在宅勤務のほんの前日まで一生懸命やっていた研究が、まるっきりやる気が無くなってしまっていて、そこは驚いているというか困惑しています。

 

かといって、今は不安を感じる人が多いので時期的にはよいのかもしれませんが、副業のセラピー業のモチベーションが上がっているかというと、これはこれで予測がつくようなことばかりやっていて面白くないな、というような気持ちもあり、要は、幸せなやる気なし状態です。

 

最近記事をいっぱい書いているから、なんだこいつやる気があるな、と思われたかもしれませんが、ないです(笑)。

 

 

 

今日は、再開が決定したBUオンラインコーチングの宣伝に使われているこの図をちょっと拝借しまして、自分の復習がてら、これは何を言っているのか、というのをちょっと私なりに解説してみたいと思います。

 

 

この図では、4つのステージがある、と書いてあります。

 

  1. 被害者のステージ(可愛想な私を癒やして欲しい)
  2. 自己責任のステージ(癒やしてあげる側)
  3. 大いなる存在に委ねるステージ(半神半人)
  4. 創造主とひとつになるステージ(神人合一)
 
ほとんどの人は、この人生ゲームを被害者のステージからプレイすることになるはずです。
 
皆さんの周りにも、私はこんなひどいことをされました、とかしょっちゅう言っている人がおられるでしょう。皆さん自身がそうかもしれません。
 
何度か書いてますが、「被害者」というのは非常に危険な考え方だと私は思っていまして、自分で自分が被害者だと認定する(同時に相手が加害者だと認定する)ことにより、「自分の人生は加害者によっていいように踏みにじられる」という悲劇のヒロインみたいなキャラ設定でゲームをプレイすることになります。
 
経絡エネルギー的に言えば、人生の主導権が脅かされているので、任脈が乱れた状態になります。
 
この被害者意識をやめるだけで、人生が改善する人はものすごい数に上るでしょう。ですが、ここから抜け出せないまま一生を終える人もまた多いと思います。
 
 
この被害者のステージは地獄みたいなものですので、どうしてもそこが気に入っているというのでなければ、さっさと脱出したほうが良いのですが、この次には、自己責任のステージがあります。何らかの成功哲学や、自己啓発、セラピーなどを勉強して、それで道が開けたという人がここに多くいます。
 
自己責任のステージでは、これまで外側に常に振り回されてきた人が、主導権を取り戻しています。自分で人生を切り開いていこうという意志が強く表れていて、経絡で言えばここで任脈のエネルギーが整って、任脈に対応する棘上筋にバシっと力が入るはずです。
 
このステージにいる人は、被害者のステージにまだ残っている人に対して、自分が身につけた成功哲学やセラピーのテクニックなどで癒やすことができるので、癒やしを求める側と癒やす側の間でやり取りの循環が成立します。
 
図には「敵を倒すともっと敵が現れる設定」とも書いてあります。このステージにいると、このテクニックでこれは克服できた、と思っていたら、次にもっとすごいチャレンジが与えられて、もっとテクニックを鍛えなければ追いつかない、ということになりがちです。その方向でどんどん突き進んでしまうと、テクニックのオタクみたいになって非常にとんがってしまいます。
 
また、自分が学んだことによって、積極的に人を癒そうとするのですが、それが煙たがられたりもし、思うようにいかないということが起こります。
 
 
これらの課題をクリアーするためには、この次のステージ、3つ目の大いなる存在に委ねるステージへと進むことが必要になってきます。
 
自己責任のステージでは、自分の意思が最高であり、思い通りにコントロールしようとしてエネルギーを使いますが、当然、どんな成功哲学を使っても大なり小なり思い通りにならない事は出てきます。このときに、自己責任のステージにいると、もっとテクニックを磨いて!という方向に行きがちなのです。
 
これに対して大いなる存在に委ねるステージでは、個人としての自分の意思を超越した、神・仏・大いなる存在(名前は何でも良し)の「思し召し」に委ねて生きるようになり、コントロールがうまくいかない、とストレスを感じることはなくなります。思ってたことと違うことが起こっても(例えばコロナウイルス禍がそうですが)、それでも完璧なんだなと宇宙を信頼する、ということです。
 
