Shikata ga nai
と海外からは評価されるらしい、
しょうがない。
仕方がない。

自己犠牲的なものだというこの言葉には、
だからと言って海外の評価ほどマイナス思考なものでもないのかと。


理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、
避けられない事態に直面したりしたさいに、
粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句、とも。


悲嘆に暮れるぐらいなら受け入れられるしょうがないこそ重宝すべきだけど、
基準のないしょうがないを使うぐらい危ないことはないのかと。


激しく感情を揺さぶられるようなことはしょうがなく受け止めたいし、
理性あるときにはしょうがない何かを昇華させれるならいいのに。


しょうがない
人生はクローズアップで見れば悲劇
ロングショットで見れば喜劇
と、チャップリンは言ったとか。

これを引用することこそ、
しょうがない精神が根付いているかもしれないけど、
結局楽しく過ごせる秘訣なんかと思う



2014.1.29
彼が映画デビューしてから100年になるらしい本年、
そんなことを聞いたら昔読んだチャップリン自伝を思い出した。

どんな内容かなんて覚えていないけれども、
笑いで独裁者や権力者のうそや高慢さを吹き飛ばす快活さに、
胸打たれたことは覚えているようで。


風刺がベースらしい彼の作風は、
難しいことを考えていた彼の雰囲気など全くなく、
笑いがすべてだったんだとか。


難解な言葉を並び立てたとしても、
相手に理解されなければその価値は半減してしまうんだろうか。


きっとそんなこともお構いなく、
単純に笑いが彼が好きだったんだろうかも。

笑いのない日は、
無駄にされた日と言っていたみたいだし。


笑いはどんな環境をも変えられる力だし、
それが自分自らつむぎ出せるなら、
環境を創り出す才能でもあるのかも。




チャップリン
あなたの最高傑作はなんですか?と聞かれ、
彼は度々、
私の最高傑作は次回策だ、
と言い切っていたんだとか。



2014.1.28
砂(いさご)長じて巌となる、
つまり、小石は長い年月を経て大きな石になる、
という言葉があるらしい。

古代の人々は石は成長すると信じていた、
と補足であったけれども、
個人的には夢があっていいなと思う。


ただ砂はいつまでも砂でしかないんだから、
わざわざ巌になる必要もないのかと。


砂同士では大きくなれないのなら、
水が砂には必要なわけで。


薬剤師しながら会社経営で成功している人たちと出会って、
他の畑で生活している人たちの日常はなんだか刺激的だった。


巌
巌と厳の違いは環境なのかな


2014.1.27
先日、ゼログラビティという映画を見に行きました。

https://www.youtube.com/watch?v=aE6o6WvObKk


凄まじい映像美と、
日常からかけ離れた現実がそこには存在していて、
息つく暇もない時間が流れていました。


sもーく
自分のよごれた息で長いこと息のつまっていた後でついでに
自由な空気を吸うような人です。

とは、ホーソーンの『緋文字』の一節だけれども、
そんなことを感じてしまう映画でした。


2014.1.26
「ポゼション」というホラー映画を最近見たのだけど、
どうしても人は未知なもの(経験したことないもの)に
恐怖や驚きを感じるのだなと再認識。

インドにはナヴァ・ラサ (人間の9つの基本的感情) というものがあるらしく、
バヤーナカ (恐れ)、ビーバッサ (嫌悪)、アドブタ (驚き)というのは、
ホラー映画が満たしてくれる人間の基本的感情なのかも。
こんな世界、自分は知らなかった、という。


恐れや嫌悪、驚きというのは、
人を窮屈にするものじゃなくて、
拓いていくものなのかもなと、ホラー映画をみて思ってしまいました。


未知
見てきた物や聞いた事
今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう

the blue heartsの「情熱の薔薇」にはそんな歌詞があった


2014.1.25
嫌なことがあれば、
それは皮肉にも卑屈にもなっていいんだろうけど、
それがどうも続いてしまうと精神衛生上よくないような。

続かない程度に理性ある上だったら、
いくらでも皮肉屋になればと思う。

結局感情的な落胆や慰め、憂鬱なものたちは、
きっと小悪魔みたいな形をしていて、
24時間その人をいかに困らせるかを伺っているのかも。
だからそんな時間というのは、
そいつらに餌を与えるだけで、
返って彼らの欲望を満たしてあげる代償として時間というお金を失うこともあるのかも。


