学生時代からこの国はなんか変だという違和感を感じながらその理由を考えていたわけですが、結局、「米領ヤプーランド(ヤプーネシア)」だからだという結論に達しました。
上級ヤプーは、この国を「ヤプーランド」化することが使命なので、とにかくまやかしの上にまやかしを重ねるということを続け、下級ヤプーを「まやかしの黒い霧」に包んでしまって「何がなんだかわけが分からない状態」にしています。
ヤプーランドの一般大衆(下級ヤプー≒虫けら)は、ほぼテレビから(最近はYoutube動画からも)海外情報を注入されるので、「何がなんだかわけが分からない」世界観を脳内に構築されてしまいます。
まやかしテクニックの一つとして、海外から流入する外来語の意味を少しづつずらして訳したりすることによって何がなんだかわけが分からなくするという手法があります。
「民主制(政)」と訳すべき「デモクラシー」を「民主主義」というずらし翻訳して広めたりしたのも、意図的なまやかしだったのではないかと疑っています。
「民主主義とは何か?」と問われて即座に答えられるヤプーがいったい何人くらいいるでしょうか?
なぜ、国名にちゃんと民主主義と言う言葉が入っている「朝鮮民主主義人民共和国」が「民主主義国」と思われてないのに、「日本国」という国家体制不明瞭な国名のヤプーランドが「民主主義国である」とされているのはなぜなのでしょうか?
原文が英語なのを上級ヤプーがかなり都合よく改変して作成されたらしい「日本国憲法」は、大日本帝国議会で大日本帝国憲法の改正として天皇の勅令によって公布された「欽定憲法」なのに、そのことがまやかされています。
「欽定憲法」を米国に都合のいいように改悪しようとしている極右ヤプー勢力の方がよほど「不敬」なのではないかと思うのですが、ネトウヨヤプーとかはアメリカニゼーションされた「ヤプー国粋主義」を信じ込まされているようです。
「ネオリベラリズム」を「新自由主義」と訳したり・・・。
今までは、ヤプーランドのヤプーのように権威に盲従・盲信する態度のことを「権威主義的」と表現することが一般的だったのに、最近になって反欧米諸国の政治体制を非難するために使用されるようになりました。
ホアン・リンスとか言う政治学者は今まで全然顧みられなかった御用学者らしいのですが、独裁制としか言いようのないスペインのフランコ体制を「権威主義」と表現してソフト化するというヤプー的な思考をしているようです。
ヤプーランド政府が、意味不明な「スタンドオフ能力」などと言って米領ヤプー軍の予算を拡大するなどということは、「国連憲章旧敵国条項」にも「ヤプーランド憲法9条」にも抵触するのに、国会でそのことを問題にする政党はほぼありません。
米・中・朝・ロ4カ国の核ミサイルの射程圏内にあるヤプーランドのヤプー(家畜や虫けら)のくせに、身の程を知らないにもほどがあると言われるのは当然でしょうし、下手をすると「唯一の水爆被爆国」にもなりかねません。
自分たちがヤプーにされていることを知らなければ、どうすればそういう悲惨な身分から抜け出せるのか考えることさえないでしょうから、上級ヤプーはそのことを「まやかしの霧」に包んで長年にわたりまやかしてきたのではないかと推測しています。
まあ、もうすでに敗戦から80年近く経過して「旧大日本帝国臣民」は完全にヤプー化してしまっていますし、その方が楽なので、どうでもいいのではないでしょうか?
ただし、ヤプーランドは米国に大きく依存していますので、最近ついに有り得ない方向へ爆走しつつある米国にこれ以上追随するのも危険な状況になりつつあるので、多少は考えたほうがいいかもしれませんが、もう手遅れでしょう。
ヤプーランドを再び「大日本帝国」に戻してしまおうという危険な右翼勢力の魑魅魍魎が跳梁跋扈している状態で、「ヤプー身分」から解放してやろうという国が全然ないことは「国連憲章旧敵国条項」の削除を一国も批准してないことから明らかです。
日本列島原住民が「ヤプー」という「妖怪人間」のような身分から解放されることは「日米安保レジーム(日米同盟)」及び「国連レジーム」が継続する限り望めないでしょう。
妖怪人間って、ヤプー(=日本人)のことだったんですね・・・。
ありがとうございます






