赤ひげ
★★★★
1965年4月24日公開/モノクロシネスコ/185分/東宝・黒澤プロ/
製作:田中友幸・菊島隆三 原作:山本周五郎 脚本:井手雅人・小国英雄・菊島隆三・黒澤明 監督:黒澤明 撮影:中井朝一・斎藤孝雄 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎
出演-三船敏郎、加山雄三、山﨑努、香川京子、桑野みゆき、二木てるみ、根岸明美、杉村春子、土屋嘉男、江原達怡、頭師佳孝、団令子、内藤洋子、笠智衆、田中絹代、藤山陽子、三井弘次、左卜全、渡辺篤、野村昭子、三戸部スエ、菅井きん、
前作「天国と地獄」から2年2ヶ月ぶりの黒澤明の新作。
「ヒューマニズム映画」らしく、私は見るのを長らく敬遠していて、今回が初見。
結論としてはもっと早くに見ておけばよかったと思った。
江戸時代後期の実在した小石川養生所を舞台に、貧しく病む者と懸命に治療する医者との交流を描く。所長に赤ひげ・三船敏郎。その弟子となって成長していく若い研修医に加山雄三。
3時間5分もある長編で途中にインターミッションが入る。
暴論を吐けば、前半の山崎努と桑野みゆきの話をすべてカットしたら、もっと見やすく面白くなったろうとの印象。
貧しい長屋に住む山崎は、自分の大工仕事で得た金をすべて住民に与えて慕われていた。そうなった経緯を回想で語られていくのだが、山崎と惚れ合って結婚した桑野が大地震の直後に失踪、再会すると赤子を背負っていた。桑野は実は許嫁がいて、山崎との生活があまりにも幸せすぎて怖かった。なので地震の後、逃げて許嫁と結婚したのだと言う。そして自ら刃を胸に突き刺して死んでいく。山崎は死体を部屋の横に埋めて、罪滅ぼしのために働いた金をみんなに与えていた。死の直前に長屋の住民達に告白して、息絶えて死んでいく。
山崎は一つも悪いことをしていないのに、死んだ桑野の供養のために、お金を恵んでいた。いま一つ、納得できない設定だと思えた。小津の「秋日和」(1960年)に佐分利信の娘役で出ていた桑野みゆきは熱演しているし、前作「天国と地獄」の犯人役で黒澤に気に入られた山崎を抜擢しての起用だとおもうが、今ひとつだった。風鈴の使い方は素晴らしかったが・・・。
後半の二木てるみの話が圧倒的に面白い。
人を信用しない、猜疑心の塊である、芸者置屋の板の間掃除役の二木が、加山雄三との関係の中で少しづつ感情を取り戻していく過程が丁寧に描かれていく。
二木はこの演技でブルーリボン賞の助演女優賞を当時史上最年少である16歳で受賞したのも頷ける。
ただ普通に戻ってからの演技が、いかにも子役の演技ぽっさとクサい台詞回しが目立ちイマイチだった。しかし後半は絡んでくる頭師佳孝とのやり取りで救われる。当時10歳だった頭師はのちの黒澤初カラー作品「どですかでん」(1970年)の主役に抜擢されているが、長回しでのその演技は天才的に上手い。
また杉村春子の白塗りの老婆女郎やら、その頭を大根で叩いたり、米びつをかかえる野村昭子やら、ベテラン女優陣のキラリと光る演技が可笑しく印象に残る。
三船の、地廻りとの対決シーンの爽快さ。刀を持たず素手で相手の腕を反転させるところなど、後年のTVドラマ「必殺仕置人」(1973年)の山崎努演じた骨接ぎ師は、これが元ネタだろうと思われる。
ラスト近くに出てくる笠智衆と田中絹代の起用は、それぞれ1963年、1956年に死去した、小津安二郎と溝口健二監督へのオマージュでもあったらしい。
以下Wikiより転載
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『赤ひげ』は、1965年(昭和40年)4月3日に公開された日本映画である。東宝配給。監督は黒澤明。主な出演は三船敏郎、加山雄三。モノクロ、東宝スコープ、185分。
原作は山本周五郎の『赤ひげ診療譚』(新潮社ほか)で、江戸時代後期の享保の改革で徳川幕府が設立した小石川養生所を舞台に、そこに集まった貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者との交流を描く。決して社会に対する怒りを忘れない老医師の赤ひげと、長崎帰りの蘭学医である若い医師・保本登との師弟の物語を通して、成長していく若い医師と貧しい暮らしの中で生きる人々の温かい人間愛を謳いあげた映画である。
