沖縄に行ったとき、
数々の壕(ガマ)をみてまわった。

沖縄戦の最中、何日もガマの中で生活し、
この今がいつまで続くか分からない不安と絶望でいっぱいだったと、
昨日のことのように語っていたおじいさん。
快活だけれども戦争の音と味を経験したその足に続く自分たち足は、
何を経験したんだろう。

ガマを出るとき彼は言っていた。

この光がね、当たり前のものでないと思ったんですよ。
どうか皆さん方は忘れないでほしい。


もう10年近く前の記憶なんだろうか、
ターナーさんのレグルスという作品をみて、
おじいさんの言葉を思い出した。




眩しさ
ローマの英雄武将レグルスは戦争の際捕虜として捕らえられ、
牢獄に繋がれ瞼を切り落とされた後、
再び地上へ戻りその目は焼かれ失明したという



2013.12.16
そろそろ閉幕する東京の英国画家ターナーの展覧会。

理髪店を営む父は、
こぼれたミルクを用いて絵を描こうとする息子の才に幼少期から気づき、
通りに面する窓に洗濯はさみで止めては数シリングで売り、
近所の人々に将来息子は画家になるんだと豪語していたんだとか。

14歳で美術学校に入学し、
17歳にはロイヤルアカデミーへの出展を許された、
パンテオン座、オックスフォード・ストリート、火事の翌朝
という作品を手がけた。

22歳には、
月光
を手がけ、
26歳にはロイヤルアカデミーへ若くして選ばれる。

古代ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネイス』を愛読し、
ディドとアエネアス
という古代ローマの風景画が荘厳な背景に描かれてあって、
両人が結ばれる狩りに行く直前の場景なんだとか。

44歳ではじめてイタリアに行った彼は、
同国出身の詩人バイロンの著作に尚感化し、
絵画の表現を用いて、
みる人の感情を揺さぶろうと、
絵画に合った詩を刺しいれることもしばしば。


展覧会には彼の晩年の作品もあった。
人の一生手がけたものが2時間そこらでみることはできても、
何が観察できたんだろう。



ターナー
ボーツマス港に拿捕されたデンマークの2隻を描いたもの
みたものを描かねば
という姿勢が強かったらしいターナーさん。
逸話らしいけれども老年になっても、
荒れ狂う海上へは自らをマストに縄でくくりつけそれを経験し、
あそこにはもう行きたくないと極寒の地へも身を運んだんだとか



2013.12.15
さっきまで削っていた木屑は木片から離れ床に触れると不要なものとなり、
スープも皿からこぼれると汚れとみなされる。

木屑もスープも実質は何も変わらないのに、
ただこちら側の感じ方が変わるだけで、
汚れと感じられる。

時と場合によって汚れなんて姿かたちをよく変えているんだと思うと、
自分の中には幾つの汚れがあるんだろうかと思う。


$5udaのブログ-汚れ
美というのもなかなか見つけづらいものなのかもしれない
気持ち次第で美も汚れにみえることもあるんだろう
美を心内にたくさん持つことができるなら、
それ相応のものを日常の中でもみつけられるのかもしれない


2013.12.9
おばちゃんがこないだ英検5級に合格しました。
戦前英語を学ぶ機会のなかった彼女は、
夫と母の介護の終わりに糸の切れた凧のような気持ちになったそうでけれども、
そこで学び舎に行く決心を。

学友たちは難病を抱えていたり、
戦前戦時中のさまざまな困難を抱えた人たち。

ガンジーの
明日死ぬと思って生きなさい
永遠に生きると思って学びなさい
との言葉が響いたらしい。

学ぶことは何かを標(しるし)を作っていくんだろうか。

血のつながりはないけれども、
こんなおばあちゃんがいてなんだか嬉しくなった。


$5udaのブログ-標
インドのコルカタに行ったとき、タゴールの生家のある大学へふらっと立ち寄った
設備もままならないそこの図書館では、
机の両端を自ら覆うほどの本に囲まれながら学んでいた学生たちがいた



2013.12.5
「1900年」というタイトルの伊映画。
幼馴染の農夫と地主の友情が、
当時のファシズムや共産主義、社会主義の中で暮らす人々の生活を、
双方の視点から描き出されていた。

5時間以上の内容だけれども、
なんだか名画のような光景が続くような映画だった。
主義主張のはじまりとおわりってなんなのか分からないけど、
その垣根を越えるのは人のつながりなんだろうか。

若いとはいい何でもよくみえる
と語った老婆の言葉がなんだか最後のシーンで残った。

いつになってもみられる映画なんだろうと思う。



$5udaのブログ-1900年
カミーユ・ピサロさんの絵画のような光景がずっと続いていた
芸術はどんな時代でも生きている


2013.12.2
三島由紀夫の「美しい星」の中で、
原子力で人類を滅亡させるべきかどうかに関して
二人の対立する人間に語らせた
人類の「3つの欠点」と「5つの美点」があった。



