フレンジー (Frenzy)

★★★★

1972年6月21日米国公開/カラービスタ/116分/ユニバーサル・ピクチャーズ/

製作    アルフレッド・ヒッチコック 原作    アーサー・ラ・バーン

脚本    アンソニー・シェーファー 監督    アルフレッド・ヒッチコック
撮影    ギル・テイラー 音楽    ロン・グッドウィン
出演-ジョン・フィンチ、バリー・フォスター、アレック・マッコーエン、アンナ・マッセイ、バーバラ・リー・ハント、ヴィヴィアン・マーチャント

前作「トパーズ」から2年半後に公開されたヒッチコック監督作。

 

近年「サイコ」「鳥」「マーニー」と多彩なテーマを描いて来て、「引き裂かれたカーテン」「トパーズ」と連作された東西冷戦のスパイ物から、久し振りの猟奇殺人スリラーとなっている。

 

前半の、主人公と犯人の友人としての関係性が少し掘り下げ不足だと思うが、犯人が主人公の元妻を、突然ネクタイで首絞めセックスして殺すシーンがおぞましくて面白い。

 

ヒッチコックは戦前の作品から殺人とセックスを結びつけてきたテーマが多かったが、1970年代になってやっとその行為を倫理的な問題なく、省略せずに直接撮影できるようになったのを喜んだのではないだろうか。犯人の倒錯的射精もうつしているし、女性の乳首もバンバン出てくる。

 

またジャガイモと共にトラクで運ばれる死体に奮戦する犯人とか、妻の出す、こってりイギリス料理を無理やり食べる部長刑事の描写とか、ユーモアもたっぷり。

 

ラストのセリフ「・・ネクタイが見当たらないな」も、久々のこれぞヒッチコック! の鮮やかな終わり方だった。

 

最初の長い空撮のシーンはどうやって撮ったのだろうか?ヘリコなら風が起こるはずだかそれもなく、ドローンはこの時代まだなかったはずだし、大型のラジコン飛行機にカメラを乗せて撮ったのだろうか?

 

以下Wilkiより転載

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『フレンジー』(Frenzy)は、1972年公開されたイギリス映画であり、スリラー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の最後から2番目の作品。久々に故郷のイギリスに戻って撮影し、評価を落としつつあったヒッチコックの復活作と評された。

原作はアーサー・ラ・バーンの小説『フレンジー』(原題:Goodbye Piccadilly, Farewell Leicester Square : 日本語訳が角川文庫から刊行された)。

主な受賞歴
 

ゴールデングローブ賞ノミネート
作品賞 (ドラマ部門)
監督賞:アルフレッド・ヒッチコック
脚本賞:アンソニー・シェーファー
作曲賞:ロン・グッドウィン

冒頭、空撮のテムズ川 → 公害から開放されるテムズ川についての演説 → ネクタイ殺人の死体発見といった一連のシーンは、『サイコ』の冒頭でも挑戦していた「全体から細部へ」の映像作りをさらに洗練された形で実現している。また、ブレンダ殺害、それに続く秘書の死体発見シーンや、バブスがラスク家に入った後の緊迫感あふれる長回しなど、ヒッチコックは随所に演出力を発揮している。
ブレンダ殺害後、その眼が極端なクローズアップになる。このときヒッチコックは、瞳孔散大剤入りの目薬をブレンダ役のバーバラ・リー・ハントに差させ、瞳孔を死者のように広げている。これは『サイコ』のシャワー殺害後のジャネット・リーの眼が同じようにアップになった際、瞳孔が閉じているとの指摘を受けたことに対する「反省」からである。
主人公の珍妙な格好から、逃亡中の手配犯だと気づくホテルマン達の反応、ジャガイモを満載したトラックの荷台で死体からスーツピンを奪い返そうとするラスクの奮闘、料理教室でおぼえてきたらしい変てこな料理を披露して夫である警部に食欲を失わせるとぼけた雰囲気の妻など、随所に散りばめられたユーモアが、物語にヒッチコックならではのスパイスを効かせている。
 

ヒッチコックの登場シーン
冒頭、テムズ川の河畔で行われている演説の聴衆として登場。
「予告編」では、その聴衆の指差す先のテムズ川に、ヒッチコック自身がプカプカと仰向けに浮いて登場する(もちろん作り物)という破天荒なものだった。
 

どですかでん

★★

1971年1月21日公開/カラービスタ/140分/四騎の会・東宝/

企画:四騎の会(黒澤明、木下惠介、市川崑、小林正樹)
製作:黒澤明、松江陽一 原作:山本周五郎『季節のない街』
脚本:黒澤明、小国英雄、橋本忍 監督:黒澤明 撮影:斎藤孝雄、福沢康道

音楽:武満徹 美術:村木与四郎、村木忍

出演-頭師佳孝、松村達雄、渡辺篤、三谷昇、田中邦衛、吉村実子、芥川比呂志、沖山秀子、伴淳三郎、三波伸介、奈良岡朋子、根岸明美、丹下キヨ子、三井弘次、藤原鎌足、児島三児、菅井きん、園佳也子、ジェリー藤尾

