ここが変だよ日本人① 神社の氏子でお寺の檀家でメリークリスマス ⇐何者なのか? | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 最近、目からうろこが落ちまくっていて、一体何枚くらいのうろこが目を覆っていたのかと唖然とするくらいです。

 

 

 

 

 が、「目からうろこ」というのが、新約聖書からきているということを知って、もう一枚目からうろこが落ちました。

 

 

 

 

 

 日本人の多くは、おそらく支配層が意図的にそうしている部分も多いと思うのですが、何十枚ものうろこで目が覆われていて、「見れども見えず」状態なのではないかと思います。

 

 

 

 

 そもそも、日本人のアイデンティティ自体がかなり奇妙なものだということに最近気が付きました。

 

 

 

 

 私もそうですが、キリスト教などの信者以外の多くの日本人は神社の氏子でお寺の檀家という場合が多い(というか田舎では普通)のではないかと思います。

 

 

 

 

 日本では当たり前のことですが、キリスト教圏やイスラム教圏などの一つの宗教の信者であることが当たり前の地域の人から見たら、非常に奇妙に思えるのではないかと思います。

 

 

 

 

 今でもしているのかどうか知りませんが、誕生や七五三でお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で行い、葬式はお寺で行うとかいうのは、日本人の大部分はおかしいとは思わないでしょう。

 

 

 

 

 日本人の感覚からすると、キリスト教のように洗礼も結婚式も葬式も、つまり「冠・婚・葬」を同じ教会でするというのはなんか変な感じがするのでは?

 

 

 

 

 山本七平氏のいう「日本教」とは違うのですが、アニミズムを基本としてその上層に神道や仏教やその他を混合したテキトーな宗教(?)が「日本教(ジャパニズム)」なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 しかし、他国の、特に一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)の信者が大多数である国・地域の人から見ると、何がなんだか訳が分からないでしょう。
 

 

 

 

 そもそも、日本国憲法に日本国の象徴と規定されている天皇は、八百万(やおよろず)の神々を祀る祭祀王であり、全国の神主(かんぬし)の総元締めであるにもかかわらず、お寺の檀家でもあります。

 

 

 

 

 

 

 6世紀の仏教公伝以来、 神祇信仰 (神道)の総元締めであるはずの天皇家は仏教徒でもあるという、二重の宗教アイデンティティを持つことになりました。

 

 

 

 

 

 平安時代以降は、平家物語で有名な後白河法皇のように、天皇を退位した上皇が出家して僧になるというのが当たり前になったみたいです。

 

 

 

 

 

 以降、神仏習合という現象により、何が何だかわけが分からなくなりましたが、一般大衆は理屈などはどうでもいいので、ご利益がありそうなものはなんでも信仰していたようです。

 

 

 

 

 

 

 現在、ニューエイジ系、スピリチュアル系のよくわからない宗教のようなものが大流行みたいで、「アセンション」というよくわからない言葉がはやっているようなのですが、日本は迷信の吹き溜まりになっているのではないかという気がします。

 

 

 

 

 余談ですが、秋篠宮家の二人の内親王はなぜかICU(国際基督教大学)に入学していますが、日本人の多くは特におかしいとは思わないようです。

 

 

 

 

 

 

 内親王の場合、結婚したら皇族ではなくなり、「国民」になるみたいですので気にすることもないのでしょうけど、まだ皇族の状態でキリスト教系の大学というのもジャパニズム的です。

 

 

 

 

 

 国の象徴が多重宗教アイデンティですから、国民が、氏子で檀家でメリークリスマスでスピ系とかいう、何がなんだか訳が分からない超多重宗教アイデンティティをそれほどおかしなことではないと考えるのは当然でしょう。

 

 

 

 

 日本人のこういういい加減でテキトーな宗教アイデンティティ(そもそも宗教アイデンティティというほどのものが無い?)が他宗教に寛容な風土をもたらしているのかもしれませんが、宗教的に厳格な人々からすると人間扱いされないかもしれません。

 

 

 

 

 

 実はアブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)は旧約聖書を共通の聖典としており、同じ唯一神を信仰する宗教であることを、私も最近まで知りませんでした。

 

 

 

 

 

 どうしてこういう基礎的な知識を学校でちゃんと教えないのか不思議でなりません。

 

 

 

 

 19世紀の米国のマーク・トウェインの小説「トム・ソーヤの冒険」を読むと、当時の米国の子供は聖書を丸暗記させられ、日曜日には教会の日曜学校でキリスト教の勉強をさせられていたようです。

 

 

 

 

 現在の米国のキリスト教福音派は、このようなキリスト教国家への回帰を熱望している宗派らしいです。

 

 

 

 

 

 こういうのは日本人には理解不能な非論理的カルトだと感じると思うのですが、日本人の場合は「アニミズム+ウルトラ世俗主義」であり、逆方向にカルト的で非論理的なので、カルトという意味ではほぼイコールになってしまうのではないかと思います。

 

 

 

 

 「アラビア遊牧民」の取材のためにイスラム教に改宗したという朝日新聞OBの本多勝一氏はそのような典型的な日本教徒(超ご都合主義)の一人だと思うのですが、山本七平氏との論争では日本教徒であることを否定し続けたようです。

 

 

 

 

 

 

 それ以前の著書などを見ると、本多勝一氏は無神論の社会主義者なのではないかと思っていたのですが・・・。

 

 

 

 

 イスラム教徒は基本的に他宗教に改宗したり、棄教したりできないようなのですが、本多勝一氏は現在もイスラム教の信仰(一日5回のメッカへの礼拝など)を続けているのでしょうか?

 

 

 

 

 要するに、「日本教」の「実体」の大部分は「超ご都合主義的世俗主義(空気を読む・ご時勢に従う・お上に逆らわない・出る釘は打たれる)」であり、神道(国家神道・教派神道)や仏教その他の宗教はその「上着」に過ぎないのでしょう。

 

 

 

 

 日本人は宗教アイデンティティと言うものが無く、精神的実体がプランクトンというか、原始生物のように変幻自在で可塑性に富むというか、超テキトーなものであり、ただただ周囲に流され、変形してゆく存在でしかないようです。

 

 

 

 

 自分自身の価値判断の確固とした基準がないので、自分たちより高度であると認識した文化(昔は中国で現在は欧米)をマネするしかないのでしょうが、単に上着の部分をマネるだけなので、中身は変わりません。

 

 

 

 

 ですから、山本七平氏が主張するように『日本人は無意識の日本教徒なので、日本人のキリスト教徒は「日本教キリスト派」でしかない』と言うようなものになってしまうのでしょう。

 

 

 

 

 要するに、日本人が普通と思っていることが、日本以外では普通ではないということがたくさんあり、その逆もたくさんあるということですが、長年の文化的慣習であり、今後もそう変わらないでしょう。

 

 

 

 

 どちらかというと日本は「普通の国ではない」みたいですし、世俗化しているとはいえ、キリスト教徒が多数派である欧米とは全然価値観を共有してないと思うのですが・・・。

 

 

 

 

               ありがとうございます