第39回キネマ旬報ベスト・テンで第1位に選ばれたほか、第26回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞などを受賞した。
本作の舞台となった小石川養生所とは、享保7年(1722年)に、小川笙船の意見で現在の東京都文京区の小石川植物園(作中に登場する薬草園は現存する)の一角に徳川幕府が建てた医療・福祉施設で、貧しい者や老人たちに施薬し治療を行う機関であった。『赤ひげ』で描かれている時代は、それからおよそ100年後の文政年間である。
黒澤明監督が「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意を込めて作り、シナリオ執筆に2年、撮影に1年半もの期間をかけて制作した。
なお当初は1964年(昭和39年)末に封切予定であったが、制作の遅れから不可能となり、代わりにゴジラシリーズの『三大怪獣 地球最大の決戦』(本多猪四郎監督)が制作された。公開予定が延期に次ぐ延期となり、この作品でプロデューサーを務めた田中友幸は責任をとって「3回辞表を書いた」と語っている。
物語は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を基盤としているが、後半のおとよ(演:二木てるみ)の物語はドストエフスキーの『虐げられた人びと』をベースに、山本周五郎の原作とは異なり、同作品に登場する少女ネリーを元にした映画オリジナルの設定人物となっている。
また保本登の両親役には笠智衆と田中絹代がキャスティングされたが、黒澤は、自身の先輩である小津安二郎監督作品の看板役者であった笠と、溝口健二作品に多数出演した田中を自らの映画に出演させることにより、2人の日本映画の巨匠監督への敬意を込めたと語っている。
撮影にあたっては、成城にある東宝撮影所にほど近い30,000平方メートルの敷地に、表門、役人詰所、病棟、賄所に至る30数棟、延べ3,000平方メートルを越す広さで「小石川養生所」のセットが建てられた。映画の時代背景は享保年間からおおよそ100年後の文政年間の頃(保本登が長崎でオランダ医学を学んだとすると、シーボルトが来日した文政6年以後でないと史実に合わない)なので、当然セットは100年の古さを出すために古い質感を出す努力を怠らなかった。室の壁から廊下の板も磨いたりしながら、必要以上にある時は無駄と思えるくらいにセットを磨き込んだという。その人間が生活している環境が浮き彫りにされないと、その人間が描けないとして、セット造りにはキメの細かい質感、人間の生活の染み込んだものが要求されたという。黒澤は当時すでに世界的巨匠としての評価を確立していたことから、本作の撮影中に、アメリカからピーター・オトゥール、シドニー・ポワチエ、カーク・ダグラスなどがセットを訪ねている。
タイトルロールの「赤ひげ」を演じた三船敏郎は、白黒映画にもかかわらず本当にひげを赤く染めた。なお、劇中では薬品のため赤っぽく変色しているという説明がされるが、原作では「ひげが赤いわけではないのに何故か赤ひげと呼ばれている」という設定である。三船は髪の毛と髭を自分で脱色したが、この薬品は皮膚や髪を傷め、使うたびに気分が悪くなったという。それを1年半もの間続けている。この演技で『用心棒』に次いで2度目となるヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞したが、三船にとってこれが最後の黒澤映画となった。黒澤にとっても最後の「白黒映画作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となり、翌1966年(昭和41年)に東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。
題名は『赤ひげ』であり、三船が主演であるが、ストーリーは加山雄三が演じる保本登を中心に進行していて、三船の台詞は少ない。物語の最初が小石川養生所に入る保本の後姿であり、ラストも赤ひげに随って小石川養生所に入って行く保本の後姿である。
評価