 

前作「赤ひげ」から5年半後に公開された、黒澤明の初カラー作品。

 

1970年の大阪万博を終え、高度成長時代に入った日本、

そこから取り残された貧しい人々の日常を描く。

最初はオムニバス映画として、一緒に企画脚本を練った木下恵介と市川崑から、内容が暗すぎと反対され、黒澤単独での監督となったようだ。結果、興行は惨敗、映画を見終われば、そりゃそうだろうと思える。

 

マルチカム方式の長回しで描くその画面は、見ていてとてもつらい。管を巻いた酔っぱらいの田中邦衛と井川比佐志が、それぞれの女房を交換するとか、いつも敬語で子どもと話す、乞食の仲谷昇のマイホームの夢とか、奈良岡朋子の一度の過ちを許そうとしない芥川比呂志の無言を押し通すやり取りとか、見ていて息が詰まる。

 

これが普通のカット割りで間を詰めた編集であれば、もう少し見やすくなったと思うが、画面が進行ても人物にはほとんど何の変化もなく、自分の実子ではない子供たちに常に気を使うだけの三波伸介とか、義理の娘に対して高飛車に怒る続ける事しかしない松村達雄とか、BDの再生画面を早回ししたくなった。

 

唯一、伴淳三郎のビッコの顔面神経痛の演技が可笑しく、

伴淳を初めて凄い役者だと思えた。

 

似たような、貧しい貧民窟を舞台にした「どん底」(1957年)には、まだ苦境を逃げ出したいというエネルギー、貧しさを飲んで騒いで笑い飛ばすパワーが描かれていたが、この映画にはそれもない。

 

トップとラストの頭師佳孝の純粋性は救いではあるが、「だから何?」と思えてしまう。

 

以下Wikiより転載

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『どですかでん』は、1970年に公開された日本映画である。監督は黒澤明。カラー、スタンダード、140分。

黒澤初のカラー映画で、木下惠介・市川崑・小林正樹と結成した「四騎の会」の第1作である。山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とし、貧しくも精一杯生きる人々の生活を明るいタッチで描いた。

題名は作中で少年が電車の運転士になりきったときに口ずさむ「どですかでん」という擬音語からきているが、これはもともと一般的な擬音語ではなく、山本周五郎が創作した造語である。

製作
1969年7月、黒澤明は木下惠介、市川崑、小林正樹とともに「四騎の会」を結成した。四騎の会は、日本映画低迷の時代にベテラン監督4人の力を合わせてこれを打開しようとの意図で結成され、設立第1作として山本周五郎の小説『町奉行日記』が原作の『どら平太』を4人で共同脚本・監督することを発表した。

4人は湯河原の旅館に籠もり、物語を4つに分けて各自で分担する形式で執筆を行うが、なかなか意見がまとまらず頓挫した。次に再び山本の小説『季節のない街』をオムニバス形式で映画化することを企画するが、木下と市川が話が暗いと反対したため、結局黒澤が単独で監督することになった。

1970年1月、黒澤は小国英雄と橋本忍とともに伊豆韮山で脚本を執筆した。3月31日にはプリプロダクションを開始した。東京都江戸川区堀江町にある約1万坪のゴミ捨て場にオープンセットが組まれ、建物の材料もすべてゴミの山から現地調達した。撮影は4月23日に開始し、わずか28日間の早さで撮り上げた。黒澤は自宅を担保に出して製作費を調達したこともあり、黒澤映画としては珍しく低予算・早撮りで作られた。

評価
本作は興行的に失敗し、黒澤は大きな借金を抱えることになった。批評面では完全な失敗作とはいえなかったが、ほかの黒澤映画と比べると低調な評価となった。

第44回キネマ旬報ベスト・テンでは3位に選ばれ、井川比佐志が男優賞を受賞した。そのほか、第25回毎日映画コンクールで奈良岡朋子が女優助演賞を受賞し、第25回芸術祭で映画部門の劇映画優秀賞を受賞した。

2009年にキネマ旬報が発表した「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」では106位にランクした。

本作は海外での評価が高く、第44回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされた。また、1971年に第7回モスクワ国際映画祭でソ連映画人同盟特別賞、1978年にベルギー映画批評家協会賞でグランプリを受賞した。

ダルデンヌ兄弟は本作をお気に入りの映画の1本に挙げており、2012年にBFIの映画雑誌サイト・アンド・サウンドが10年毎に発表する史上最高の映画ベストテンでも本作に投票している。
 

トパーズ (Topaz)

★★★

1969年12月19日米国公開/カラービスタ/126分/ユナイテッド/

製作:アルフレッド・ヒッチコック 原作:レオン・ユリス 
脚本:サミュエル・テイラー  監督:アルフレッド・ヒッチコック 

撮影:ジャック・ヒルデヤード 音楽:モーリス・ジャール
出演-フレデリック・スタフォード、カリン・ドール、ミシェル・ピコリ、フィリップ・ノワレ、カルロス・リヴァス