大いなる存在に委ねる、という意思決定をしているので、自分で選択するエネルギーを司る任脈は整っていますが、個人の力だけではなく、上とも繋がって行きますから、任脈を流れるエネルギーは個人を超越した、より力強いものとなります。
 
これも見てきたようなことを書いていますが、ある意味その通りでして、任脈に対応する棘上筋の筋肉反射テストを使って、「大いなる存在に委ねた状態」と「自己責任で全部コントロールする状態」とを比べると、はっきりと違いがでてきます。
 
 
さらにもうひとつ、決定的な違いは、被害者のステージと自己責任のステージには「二元性」と書いてあるのに対して、大いなる存在に委ねるステージでは「ワンネス」になっています。
 
ここが、このブログのテーマでもある、二元性の分離と再統合という話に相当します。
 
被害者のステージと自己責任のステージは、ステージが変わってはいるものの、どちらもまだ二元性の中にいます。すなわち、被害者のステージは下、自己責任のステージは上という極性があって、その間で、癒やし、癒やされ、ということをやっています。
 
またここでは二元性の中でプラスだけを見ていく、というプラス思考などが重視されます。これによって一定の成果を得るのですが、何かがある度に激しく落ち込んだり、心が揺れたりして、こんなはずじゃないのに?と悩んだりします。
 
 
大いなる存在に委ねるステージにおいては、この二元性の両極の間での絶えることのない振り子の揺れから脱却すべく、ネガティブだけを見るのでもなく、ポジティブだけを見るのでもなく、両側を体験した上で、この宇宙では陰と陽が完璧に調和しているということを理解することによって、振り子を外してしまいます。
 
 

すると振り子をブンブンと振っていた感情エネルギーが解放されて、統合されたエネルギーとして自分に返ってきます。

 

この極性の分離・再統合というプロセスを延々と繰り返していく、というのが私の理解している、大いなる存在に委ねるステージにおける在り方です。

 

この二元性の極性というのはあらゆるところに見つけることができ、人間関係はもちろん、スピリチュアルや、ヒーリング、代替医療の分野の中でもそうです。

 

  • 主流メディアの伝えるニュースと陰謀論
  • 西洋医学に対して、代替医療(ホメオパシーや中国医学、レイキなど)
  • 先生と生徒
  • 正しい意見と間違った意見
  • 波動の高い人と波動の低い人
 
このように白と黒、陰と陽で区別しているわけです。
 
 
ですので、スピリチュアルや、ヒーリング、代替医療の勉強をする人はある意味、皆、この二元性の分離を、自己責任のステージで体験していくことになります。
 
そして、個々のテクニックを勉強しているだけでは、この二元性の分離から、統合へとはなかなかたどり着けないというのが実情です。
 
オンラインコーチングは主にこの大いなる存在に委ねるステージの在り方について学び、そのための方法を学ぶためのもの、と私は理解しています。
 
 
更にその上には神人合一、創造主と一つになるステージというのが書かれていますが、ここは私も未到達なので、そういうのがあるだろう、ということしか分かりません。きっと悟りと同じでしょう。
 
 
このブログは極性の分離・再統合についてばかり書いているので、ある意味、BUオンラインコーチングの最大の営業妨害でもあるわけですが(笑)、断片的に文章を読むだけ、というのと、実際に他の生徒さんたちと交流し、質問を重ねながら、自らの体験を重ねて理解していくのとはぜんぜん違うでしょう。私はオンラインコーチングを学んで本当に腑に落ちましたので。
 
読者の皆さんと、いずれオンラインコーチングの中でお会いすることを楽しみにしています。
 
 
なお、実用的なレイキと一緒にこういう考え方を身に着けたいという方には、国際ブレインアップデート協会のBUオンラインコーチングとはまた別ですが、私絶學無憂の個人講座としてオンラインでレイキをお伝えしていますので随時お問い合わせください(zetsugaku.muyuアットマークgmail.com)。