単純な二元論(デジタル)思考がいかにおかしいか考えてみました | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

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 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 ほんとかどうか知りようがないことではありますが、IQ(知能)検査を統計的に意味のある十分な程度の多数に行った場合、いわゆる正規分布になり、グラフにすると左右がほぼ対称形の下図のような形になるそうです。

 

 

 

 

 

 同一集団内の0点から200点までの100点を真ん中にして左側が点数の低い方へ、右側が点数の高い方へ個体数の棒グラフを作るとそうなるらしいです。

 

 

 

 

 二元論でいえば、100点を境として左は○○、右は利口ということになりますので、「普通」が100点ちょうどの一人しかいないことになります。

 

 

 

 

 何億人の中の一人とかは、いないも同然ですので「普通人」のいない〇○と利口だけの二元論世界になるでしょうけど、「普通の人がいない→普通じゃない→異常な社会」なので、あまりにもおかしいということにならないでしょうか。

 

 

 

 

 一般的には100点の前後の最も数が多い範囲である60%くらいを「普通」とみなして、ざっくりと、それより右側20%を「利口」、左側20%を○○と分類するようなので、三元論的な見方をするようです。

 

 

 

 

 資本家⇔労働者とか、保守⇔革新とか、天使⇔悪魔とかの二元論的な社会観はあまり正確ではないと思います。

 

 

 

 

 実際には、資本家⇔雇われ経営者⇔プチブルジョア⇔労働者とか、反動⇔保守⇔革新、ユダヤ教⇔キリスト教⇔イスラム教⇔ヒンズー教⇔仏教などの多元論的な状況がどこでも見られるのではないかと思います。

 

 

 

 

 人口も増え、職業もどんどん専門分化し、かつまたコンピュータなどのテクノロジーの発達も加わって、現在は超多元論的な複雑系社会になっているような気がします。

 

 

 

 

 また、時間の経過でそれぞれの立ち位置が微妙に変化したりする(ガラケー⇔スマホ、非正規社員⇔正規社員、若者⇔中年⇔高齢者など)ので、単純な二元論的な解釈ではとても理解できるような代物ではないと思います。

 

 

 

 

                ありがとうございます