前作「引き裂かれたカーテン」から3年5ヶ月後に公開されたヒッチコック監督作。
またもや東西冷戦モノでよりドキュメンタリー・タッチになっている。

キューバ危機を題材にしたベストセラーが原作。

導入部は、亡命するロシア高官とその家族を救出する米国側の動きを、セリフを排除してスリリングに描く。やがて主人公のフランス情報部員と、キューバでの情報協力者との恋などが描かれていく。

 

つまらなくはないが、ヒッチコックが監督する意味があったのかどうかは疑問だ。

 

以下Wikiより転載

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『トパーズ 』(Topaz)は、 アルフレッド・ヒッチコックの監督による1969年公開のアメリカ映画。1968年から1969年にかけて製作された。原作はレオン・ユリスのベストセラー小説である。
 

乱れ雲

★★★

1967年11月18日公開/カラーシネスコ/108分/東宝/

製作:藤本真澄、金子正且 脚本:山田信夫 監督 : 成瀬巳喜男

撮影:逢沢譲 美術:中古智 音楽:武満徹
出演-司葉子、加山雄三、森光子、加東大介、土屋嘉男、草笛光子、浜美枝、藤木悠、中丸忠雄、中村伸郎、清水元、十朱久雄、浦辺粂子、伊藤久哉、一の宮あつ子、田島義文

 

成瀬巳喜男監督の遺作。

 

加山雄三は車の運転中、不可抗力とはいえ、司葉子の夫・土屋嘉男を殺してしまう。そこから夫を殺した犯人と、その妻との、禁断の恋愛関係が動き出していく。

 

成瀬のそれまでの映画とは異なり、かなりスキャンダラスな内容。激烈な状況下での、男女の愛をギリギリまで描いている。

 

成瀬にとっては1961年「妻として女として」以来のカラー映画で、原色の色を極力抑えた中間色の色彩設計で、小津の原色好みとは正反対の色彩となっている。

 

悲恋となって映画は終わっていく。

司葉子では、同じ加山雄三に恋する「乱れる」の、高峰秀子は超えられない印象。

 

2年後に成瀬は直腸がんで死去するが、もう少し長生きしたのならば、描く世界はどのように変化し行ったのか・・・、もう2,3本は監督作を見たかった。

 

以下Wikiより転載

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『乱れ雲』は、1967年に「東宝創立35周年記念作品」の1本として制作・公開された日本映画で、成瀬巳喜男監督の遺作である。交通事故で夫を亡くした女性と、その加害者である青年が、愛憎入り混じった許されない間柄でありながらも惹かれ合ってゆく姿を描く。製作・配給は東宝。カラー、東宝スコープ。

同時上映
『喜劇 駅前百年』
脚本:八住利雄、広沢栄/監督:豊田四郎/主演:森繁久彌
『駅前シリーズ』第21作。なおこの作品も「東宝創立35周年記念作品」である。
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成瀬の遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』であった。1969年、成瀬は直腸癌のため63歳で没した。墓所は世田谷区円光寺。なお、成瀬は闘病中に見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、ついに実現しなかった。これについては、成瀬と多くの作品でコンビを組んだ名カメラマンの玉井正夫が後年のインタビューで、「その発言は、成瀬さんが死ぬ間際に弱気になっていたからこそ出た言葉ですよ。成瀬さんは、高峰秀子を個人的には好きではなかったですよ」という発言をしている。

成瀬の生誕100周年にあたる2005年には、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。

 

女の中にいる他人

★★★★

1966年1月25日公開/モノクロシネスコ/102分/東宝/

製作:藤本真澄、金子正且 原作:エドワード・アタイヤ 『細い線』

脚本:井手俊郎 監督:成瀬巳喜男 撮影:福沢康道 音楽:林光

出演-小林桂樹・新珠三千代・三橋達也・若林映子・長岡輝子・加東大介・黒沢年男・稲葉義男・十朱久雄・藤木悠・中北千枝子・伊藤久哉・一の宮あつ子・二瓶正也

 

前作「乱れる」からちょうど1年後に公開された成瀬監督作。

「女性映画の巨匠」として有名な成瀬巳喜男にしては珍しく、男性・小林桂樹を主役に据えた社会派作品。

小林は、当時森繁の「社長シリーズ」でコミカルな秘書役を演じていたのとはガラリと趣向を変えた殺人犯を演ずる。また同じ「社長シリーズ」で芸者やマダムを華麗に演じていた新珠三千代も、苦悩するその妻を演じ、ラストには殺人を犯すというシビアーな役どころとなっている。

 

小林は、友人である三橋達也の妻・若林映子を、いわゆる快楽殺人で殺してしまう。セックス中に首を絞め、窒息死寸前での快楽を求める「営み」は、この当時でもちゃんと存在していたのが驚きだ。そんな昔から首絞めセックスは一般的だったようだ。

 