井上靖さんがどういう文脈で使ったかは知らないけど、

努力する人は希望を語り、
怠ける人は不満を語る

と言ったそうで。



ただ不満を語っているようでも、
他の人が希望をもてればそれは尚更いいことだと思った。


皮肉
先日会った彼は宇宙飛行士を目指していた
理系の修士を取得し、
理系の会社にも勤めているから準備は整っているんだとか



2014.1.24
またまた三島さんの本だけれども、
『幸福号出帆』という本を読みました。

異父兄妹として育った男女をめぐる珍騒動と二人の純愛を描いた作品で、
密輸に手を染めるイタリア人混血の兄敏夫と、
オペラ歌手志望の妹三津子の異父妹が様々な恋愛模様や珍騒動を越え、
逃避行の旅へ出帆する物語に。

現実とオペラ「カルメン」が交錯するスリリングな展開の中に、
歌子という大物歌手や敏夫の愛人房子、
オペラ界のさまざまな人間模様が入り混じり、
その中でも兄妹のまま永久に終わらない愛に旅立つ男女の純愛と呼ばれる作品が
描かれているんだとか。


彼ら登場人物の強い内的な自己主張が克明に描かれているもんだから、
作品を読んでいる読者にしては、
物語の中にまた物語があり、さらに物語があるという、
二重構造、それ以上の仕組みになっていて、
作品自体を盛り上げているのかも。


物語の主人公たちもまた「カルメン」の人たちも欲した日々は、
オペラ的なものかもしれないけど、
オペラ的なものというのは日常をあくまではしょった後の
劇的で展開がはっきりしていて、
喜怒哀楽が物事とともに思い出になり、
他者にも同情されやすい形になっているのかな。


オペラなような出来事が日々起こっているものならそれは面白いけれども、
やっぱり日常がどこかしらそこの接着剤となって存在していて、
日常の過ごし方で非日常への繋がり方も変わっていくのかも。


オペラ
「あれになろう、これに成ろうと焦るより、
 富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。
 世間へ媚びず に、世間から仰がれるようになれば、
 自然と自分の値打ちは世の人がきめてくれる」
とは吉川栄治の『宮本武蔵』の一節だっけか。



2014.1.23
朝起きてから判断というのは本人に付きまとい、
夜寝るまで更には夢の中まで判断を迫られることだってある人だって。

快活な判断、
躊躇する判断、
いろんな判断があるんだろうけど、
感情の判断であってはいくらたってもその判断は迫られるのかもしれないと。
それは姿形をかえて。

だけれども、
いくら理性の判断だったとしても、
これから、ということに対しては悩むものなのかも。

そんなとき、
むやみに悩ませ困らせることがあるなら、
それは判断ではなく、
その人の行く末を阻む大したことないものなのかも。

今日この一瞬のことで悩み困り果てるなんてもったいないし、
かといって果てのない先に悩みつかれる必要もないんだろうかな。

今日、今月、1年、10年といろんな単位で考えてみては、
結局その中のひとつの単位でしかみられなくなることが多いから、
あちゃこちゃ考え始めることだって。
そんな日は単純に疲れてる日に限るのかもしれない。

自分の両肩には小人の小天使と小悪魔が乗っていて、
いろんな助言をすることだってあるかもしれないけど、
そんな日に限って大事な日々のことが疎かになっていることだって。

判断にはそんな一瞬の決断でなく、
淡々と何かを続ける中でできる仕業なのかも。


判断
モネ晩年の作品
人の一生ばかり観察して勝手に好きになっている時分だけれども


2014.1.21
こないだ会った知り合いに時間についてどう思うか、
という質問をされた。


彼はこのグラスをみながら、
限られた時間を有効に使うべきたと言っていた。

だけれども、
そのグラスに穴が開いているかもしれない。

そのグラスも小人がみたらとてつもなく大きくみえても、
巨人になってみてみたら、
同じ高さのグラスだと思っていた隣のグラスは、
実は谷の深いところからにょっきと出ている場合だってあるのかと。


先の見えないことに不安を感じる必要もないけれども、
有限されているといって時間を狭くする必要もないのかと。

習慣によってその時間というのは、
増えもするし減りもするのかな。


グラス
生活を楽しくするところに
時間の過ごし方もちょっとは変わるのかも


2014.1.19
いい習慣とわるい習慣の線引きというのは難しいのだけれども、
それというのは人によってその習慣の働き方が異なってしまうからなんだろう。

ただ感情のままに過ごしてしまえばわるい習慣になるのかもしれないのかな。

理性のみで毎日過ごすことなんてできないけれども、
習慣化されてしまえば窮屈にも思わなくなるのかもしれない。

案外どんな状況であっても、
やりたくないときにやり続けられれば、
もしくはやり始めれば、
それはいい習慣のはじまりなような。

感情くんには一喜一憂せず感受性豊かであってほしいし、
理性くんには常識豊かに淡々とあってほしいかも。

やりたくないとき
先日上野の美術館でモネをみてきました
愛する妻を30代で失った彼は、
悲嘆に暮れながらも絵画の表現をしていたみたいです


2014.1.18