犯罪の抑止力
つかまる・つかまらないというこの世的なことではなく、やはりできない。
実際は人を殴ることさえ、難しい。
それで「やるぞ!」と決めるのです。「やるぞ!」と言ってもまだこれは妄想です。この妄想が具体化すると、興味がわいてくるのです。「殺人は面白いな。マ
スコミも騒ぐだろうな。みんな騒ぐだろうな。俺はこれを見てひっひっひっと笑っていればいい。よし、いつかやるぞ!」と決めると、現実に人殺しをやってしまうのです。
最初に考えたことは妄想です。何段階も進んで、妄想がふくらんできて、具体化して「行動する」というアクションに変わるのです。
最初は妄想です。普通は妄想がわいても「これはよくない妄想だな」「こんなことをしたら大変だ」と思って打ち消します。
犯罪を犯す人間の特徴は「俺は捕まらない」と思っているのです。だからやるのです。犯罪者は「自分は捕まらない」と思っているのです。もっと言うと、捕まるまでやってしまうのです。
「この1件は捕まらなかった、だから俺は次の事件を起こす」と思うのです。そして、次の事件を起こします。そして、捕まるまでやってしまうのです。ドロボウもそうです。1件で止めておけばよいのですが、「あのときは捕まらなかったな。もっと他の物もかっぱらってやる」と思って、どんどんエスカレートして
いくのです。
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破滅するまでやってしまう。
藤本義一も「人生卍(まんじ)狂区」
いろんな警告を発している。
元々、井原西鶴に詳しい人
いろいろと世間を渡る上での問題が出てくる。
最初は妄想です。ドロボウの場合、「あれが欲しいな。でもお金がないから買えない。どうしたらいいかな。そうだ、かっぱらえばいいや」これは妄想です。
現実のことをリアリティーといいます。妄想のことをバーチャルリアリティーといいます。我々は妄想から始まって、現実に終わります。すべての行動の原点は妄想です。
「この真理を知りたい」これも妄想です。「本当の因果関係を知りたい」これは、バーチャルリアリティーです。実際に真理に向かって進む出すと、先ほどの原理で進むのです。
例えば、「本当の御本尊について知りたい」と思えば、あちこち飛び回るようになるのです。これが松本勝也です。御本尊を探して、全国を歩いたのです。最初は妄想です。「真実を知りたい」というバーチャルリアリティーです。妄想が進んでいくから、最後はリアリティーに変わるのです。
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この世が(自分にとって)真実でない世界であるのは事実
いずれこの世を去るのだから。
だからこの世に真実を求めると
「おかしいじゃないか、キチガイめ」となる。
前提が間違っている。
『バーチャルリアリティー』
この世の構造は、ホログラムやゲーム画面
電気のかわりに、神の念エネルギーによって投影されている(作られている)世界。
諸行無常、諸法無我
すべてのものは移ろいゆく
すべてのものにはエゴがない
魂の経験、信仰、愛(与えた愛と与えられた愛)
そういったものが実在
事実なんだが、受け入れるのはなかなか困難
人類史上、最大の愛を与えたのはイエスでしょう。
アラーへの信仰ならマホメット
阿弥陀如来への信仰なら親鸞
ダルマを説いた智慧と慈悲
釈尊は偉大だねー。
愛を、人類への影響力と言ってもいい。