Wikiによると「脳が酸素を奪われるとき、低酸素症と呼ばれる明確な半幻覚状態を引き起こす。それはオーガズムと結合されて、そのラッシュはコカインと同程度に強力であり、非常に強い習慣性がある。」と解説されている。

 

最古の記録は1791年に作曲家のフランツ・コツワラが窒息プレイによる事故で死亡したケースで、有名な「阿部定事件」(1936年)も、恋人である石田吉蔵を窒息プレイの末に絞殺し、彼の陰茎および睾丸を切除して数日間持ち歩いたとされる。

 

友人の人妻の乞いに抗えず、殺人犯となった小林は、自責の念に耐えられず、人妻の夫・三橋に全てを告白する。しかし三橋は、自分もその首絞めセックスを妻から強要されていたらしく、小林へは忘れるよう諭し、警察にも知らせない。

 

さらに妻・新珠にも告白するが、新珠には、子供二人を殺人犯の子にするつもりなの、もう忘れるのが一番なのよ、と言われてしまう。

 

ラストに小林は「もう耐えられない、明日の朝、自首する」と新珠に告げる。ずっと家族の幸せを願ってきた新珠の心のなかに「他人」が現出する。

・・・夫は他人で、子供は血縁・・・。

新珠は夫の寝酒のウイスキーの中に毒薬を混入するのだった・・・。

 

女性映画の巨匠として数々の女性を主人公にした映画を撮ってきた成瀬。一年前の「乱れる」からこの趣向が少し変わってきたように思える。

 

この後は「ひき逃げ」を監督している。

これは上流階級の司葉子が、下層の高峰秀子の子供を運転中に轢き殺してしまうのが発端。成瀬の映画にはそれまで「殺人」とか「事故死」とかほとんどなかったのだが、自身の死の直前に撮られた3本の映画には全て「死」が付きまとう。

やがて司は身代わりを立て罪を逃れる。高峰は運転していたのは司だったと見抜き、自らお手伝いとして司の家に乗り込んでいく・・・。

 

そして、翌年に公開された司葉子・加山雄三主演「乱れ雲」が、成瀬の遺作となる。

 

以下Wikiより転載

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『女の中にいる他人』は、1966年に公開された日本のサスペンス映画。製作、配給は東宝。モノクロ、東宝スコープ。

概要
レバノン系イギリス人作家、エドワード・アタイヤのミステリ小説『細い線』(The Thin Line)を井手俊郎が脚色し、成瀬巳喜男が監督した心理サスペンス映画。成瀬の遺作3部作のひとつ。なお、同小説は1971年にクロード・シャブロルも Juste avant la nuit の題で映画化している。
日本では1981年と2017年に本作をリメイクしたテレビドラマが放送されている。

2024/08/14

 

11:30より大腸内視鏡検査。

鎮静剤を希望したので検査のことは何も覚えていない。

目覚めたときはものすごい後味の悪い夢を見た気分だった。

 

午後に突然、呼吸の生体機能テストを受ける。

まったく聞いていなかったのだが、多分手術に向けてのテストらしい。

 

20:00前に担当医が来る。

カメラは小腸手前までたどりつけなかったよう。

腫瘍が増大して閉塞を起こしていて無理すればいけたが断念したらしい。

担当医にしつこく聞いて多分悪性リンパの腫瘍だろうとの言質をもらう。

言葉を濁さず、正直に話してくれる担当さんに感謝したい。

 

これからの事を考えてみると、詰まった腸を拡げる、あるいは切除する手術をしたのち、血液内科へ転院、抗がん剤治療になるのではないかと思う。

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2024/08/15

 

翌朝、ちょうどこれを書いていた7:45、担当医が来た。

採血の結果、炎症反応が若干低くなっているので

今日のお昼からお粥の食事を出してくれるとのこと。

また糖分を含む飲み物もokとの事だ。単純にウレピー。

 

そう言えばのりピーは今どうしているのだろう?

調べてみると、旦那が渋谷の路上で職質→のりピーが私に免じて許して頂戴と懇願→拒否され→コンビニで20万引き出し逃走→そして自首した事件が、2009年の8月2日だった。

 

あれからもう15年か・・・。

2024/08/12

 

またもや入院となった。

2週間ほど前から下痢が続き、この4,5日前からは下腹部右下に激痛が走り始めた。

 

で夜中の2時、我慢できず車で救急外来へ。

問診触診エコー造影剤CTの結果、上行結腸のあたりにポリープが有るらしく、

大腸の内視鏡カメラ検査をして生検するとの事。

 

本日は三連休中日なのでいつ内視鏡の予約が取れるかは分からない。

ただ今の状態だと、最悪,腸閉塞を起こす可能性も捨てきれないので入院を勧められた。

 

一瞬迷ったが、暑い一人の部屋で絶食して過ごすより、46時中空調完備の病室で過ごしたほうが良いかなと考えた。

車の中には、即日入院する場合も考えて、一通りの物を詰め込んだスーツケースも乗せてきている。我ながら用意周到。いつのまにか最悪の事を前提に考えるようになっている。

 

んで朝の8時に一般外科の病棟に入院となった。

ラッキー池田なことに、広い1000円病室に空きがあった。

内視鏡検査までは絶食。

口にして良いものは水とお茶のみ。なので多様性なお茶を買ってきた。

栄養点滴をしているので一日450kcalは摂取できる模様。

 

盲腸の上部あたりにあるポリープ・・・。

 

炎症によるポリープなのか?

