現在の日本には各種の「まやかし語」がたくさんあるように思います。
「民主主義」という言葉にずっと違和感を持っていたのですが、橘玲氏のブログ記事を見て「目から鱗が落ちる」ように感じました。
日本は憲法及び法律等による制度的な面では民主制なのですが、第二次世界大戦後のほとんどの時期は、1955年にCIAが仲介して作った自由民主党がほとんどの時期政権を独占し、マスメディアとともに国民をまやかしていました。
選択の自由をなくすことにより事実上の1党独裁が長年続いている「美しいまやかしの地」に「自由」とか「民主」とかあるはずないのに、ないものをあると信じる能力によって物質的繁栄を享受しているというのが実態でしょう。
そもそも天皇制(君主制)を存続させているので、「天皇」は英語で「皇帝(エンペラー)」と訳されますから「日本帝国」としなければおかしいのですが、政体を表現せずに「日本国」としているのもまやかしでしょう。
国名さえもまやかしている国が、国(くに)といえるのかも怪しいのではないかと思うのですが・・・。
「Democratic People's Republic of Korea」を「朝鮮民主主義人民共和国」と訳すのも民主主義を意味不明化する一種のまやかしなのかもしれません。
日本のインテリ(≒高学歴者)には案外と○○がいますから、単に誤訳しただけかもしれませんが、
国名からしてまやかしですから、日本社会はまやかしで成り立っているようなものなのでしょう。
日本文化の中核部には「都合の悪いことはまやかす」というのが昔から伝統的にあるみたいで、現在でもマスメディアのスピン報道や偏報道は日常当たり前のように行われているようです。
イスラエルはデモクラシー(民主制・民主政)国家としては教科書的なのですが、現在していることはシオニストカルトによる非人道的な弱者大量虐殺です。
デモクラシーが必ずしもいい結果をもたらすものではないという例として、最も民主的な憲法のもとでナチスが選挙で政権を掌握したことがしばしば挙げられます。
現在の米国の状況を見ても、デモクラシーというシステムは、結局、有権者次第で天使にも悪魔にもなりうるシステムだということなのでしょう。
賢者が三人寄れば文殊の知恵になるが、○○が三人寄れば○○の三乗になるだけだということなのかもしれません。
完璧に論点がそれてしまいましたが、現在の日本では「民主主義」というのは一種の宗教のようなものになっているような気がします。
私もお寺の檀家なので一応仏教徒なのですが、最近になって下の本を読むまで天国と極楽の違いを知りませんでした。
そもそも、神主の筆頭者である天皇が飛鳥時代からお寺の檀家になってしまって、神仏習合という摩訶不思議なことが普通になったので、日本人の多くは神社の氏子でお寺の檀家というたぶん他の国ではないのではないかという変な動物です。
「民主主義」という言葉は、大正デモクラシー(民本主義)になじんでいた極楽と天国の違いを知らないレベルの旧式インテリが、デモクラティズムとデモクラシーを混同したのかもしれません。
あるいは、意図的にまやかし翻訳をして意味不明にしようとしたのか今となっては謎なのですが、私はそちらの方が事実に近いのではないかと勘繰っています。
要するに、「日本(帝)国」の実態は、北朝鮮と同レベルの「民主主義」である「お上絶対全体主義国家」なのをまやかしているとしか考えられません。
気づかれないように人民をアリくらい(重量で約1千万分の1)に無力化するという政策が世界で最も成功しているのは「日本(帝)国」だと思います。
人口が1億2千万人いても、アリ換算すると12人分くらいのパワーしかないでしょう。
アメリカ合衆国は、事実上二つの政党しかない「二党独裁国家」であり、マスメディアを駆使して「人民アリ化(無力化)」を進めていますが、失敗しているとしか思えないので、その点からいうと「失敗国家」と言えるのかもしれません。
ありがとうございます