日本の現状は「新しい戦前」ではなくて「新しい敗戦の目前」なのではないかと思う | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

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 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 日本の政治家も官僚も3.11の大ショック後頭がおかしくなったとしか思えないようなインパール作戦的な自滅政策を繰り返しています。

 

 

 

 

 

 

 経産省は、あんな大事故を起こした国の原発を導入する国があるわけないのに外国に売り込んで東芝がガタガタになるというほぼ自滅的な政策を進めたり、あろうことか山林の樹木を伐採してメガソーラー発電所を作るという訳の分からないことを全国で行ったり・・・。

 

 

 

 

 アベノミクスというのも現在のようなスタグフレーション(インフレ+不況)をもたらすだけだという経済学者の警告を無視して決行するという、自滅的な金融政策だったわけですし・・・。

 

 

 

 

 タモリ氏の「新しい戦前」という言葉が広まっていますが、「新しい戦前」というより、孫子の兵法の真逆の「戦わずして負ける」という「新しい敗戦」の目前の状況にあるのではないかというのが私の感覚です。

 

 

 

 

 

 ソビエト連邦も軍事的に敗北したのではなく、米国との軍拡競争と「計画倒れ経済」による極端な物不足に国民が耐えられなくなった結果、欧米資本主義国家連合(NATO)に屈服したというのが実態でしょう。

 

 

 

 

 多数の犠牲者を出して(或いは人類滅亡?)敗戦に至るより、ソビエト連邦のように「戦わずして負ける」ほうが「善の善なるもの」なのかもしれませんが、敗北の事実を認めてダメージを最小にし、マイナスをプラスに転換するような「知恵」を持っていないと単なる悲惨な戦後をもたらすだけでしょう。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees2001/2002/31/2002_31_107/_pdf

 

 

 

 

 上掲の記事によると、ソビエト連邦崩壊後のロシア連邦では平均寿命が年金受給年齢以下にまで下がったそうです。

 

 

 

 

 市場経済化で一攫千金を果たした一部のオルガルヒを除くロシア国民の多くは、家庭菜園(ダーチャ)でジャガイモや野菜などを自給自足してなんとか餓死を免れたそうです。

 

 

 

 

 プロの将棋の棋譜を見ても、まだマスが空いていて手持ちの駒がある状態で勝負が決まるのを見て、まったく素人の私には、もう勝負がついているのかと驚くのですが、負けが分かった時点であっさりと認めるというのがプロなのでしょう。

 

 

 

 

 日米安保条約をよく読めば有りもしない米国の日本防衛義務があるように妄想したり、これまたありもしない米国の核の傘をあると信じ込んだりして、ないものを根拠にして政策を決めるというような頭がおかしいレベルの防衛論は全く無意味でしょう。

 

 

 

 

 これまでの記事で書いてきたように日本は米国にはもちろん実体的にずっと負けっぱなしの状態が続いているのですが、国連憲章敵国条項などにより、国際法上は国連加盟国のすべてに負けっぱなしの状態です。

 

 

 

 

 全面戦争になれば、周囲の大国には軍事的には一瞬で敗北することは、冷静な軍事の専門化なら理解できるはずです。

 

 

 

 

 

 この国の多くは論理的な冷静な判断を無視して感情的な方向へ突き進むというのが伝統的なメンタリティのようで、敗北を認めようとしないので、都市空襲や原爆被爆などでの無用な犠牲を第二次世界大戦で多く出してしまったとしか思えません。

 

 

 

 

 「一億玉砕」とか「一億総特攻」とか、自分はする気も全然ない連中が部下に命令したり、国民を煽ったりして多数の国民を死なせ、戦後はくるりと反転して「民主主義者」になったのがマスコミや政治家にはたくさんいたようです。

 

 

 

 

 現在の上級国民も事実を認めようとせずに隠蔽し、国民に対してはマスメディアを通してありとあらゆる方法でまやかしており、敗戦以前からのそういう低級人の後裔ばかりのように思えてなりません。

 

 

 

 

 そういう要領のいい低級人(いわゆるヒラメ)ほど上層へ出世するという戦前以来のシステムが戦後も続いてきたのが諸悪の根源のように思います。

 

 

 

 

 官僚は戦前の1940年体制確立以来そういうタイプの人間で構成されており、その構成メンバーは戦後もずっと継続していることを野口悠紀雄氏が主に経済の視点からですが、指摘しています。

 

 

 

 

 

 

 経済的にはすでに「新しい敗戦」直前の状況にあるとしか私には思えませんが、上級国民は第二次世界大戦末期のようにそれを認めようとはしないでしょう。

 

 

 

 

 「一億総活躍(≒一億総動員?)」とか言い出した段階で、すでに負けとるなーと思いましたが・・・。

 

 

 

 

 

               ありがとうございます