あるいは悪性リンパの再々発なのか?

もしかしたら新たな大腸がんなのか?

 

しかし腹が空いた。なにか食べたいぞっ。

引き裂かれたカーテン (Torn Curtain)

★★★

1966年7月14日米国/ビスタカラー/128分/ユニバーサル・ピクチャーズ/

製作    アルフレッド・ヒッチコック 脚本    ブライアン・ムーア、ウィリス・ホール、キース・ウォーターハウス 撮影    ジョン・F・ウォーレン 

音楽    ジョン・アディソン 編集    バッド・ホフマン

出演-ポール・ニューマン、ジュリー・アンドリュース、ギュンター・シュトラック、ハンスイェルク・フェルミー、モート・ミルズ、キャロリン・コンウェル

 

前作「マーニー」よりちょうど2年後に公開されたヒッチコックの新作。珍しく原作がないオリジナル脚本。東西冷戦下の西ドイツを舞台にした防諜スパイもの。

 

主演の二人はポール・ニューマンとジュリー・アンドリュース

ポール・ニューマンは当時若手No1男優の一人。この映画の前に「動く標的」が公開されたばかり。翌1967年に「暴力脱獄」、1969年「明日に向かって撃て」、1973年「スティング」という流れ。
ジュリー・アンドリュースは2年前に「メリー・ポピンズ」で初主演、翌1965年には「サウンド・オブ・ミュージック」と立て続けに大ヒットを飛ばしていた。

しかし総じて二人の演技も映画自体の出来もイマイチだった。
ヒッチコックお得意の材料満載のはずだがワクワク・ドキドキ感は皆無。ラストのドンデン返しも無く、スマートさやユーモアもほとんどなし。

「知りすぎていた男」と少し似ている設定だが、あの映画では歌手のドリス・デイにしっかり歌わせ、さらにその歌声の中に物語の核心となる部分が含まれていたのだが、今回のジュリー・アンドリュースには歌うシーンは一切なし。せっかくのアカデミー賞受賞のミュージカル歌手を起用しているのに華がない。

 

ポール・ニューマンが農家の中で監視役の男を殺すシーンも長過ぎ。わざわざガスコンロに近づけて火をつけるのも回りくどすぎ。埋めた死体が発見され、殺しに協力した農夫の妻と旦那はその後どうなったのか?説明もなさすぎ。

 

ラストのバスによる国境越えもただの脱出劇のみでひねりがない。教授から聞き出した数式のメモを小道具としてもっと活かすことが出来たのではないだろうかと思った。

有名俳優あたりを配してヒッチコック監督作品として注目を集めただろうが、67歳になったヒッチコック、往年の作劇・演出力には衰えが目立つ。
 

以下Wikiより転載

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『引き裂かれたカーテン』(Torn Curtain)は、1966年のアメリカ合衆国のスリラー映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はポール・ニューマンとジュリー・アンドリュースなど。冷戦時代のドイツ民主共和国(東ドイツ)を舞台にしている。

長年ヒッチコック映画の音楽を担当してきたバーナード・ハーマンとは内容をめぐって対立し、以後完全に袂を分かった。このため、前作の『マーニー』がハーマンと組んだ最後の映画となった。


作品の評価
Rotten Tomatoesによれば、30件の評論のうち高評価は67%にあたる20件で、平均点は10点満点中6.49点となっている。 Metacriticによれば、8件の評論のうち、高評価は2件、賛否混在は6件、低評価はなく、平均点は100点満点中55点となっている。

赤ひげ

★★★★

1965年4月24日公開/モノクロシネスコ/185分/東宝・黒澤プロ/

製作:田中友幸・菊島隆三 原作:山本周五郎 脚本:井手雅人・小国英雄・菊島隆三・黒澤明 監督:黒澤明 撮影:中井朝一・斎藤孝雄 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎

出演-三船敏郎、加山雄三、山﨑努、香川京子、桑野みゆき、二木てるみ、根岸明美、杉村春子、土屋嘉男、江原達怡、頭師佳孝、団令子、内藤洋子、笠智衆、田中絹代、藤山陽子、三井弘次、左卜全、渡辺篤、野村昭子、三戸部スエ、菅井きん、

 

前作「天国と地獄」から2年2ヶ月ぶりの黒澤明の新作。

「ヒューマニズム映画」らしく、私は見るのを長らく敬遠していて、今回が初見。

結論としてはもっと早くに見ておけばよかったと思った。

 

江戸時代後期の実在した小石川養生所を舞台に、貧しく病む者と懸命に治療する医者との交流を描く。所長に赤ひげ・三船敏郎。その弟子となって成長していく若い研修医に加山雄三。