原作者の山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめた本作は興行的に大ヒットを収め、この年の日本映画の興行収入ランキング第1位となった。批評面でも高い評価を受け、海外でもいくつかの賞を受賞した。また、キネマ旬報が発表した、1999年(平成11年)の「オールタイム・ベスト100 日本映画編」で第67位、2009年(平成21年)の「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で第106位に選出されている。
なおミュージシャンの高橋幸宏は、日本映画で最も好きな作品として本作を挙げている。
受賞
ヴェネツィア国際映画祭 1965年 金獅子賞 ノミネート
男優賞 三船敏郎 受賞
サン・ジョルジョ賞 受賞
国際カトリック映画事務局賞 受賞
ゴールデングローブ賞 1965年 外国語映画賞 ノミネート
モスクワ国際映画祭 1965年 ソ連映画人同盟賞 受賞
ブルーリボン賞 1965年 作品賞 受賞
主演男優賞 三船敏郎 受賞
助演女優賞 二木てるみ 受賞
毎日映画コンクール 1980年 日本映画大賞 受賞
男優主演賞 三船敏郎 受賞
キネマ旬報賞 1980年 日本映画監督賞 黒澤明 受賞
フォトグラマス・デ・プラータ 1967年 外国映画俳優賞 三船敏郎 受賞
加山雄三はこの『赤ひげ』に出演するまで、加山は俳優を続けようか辞めようか悩んでいたが、本作の出演をきっかけに生涯俳優として生きていくことを決意したという。加山の本作品への参加により、1964年は加山の主演シリーズである『若大将シリーズ』の制作が見送られた。
「色情狂」役の香川京子が、加山に言い寄るシーン。
このシーンは香川が言い寄るように加山に身を預けながら、右の袖を左に回して、左手で右からの袖を掴んで引っ張ると、加山の胸と両腕が間に挟まって身動きが出来ず、そして右手でかんざしを首筋に突き刺す場面である。これは黒澤明が3日間で考え出した案で、男が女に身動きが出来ないようにされるという設定で、撮影当時助監督にテストさせると本当に動けなくなって監督はご満悦であったという。
おくにを演じた根岸明美は、10分近い長い台詞を本番1回でOKにした。しかし本人はそのラッシュのフィルムを見ている最中に、撮影中のことを思い出し感極まって、試写室を飛び出してしまった。以来、映画本編を一度も見なかったという。
二木てるみと頭師佳孝とが逢う場面で、1カット6分という長いカットシーンがある。2人は撮影現場で見ていた者らが涙ぐむほどの名演で、黒澤は百点満点だと絶賛している。
井戸に向かって施療所の賄婦たちが叫ぶシーンでは、効果を出すために女優たちを鉱山に連れて行って叫ばせた。また、井戸の上から下までパンするシーンでは、水面にカメラが写らないよう特別な工夫がなされている。
後半部分のベースとなったドストエフスキーの『虐げられた人びと』。
この作中人物は、やがて同作家の『カラマーゾフの兄弟』中の「無垢な子供の苦しみ」というテーマに発展し、これは黒澤の本作品にもそのまま借用されている。黒澤が原作とは直接関係のないこのテーマを作中に持ち込んだ背景には、前作『天国と地獄』が社会に引き起こした反応に対する黒澤の自責の念があったと見ることもできる。
森半太夫役の土屋嘉男は、役作りのために減食して4、5キログラムほど体重を落としていたが、撮影の長期化に伴い空腹に耐えられなくなり、三船に相談したところ「隠れて食べればいい」と助言された。その後、黒澤の誕生日会でご馳走を目にした土屋は三船に「監督の目の前でも食う」と宣言して食べ始め、黒澤も自身の誕生日であるため食べるなとは言えなかったという。土屋は『三大怪獣』への出演も予定されていたが、本作品の撮影が長期化したことにより降板している。
杉村春子が演じた憎まれ役である娼屋の女主人・きんが、養生所の賄婦たちに大根で殴られるコミカルなシーンがある。賄婦を演じていた女優たちも既にベテランであったが、杉村はその上を行く彼女達の大先輩に当たる存在で、大根で殴るとき遠慮してしまいNGが連発され、撮影のために用意していた大根がすべてなくなってしまったことがある。
黒澤はこの作品の制作費の調達のために抵当に入れていた自宅を売却することになった。