ここが変だよ日本人⑨ 日本人は魚などの水産動物に対しては無限に残虐である | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

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 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 日本文化の特徴だと思うのですが、日本人は魚など海産物に対しては無限に残虐になれるようです。

 

 

 

 

 YouTubeで探してみると、よくこんなサディスティックなことができるなとあきれるほどの残虐映像のオンパレードです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切り落とした頭がぴくぴく動くのを面白がったり、胴体を切り刻まれたタイが動くのを見て喜んだり、生きている魚を凍結したり、胴体を骨だけにされたアジやドジョウのひれが動いているのを自慢したり、サディズムの権化のような残虐ぶりです。

 

 

 

 

 まだぴくぴく動いているヤマメの踊り食いというのもありましたが・・・。

 

 

 

 

 

 私はさすがにこれを食う気にはなりませんが・・・。

 

 

 

 

 日本人は魚などの水産動物(イルカ・クジラ含む)に対しては同じ生き物としての共感性が全くないので、どんなサディスティックで残虐無比なこともできてしまうようです。

 

 

 

 

 

 いくら「脱亜入欧」とかで欧米化を目指したり、「アメリカニゼーション」でアメリカ化しても、これはおそらく縄文時代以来の基層的な文化であり、日本人のアイデンティティのようなものですから、そう簡単には変わらないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 第二次世界大戦中、捕虜を処刑・殺害するようなときに「人間と思うな、魚と思え」とか言っていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 欧米人から見ると、日本人の魚などの海産物(クジラやイルカ含む)に対する残虐無比のサディストぶりに義憤を感じるようで、そういうのを文化の違いとして認める気は今のところあまりないみたいです。
 
 

 

 
 
 もうだいぶ前のことですが、オーストラリア人はかわいいカンガルーを食うくせに、日本人がクジラを食うのは残虐だと言って捕鯨に反対しているというニュースを見て、そのダブルスタンダードぶりに唖然とした記憶があります。
 
 
 
 
 文化の違いというのはそういうものなのでしょう。
 
 
 
 
 まあ、私もクジラの肉は子供のころに給食で食べた記憶があるのですが、靴底の皮かと思うほど固かったのを覚えていますので、食べたいとは少しも思いませんし、捕鯨には反対です。

 

 

 

 

 このように、結構欧米と日本では大きな文化の違いがあるわけですけど、最近の急速なグローバル化の進行により、和食の店も世界中出店しているので、最近では欧米人も慣れてきつつあるかもしれません。

 

 

 

 

 外国でも「ぴくぴく活け造り」とか出しているのでしょうか?

 

 

 

 

 私が子供のころには欧米人が箸を使って和食を食べるようになるとは思ってもいませんでしたが、現在では日本人よりも箸の使い方がちゃんとしている欧米人も結構いるそうですので、欧米が日本化して海産生物に対して残虐無比になるかも・・・。

 

 

 

 

 と思ったら、そうなりそうにはありません。

 

 

 

 

 

 動物虐待で警察に捕まるかも・・・。

 

 

 

 

 現在進行中のイスラエル軍によるパレスチナ人ジェノサイドも共感性のなさが生み出すものだろうと思うのですが、ユダヤ教の選民思想ではユダヤ人以外は皆「ゴイム(ブタ)」らしいので、パレスチナ人は家畜としか思ってないのかもしれません。

 

 

 

 

 日本人の魚などの水産動物(クジラ・イルカ含む)に対する感覚と同じような感覚なのかも・・・。

 

 

 

 

 もともと「ホロコースト」というのは、ユダヤ教で神殿への生贄の家畜を黒焦げになるまで焼くことだったそうで、ナチスドイツのユダヤ人迫害をそう呼ぶようになったのは。強制収容所でユダヤ人の死体を焼却炉で焼いたことからのようです。

 

 

 

 

 

 現在、仏式の葬儀では火葬が一般的なので日本人は何とも思いませんが、終末に死者が復活することを信じるユダヤ教・キリスト教・イスラム教などのアブラハムの宗教では土葬が一般的であるため、火葬は残虐行為と映るらしいです。

 

 

 

 

 

 文化によって何が残虐行為なのかの基準が異なることもあるようなので、そのような文化の違いを知っていないと非常に頓珍漢な間違った判断をしでかす危険性もあるでしょう。

 

 

 

 

 しかし、現在のイスラエルはユダヤ教でも特に過激なタカ派のカルト的な政党が政権を掌握しているようなので、ガザのパレスチナ人に対する残虐行為は世界中から非難されているようです。

 

 

 

 

 世界中から非難されているイスラエルを米国政府は援助し続けるという、世界基準から見ても異常なことをしているわけで、米国内でも全国の大学で学生の反イスラエルデモが頻発しており、バイデン政権はついにネタニヤフ政権への警告を発しました。

 

 

 

 

 

 レーガン政権以降、中東の米軍を「中央軍」と名称変更するなど、米国は自国が「エルサレムを世界の中心とするカルト国家」であることを明確化していたのですが、私も最近までそれに気が付きませんでした。

 

 

 

 

 

 日本には「郷に入っては郷に従え」ということわざがありますし、欧米でも「ローマではローマ人の様にせよ(When in Rome, do as the Romans do)」というのがあるそうです。

 

 

 

 

 しかし、米国は、軍事力や経済力やプロパガンダ能力に物を言わせて「郷に入っては米国の様にせよ」とするので、一部(?)の国・地域からは「スカンク」と見なされているようなのですが、日本ではなぜか愛好(?)されているようです。

 

 

 

 

 米国はいまだにヤード・ポンド法を日常使っていたり、国民の四分の一くらいは進化論より創造論を信じていたり、民間の銃器所持数が異常に多いなど、世界基準から見て異常な国なのに、米国の異常性が日本人にはわからないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界基準から見ると日本人の海産生物(クジラ・イルカ含む)に対するサディスティックな残虐性は異常なレベルのようなのですが、まったく無頓着ですし、宗教に関するいい加減さも世界基準から見ると異常なレベルのようです。

 

 

 

 

 

 文化的には「彼も知らず己も知らず」の状態みたいで、異常と正常の区別が他の文化圏とずれている部分があることを自覚しないと、欧米でもなく、非欧米でもない「世界の孤児」或いは「絶海の孤島」となる危険性があるでしょう。

 

 

 

 

 

 いっそ鎖国した方がいいのではないかという意見もあるようですが、エネルギー・産業資源のほとんど、及び食料の大部分を海外に依存している日本が今さら鎖国できるわけがありません。

 

 

 

 

 結局、グローバル化した世界での高度な世渡り術を身に着けるしかないでしょうけど、そのためには現在の「彼も知らず己も知らず」の状態を脱却することが最優先課題でしょう。

 

 

 

 

 現在の文科省教育では全然ダメみたいですので、寺子屋や私塾を復活させた方がいいのかもしれません。

 

 

 

 

 

 もともと慶応大学など私立学校は私塾が起源なのですが、政府の助成金と引き換えに文科省(旧文部省)の教育指導要領を受け入れているため公立校と教育内容はあまり変わらないみたいなので、私学としてのユニークさがなくなっています。

 

 

 

 

 「グローバル世渡り術」に特化した学校が必要なのではないかと思うのですが・・・。

 

 

 

 

                 ありがとうございます