 

3時間5分もある長編で途中にインターミッションが入る。

暴論を吐けば、前半の山崎努と桑野みゆきの話をすべてカットしたら、もっと見やすく面白くなったろうとの印象。

 

貧しい長屋に住む山崎は、自分の大工仕事で得た金をすべて住民に与えて慕われていた。そうなった経緯を回想で語られていくのだが、山崎と惚れ合って結婚した桑野が大地震の直後に失踪、再会すると赤子を背負っていた。桑野は実は許嫁がいて、山崎との生活があまりにも幸せすぎて怖かった。なので地震の後、逃げて許嫁と結婚したのだと言う。そして自ら刃を胸に突き刺して死んでいく。山崎は死体を部屋の横に埋めて、罪滅ぼしのために働いた金をみんなに与えていた。死の直前に長屋の住民達に告白して、息絶えて死んでいく。

 

山崎は一つも悪いことをしていないのに、死んだ桑野の供養のために、お金を恵んでいた。いま一つ、納得できない設定だと思えた。小津の「秋日和」(1960年)に佐分利信の娘役で出ていた桑野みゆきは熱演しているし、前作「天国と地獄」の犯人役で黒澤に気に入られた山崎を抜擢しての起用だとおもうが、今ひとつだった。風鈴の使い方は素晴らしかったが・・・。

 

後半の二木てるみの話が圧倒的に面白い。

人を信用しない、猜疑心の塊である、芸者置屋の板の間掃除役の二木が、加山雄三との関係の中で少しづつ感情を取り戻していく過程が丁寧に描かれていく。

二木はこの演技でブルーリボン賞の助演女優賞を当時史上最年少である16歳で受賞したのも頷ける。

 

ただ普通に戻ってからの演技が、いかにも子役の演技ぽっさとクサい台詞回しが目立ちイマイチだった。しかし後半は絡んでくる頭師佳孝とのやり取りで救われる。当時10歳だった頭師はのちの黒澤初カラー作品「どですかでん」(1970年)の主役に抜擢されているが、長回しでのその演技は天才的に上手い。

 

また杉村春子の白塗りの老婆女郎やら、その頭を大根で叩いたり、米びつをかかえる野村昭子やら、ベテラン女優陣のキラリと光る演技が可笑しく印象に残る。

 

三船の、地廻りとの対決シーンの爽快さ。刀を持たず素手で相手の腕を反転させるところなど、後年のTVドラマ「必殺仕置人」(1973年)の山崎努演じた骨接ぎ師は、これが元ネタだろうと思われる。

 

ラスト近くに出てくる笠智衆と田中絹代の起用は、それぞれ1963年、1956年に死去した、小津安二郎と溝口健二監督へのオマージュでもあったらしい。

 

以下Wikiより転載

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『赤ひげ』は、1965年(昭和40年)4月3日に公開された日本映画である。東宝配給。監督は黒澤明。主な出演は三船敏郎、加山雄三。モノクロ、東宝スコープ、185分。

原作は山本周五郎の『赤ひげ診療譚』(新潮社ほか)で、江戸時代後期の享保の改革で徳川幕府が設立した小石川養生所を舞台に、そこに集まった貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者との交流を描く。決して社会に対する怒りを忘れない老医師の赤ひげと、長崎帰りの蘭学医である若い医師・保本登との師弟の物語を通して、成長していく若い医師と貧しい暮らしの中で生きる人々の温かい人間愛を謳いあげた映画である。
第39回キネマ旬報ベスト・テンで第1位に選ばれたほか、第26回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞などを受賞した。

本作の舞台となった小石川養生所とは、享保7年(1722年)に、小川笙船の意見で現在の東京都文京区の小石川植物園(作中に登場する薬草園は現存する)の一角に徳川幕府が建てた医療・福祉施設で、貧しい者や老人たちに施薬し治療を行う機関であった。『赤ひげ』で描かれている時代は、それからおよそ100年後の文政年間である。

黒澤明監督が「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意を込めて作り、シナリオ執筆に2年、撮影に1年半もの期間をかけて制作した。

なお当初は1964年(昭和39年)末に封切予定であったが、制作の遅れから不可能となり、代わりにゴジラシリーズの『三大怪獣 地球最大の決戦』(本多猪四郎監督)が制作された。公開予定が延期に次ぐ延期となり、この作品でプロデューサーを務めた田中友幸は責任をとって「3回辞表を書いた」と語っている。

物語は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を基盤としているが、後半のおとよ(演:二木てるみ)の物語はドストエフスキーの『虐げられた人びと』をベースに、山本周五郎の原作とは異なり、同作品に登場する少女ネリーを元にした映画オリジナルの設定人物となっている。

また保本登の両親役には笠智衆と田中絹代がキャスティングされたが、黒澤は、自身の先輩である小津安二郎監督作品の看板役者であった笠と、溝口健二作品に多数出演した田中を自らの映画に出演させることにより、2人の日本映画の巨匠監督への敬意を込めたと語っている。

