イスラーム世界の歴史3 アラビア半島の支配者 3  マホメットの勝利が確定 | たこなぐりの宗教ブログ

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627年、マッカのアブー・スフヤーンはユダヤ教徒と同盟を結んで再びマディーナに来襲した。
この時、ムハンマドはアラビア半島では前例のない奇策をとる。マディーナの町の周りに塹壕を掘ったのである。

マッカの騎兵は塹壕を突破することができず、三々五々撤退していった。
このときの戦いは「塹壕」を意味するアラビア語にちなみ、「ハンダクの戦い」と呼ばれる。

 

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塹壕を掘ってもアメリカの戦車には通用しない。

自爆攻撃、神風(アッラーの風)しかない。

ゲリラ戦の遺伝子を持っているみたい。

イスラム国も正体不明

アメリカやイスラエルが作ったという説も有力

インテリジェンス(国際謀略)の世界

 


ハンダクの戦いのあと、ムハンマドはマディーナ周辺に残っていたユダヤ教徒のクライザ族を粛清し、放逐したユダヤ教徒たちの拠点であるハイバルを攻め落とした。
ハイバルの住民は信仰を維持することこそ認められたものの、以後、ムハンマドを中心とするウンマ(イスラーム共同体)への服従と貢納が義務づけられた。
他にも至るところのオアシスへ次々に遠征軍が派遣され、各地の町やベドウィンの諸部族は続々とムハンマドへの忠誠を誓った。

 

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塹壕を掘るのはコロンブスの卵だが。

マホメットが啓示を受けたか、過去世の智慧がわいたか。

 

 

628年、マッカの有徳者同盟はムハンマドの打倒がもはや不可能であることを悟り、ムハンマドの圧力に屈して「フダイビーヤの和議」を受け入れた。
これによってマッカとマディーナの相互不可侵や、ムスリムによるカアバへの巡礼が認められることになった。
ウフドの戦いでムハンマドを苦しめた猛将ハーリドや、マッカ随一の策略家であるアムル・イブン・アルアースらも相次いでイスラームに帰依した。
マッカの指導者アブー・スフヤーンや、ムハンマドの叔父のアッバースも一族の女性をムハンマドの妻として差し出した。

かくて機は熟した。

630
1月、とあるムスリムの若者が殺害されたことをきっかけに、ムハンマドはフダイビーヤの和議を破棄し、1万の軍を率いてマッカに進軍した。
圧倒的な大軍を前にマッカは戦わずして降伏した。ムハンマドはヒジュラより8年を経て、とうとうマッカ帰還を達成したのだ。

 

「真理は来た! 暗黒は去った! 無明無知の時代は本日ここに終わりを告げる!」

ムハンマドは聖域カアバに並ぶ無数の偶像を次々に打ち倒し、ただひとつカアバの片隅にあった漆黒の隕石だけを、遠い昔に預言者イブラーヒームが安置した聖遺物だと認定した。
これが「カアバの黒石」として今も知られるものである。


西暦630年は「遣使の年」といわれる。
いまやムハンマドの勢威はアラビアに並ぶものがなく、半島のあらゆる部族が「預言者」ムハンマドに使者を遣わして忠誠を誓った。
天賦の才ある孤児は、ついにアラビア半島の支配者にまで上り詰めたのである。

 

*

勝てば預言者

負ければキチガイ

天界の神々(高級霊)の応援があるけど。

なかなか大変じゃわ。

イエスやその弟子たちみたいに、自分の命で宗教を購うというのもある。