3つの欠点とは、

事物に対する関心(ゾルゲ)
人間に対する関心
神に対する関心


に対して5つの美点とは、

「地球なる一惑星に住める
  人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾った。
彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑った。
  ねがわくはとこしえなえなる眠りの安らかならんことを」

5つの美点を翻訳するなら、
(この人は相手が上記では分からないだろうと皮肉を込めて訳していた)
以下になるという。

彼らはなかなか芸術家であった。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用いた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによって辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代わりにせめて時間に不忠実であろうと試みた。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知っていた。


いろんな単位で絡まった問題が単位の尺度に合わせて直面するのだろうけど、
5つの美点のような生活は日常を少し彩ってくれるだろうと。


$5udaのブログ-ゾルゲと美点
モンドリアンの赤と黄と青のあるコンポジション
余分なものはいらない、
あるのは線と面と色だけらしい




2013.12.1
永保ち(ながもち)するものにいつからか拘らなくなった。
引越しなのか、
年齢なのか、
環境なのかは知らないけど、
よく物に執着なく捨てるようになった。


そんな頃から、
たちまちに消えてしまう音楽だとか、
すぐに枯れてしまうような生け花、
別段今も興味はないけれども長いこと時間をかけて作るお茶に興味を持ち始めた。


でも、すぐ消えてしまう花火は昔から好きだったような。
幼少期に場所は覚えていなくても、
山々と湖に囲まれた麓でみたナイアガラの滝という花火の肌に響く迫力は、
真下でみていたせいかなんだか首の痛みと共に思い出す。


最近、Alexey Kljatovさんという方が、
雪の結晶をうまく撮ったんだとか。
色合いとか均等の取れた形は永保ちしないんだろうけど、
冬の花火という別名があってもいいかもしれないと勝手に思った。


http://500px.com/chaoticmind75


それにしては小さいか。




2013.11.29
今日の社説に病院での赤ちゃんの取り違えをテーマにした
「そして父になる」が取り上げられていた。

社説はこの取り違えから、

実際に46年前起こった取り違えと、
一昨日判決の出た60年前の取り違えを記事にしていた。

前者は後に当人が4歳の時点で発覚したため解決したが、
後者は当人が60歳になって病院側に非を認められ、3600万の賠償金が言い渡されたとか。


後者の彼は生きた両親と対面することなく、
取り違われた子は裕福で教育熱心な家庭に育ったというのだから、
その格差を考慮した上での判決だったらしい。


生みの親と育ての親というけれども、
実際対面すると子の気持ちを想像するのはなかなか難しい。


「王子と乞食」や「あの道この道」などの作品は、
確か彼らの意思で自ら取り違えたのではあるけれども、
生活環境をそっくり交換するという意味では、
交差する部分が多い作品だったような気がする。


なんの作品だったか、
2人の母親を持てるなんていいじゃないか、
というセリフがあったけれども、
そこには「親」との関係性だとか、
過ごした時間の密度が否応なしに説得力をもつんだろうか。



$5udaのブログ-取り違え
密接な間柄には割り切れない問題が多くあるのかな
そんなときでも花を飾れる余裕がほしい



2013.11.28
窓を開けるとぶわっと冬の匂いを風が運んできた。

冬の匂いは瞬間に白一面の幼少期へ連れて行ってくれるし、
歩くとなんだかぎいぎいと足の裏でも冬を感じる錯覚になる。

よく2階建て以上の建物のない村田舎で、
こんな時期になると雪のかけらを口いっぱいに受け止めた。

歯に触れて、
口の中に入る頃には溶けてしまうこのかけらは、
この瞬間いつまでも続く無限のようなものに感じた。


匂いのある故郷は、
たちまちに自分を少年らしくする。



$5udaのブログ-冬
おとなになったらばい菌にしかみえないのだけど



2013.11.27
馬を懐柔する方法に、
最初に乗った馬に角砂糖でつるに限るという人がいるんだとか。
次に乗るときもそれを馬は覚えているから、
今日も言うことを聞けば角砂糖をもらえると。

三島由紀夫のエッセーにこんなのがあった。

仕事が道楽だ、などという人があるが、
本当にそこまでいけば仕事と角砂糖は同じものになる。
しかし、そうもいかぬときは、
人間は馬とちがうから、
自分で自分に角砂糖を与えるすべを知っている。
仕事の後の角砂糖を楽しみに、イヤイヤ仕事に精を出す。
そのうちに、角砂糖と仕事が転倒してしまい、
人生は、
仕事のおわりの角砂糖のためにあるような気がしてくる。

そして、
仕事終わりに8時間勤務した仕事なんだか何やら、
角砂糖なしにはやりきれない、
みんな角砂糖を欲しい顔をしているんだとか。


$5udaのブログ-角砂糖
習慣は怖いもので、
恐ろしくみえていたものも、
いつの間にか身近でかけがえのないものにもなる



2013.11.26