撮影にあたっては、成城にある東宝撮影所にほど近い30,000平方メートルの敷地に、表門、役人詰所、病棟、賄所に至る30数棟、延べ3,000平方メートルを越す広さで「小石川養生所」のセットが建てられた。映画の時代背景は享保年間からおおよそ100年後の文政年間の頃(保本登が長崎でオランダ医学を学んだとすると、シーボルトが来日した文政6年以後でないと史実に合わない)なので、当然セットは100年の古さを出すために古い質感を出す努力を怠らなかった。室の壁から廊下の板も磨いたりしながら、必要以上にある時は無駄と思えるくらいにセットを磨き込んだという。その人間が生活している環境が浮き彫りにされないと、その人間が描けないとして、セット造りにはキメの細かい質感、人間の生活の染み込んだものが要求されたという。黒澤は当時すでに世界的巨匠としての評価を確立していたことから、本作の撮影中に、アメリカからピーター・オトゥール、シドニー・ポワチエ、カーク・ダグラスなどがセットを訪ねている。

タイトルロールの「赤ひげ」を演じた三船敏郎は、白黒映画にもかかわらず本当にひげを赤く染めた。なお、劇中では薬品のため赤っぽく変色しているという説明がされるが、原作では「ひげが赤いわけではないのに何故か赤ひげと呼ばれている」という設定である。三船は髪の毛と髭を自分で脱色したが、この薬品は皮膚や髪を傷め、使うたびに気分が悪くなったという。それを1年半もの間続けている。この演技で『用心棒』に次いで2度目となるヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞したが、三船にとってこれが最後の黒澤映画となった。黒澤にとっても最後の「白黒映画作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となり、翌1966年(昭和41年)に東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。

題名は『赤ひげ』であり、三船が主演であるが、ストーリーは加山雄三が演じる保本登を中心に進行していて、三船の台詞は少ない。物語の最初が小石川養生所に入る保本の後姿であり、ラストも赤ひげに随って小石川養生所に入って行く保本の後姿である。

評価
原作者の山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめた本作は興行的に大ヒットを収め、この年の日本映画の興行収入ランキング第1位となった。批評面でも高い評価を受け、海外でもいくつかの賞を受賞した。また、キネマ旬報が発表した、1999年(平成11年)の「オールタイム・ベスト100 日本映画編」で第67位、2009年(平成21年)の「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で第106位に選出されている。
なおミュージシャンの高橋幸宏は、日本映画で最も好きな作品として本作を挙げている。

受賞
ヴェネツィア国際映画祭    1965年    金獅子賞        ノミネート
男優賞    三船敏郎    受賞
サン・ジョルジョ賞        受賞
国際カトリック映画事務局賞        受賞


ゴールデングローブ賞    1965年    外国語映画賞        ノミネート


モスクワ国際映画祭    1965年    ソ連映画人同盟賞        受賞


ブルーリボン賞    1965年    作品賞        受賞
主演男優賞    三船敏郎    受賞
助演女優賞    二木てるみ    受賞


毎日映画コンクール    1980年    日本映画大賞        受賞
男優主演賞    三船敏郎    受賞


キネマ旬報賞    1980年    日本映画監督賞    黒澤明    受賞


フォトグラマス・デ・プラータ    1967年    外国映画俳優賞   三船敏郎    受賞

加山雄三はこの『赤ひげ』に出演するまで、加山は俳優を続けようか辞めようか悩んでいたが、本作の出演をきっかけに生涯俳優として生きていくことを決意したという。加山の本作品への参加により、1964年は加山の主演シリーズである『若大将シリーズ』の制作が見送られた。
 

「色情狂」役の香川京子が、加山に言い寄るシーン。
 このシーンは香川が言い寄るように加山に身を預けながら、右の袖を左に回して、左手で右からの袖を掴んで引っ張ると、加山の胸と両腕が間に挟まって身動きが出来ず、そして右手でかんざしを首筋に突き刺す場面である。これは黒澤明が3日間で考え出した案で、男が女に身動きが出来ないようにされるという設定で、撮影当時助監督にテストさせると本当に動けなくなって監督はご満悦であったという。


おくにを演じた根岸明美は、10分近い長い台詞を本番1回でOKにした。しかし本人はそのラッシュのフィルムを見ている最中に、撮影中のことを思い出し感極まって、試写室を飛び出してしまった。以来、映画本編を一度も見なかったという。
 

 二木てるみと頭師佳孝とが逢う場面で、1カット6分という長いカットシーンがある。2人は撮影現場で見ていた者らが涙ぐむほどの名演で、黒澤は百点満点だと絶賛している。
 

 井戸に向かって施療所の賄婦たちが叫ぶシーンでは、効果を出すために女優たちを鉱山に連れて行って叫ばせた。また、井戸の上から下までパンするシーンでは、水面にカメラが写らないよう特別な工夫がなされている。

