朝起きてから判断というのは本人に付きまとい、
夜寝るまで更には夢の中まで判断を迫られることだってある人だって。

快活な判断、
躊躇する判断、
いろんな判断があるんだろうけど、
感情の判断であってはいくらたってもその判断は迫られるのかもしれないと。
それは姿形をかえて。

だけれども、
いくら理性の判断だったとしても、
これから、ということに対しては悩むものなのかも。

そんなとき、
むやみに悩ませ困らせることがあるなら、
それは判断ではなく、
その人の行く末を阻む大したことないものなのかも。

今日この一瞬のことで悩み困り果てるなんてもったいないし、
かといって果てのない先に悩みつかれる必要もないんだろうかな。

今日、今月、1年、10年といろんな単位で考えてみては、
結局その中のひとつの単位でしかみられなくなることが多いから、
あちゃこちゃ考え始めることだって。
そんな日は単純に疲れてる日に限るのかもしれない。

自分の両肩には小人の小天使と小悪魔が乗っていて、
いろんな助言をすることだってあるかもしれないけど、
そんな日に限って大事な日々のことが疎かになっていることだって。

判断にはそんな一瞬の決断でなく、
淡々と何かを続ける中でできる仕業なのかも。


判断
モネ晩年の作品
人の一生ばかり観察して勝手に好きになっている時分だけれども


2014.1.21