後半部分のベースとなったドストエフスキーの『虐げられた人びと』。
この作中人物は、やがて同作家の『カラマーゾフの兄弟』中の「無垢な子供の苦しみ」というテーマに発展し、これは黒澤の本作品にもそのまま借用されている。黒澤が原作とは直接関係のないこのテーマを作中に持ち込んだ背景には、前作『天国と地獄』が社会に引き起こした反応に対する黒澤の自責の念があったと見ることもできる。


森半太夫役の土屋嘉男は、役作りのために減食して4、5キログラムほど体重を落としていたが、撮影の長期化に伴い空腹に耐えられなくなり、三船に相談したところ「隠れて食べればいい」と助言された。その後、黒澤の誕生日会でご馳走を目にした土屋は三船に「監督の目の前でも食う」と宣言して食べ始め、黒澤も自身の誕生日であるため食べるなとは言えなかったという。土屋は『三大怪獣』への出演も予定されていたが、本作品の撮影が長期化したことにより降板している。


杉村春子が演じた憎まれ役である娼屋の女主人・きんが、養生所の賄婦たちに大根で殴られるコミカルなシーンがある。賄婦を演じていた女優たちも既にベテランであったが、杉村はその上を行く彼女達の大先輩に当たる存在で、大根で殴るとき遠慮してしまいNGが連発され、撮影のために用意していた大根がすべてなくなってしまったことがある。


黒澤はこの作品の制作費の調達のために抵当に入れていた自宅を売却することになった。

社長紳士録

★★★★

 

1964年2月29日公開/カラーシネスコ/95分/東宝/

製作:藤本真澄 脚本:笠原良三 監督:松林宗恵 

撮影:西垣六郎 音楽:山本直純 美術:阿久根巌
出演-森繁久彌・小林桂樹・加東大介・三木のり平・フランキー堺・司葉子・新珠三千代・左卜全・久慈あさみ・草笛光子・田崎潤・英百合子・中村伸郎・京塚昌子

 

前作「社長紳士録」から2ヶ月後に公開された続編。

鹿児島から新潟に舞台を移して、森繁社長は芸者・新珠三千代と密会、寸止めで撃沈となるいつものパターン。

一方、小林桂樹の実家に嫁として入った司葉子の元には、同郷のフランキー堺が転がり込んで、「うんにゃ、うんなゃ」の大騒動。

 

芸者役で京塚昌子が出ていて、三木のり平との掛け合いがまた見どころだ。
「関取みたいだ」とか、「それで相撲の解説でもしてんだろう」「どいてくれよ、向こうが見えないから」など、いくら酒の上とはいえ、セクハラ連発であるが、京塚昌子は全く意に介さない。どうしても後年のテレビドラマ「肝っ玉かあさん」のイメージが強いが、実像では数々の浮き名を流したようだ。

ラストは森繁新社長の海外視察お見送りパーティーという設定で、主演の森繁久彌が、藤本真澄プロデューサー、笠原良三、千葉泰樹、青柳信雄、杉江敏男、松林宗恵ら脚本・監督陣と握手していく。

シリーズに出演した俳優陣も正装して蛍の光を歌って森繁久彌・久慈あさみ夫妻を送り出し、東宝黄金期を支えた人気シリーズを、大団円で見送って行く。


社長シリーズはこの時点で21作。設定は違うが、毎回ほぼ同じメンバーで同じようなストーリー。作る側はマンネリを危惧したであうし、一方で東宝側では、植木等主演の『無責任』『日本一』シリーズ、クレージーキャッツの『作戦』シリーズがヒット。映画界はやや斜陽化してきたが、まだまだ余力がある段階で花道を選択し、クレージーにバトンを渡そう、という趣だったのではないだろうか。

しかし公開後、全国の映画館主から終了を惜しむ声が上がり、シリーズは継続することとなった。この作品で終われば伝説にもなったかもしれないが、実質的な最終作となった1970年2月に公開された「続・社長学ABC」までの6年間の間、12本の作品が作られ、その間三木のり平とフランキー堺が降板、小林桂樹も歳をとってきたため秘書課長にとどめておけず、重役に抜擢されるなど、従来の設定が変わっていったのだった。

 

以下Wikiより転載

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『続・社長紳士録』は、1964年2月29日に東宝系で公開された日本映画。カラー。東宝スコープ。

概要
『社長シリーズ』第21作。本作は、森繁久彌演じる小泉社長が親会社の「大正製紙」の社長になり、海外視察に行くまでを描く。

当初は本作をもってシリーズが終結することが決まっており、ポスターや新聞広告では「さよなら社長シリーズ」と記載され、更にラストのパーティーのシーンでは、過去シリーズに関わったスタッフや出演者が多数カメオ出演しており、その席上、小泉社長は「長らくご覧になりました『社長シリーズ』は…」と述べていた。だがファンの希望などで、結局シリーズは継続することとなる。

ビデオソフト化されていたものの廃盤となるが、2014年9月22日にDVDマガジン『東宝 昭和の爆笑喜劇』(講談社)の一環として、初DVD化された。