[引用・編集]
[ひとり悟り・縁覚道 略]
古代から今にいたるまで、ヒマラヤの山中に篭り座禅瞑想し、小分の悟りを得て、誰にも会わず一人死んでいく隠者はいるはずです。人に知られないのだから、何人いたかなど知れるはずもないのですが、このような人達をインドでは聖者と言い、深く尊敬を集めていますが、むしろ聖者より隠者の方が正しい呼び方ではないでしょうか。
誰にも教わらないのに自然の飛花落葉を見て、一分の悟りを得るとは不思議な事ですが、三世の生命観に立てば、仏様は縁覚(独覚)の因果を明確にお説きになられています。
これらの者は過去世に、十戒を固く守り、見惑(全ての物に実体ありと考え、自分の我が常に存在すると考える事)を破して、無常・無我と悟った故であります。
十戒
① 不殺生
② 不偸盗
③ 不邪淫
④ 不妄語
⑤ 不綺語
⑥ 不悪口
⑦ 不両舌
⑧ 不慳貪
⑨ 不瞋恚
⑩ 不邪見
惑(迷い)には大別して三惑と呼ばれる、
① 見思惑(けんじわく・見惑・思惑)
② 塵沙惑(じんじゃわく)
③ 無明惑
があり、これらの惑を全部破して仏陀となる わけですから、見惑だけ破しても仏陀にはなれないのです。さらに思惑・塵沙惑・無明惑を破さなければならないのに、一分の悟りで満足してしまうから独覚とかいわれ、法華経が説かれる以前では、二乗(声聞・縁覚)は不成仏(未来永劫に成仏しない)として、お釈迦様より叱られたのであります。
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『思惑・塵沙惑・無明惑』て、なにかしら。
ひとり悟りは、なま悟り
仏教では師と弟子、教育を重視
老子の徒は各自、勝手にやる。
ネコみたい。
自分に満足してしまって、一切人の言を聞かないのです。仏陀の悟りがさらに上にあるのを知らないのです。そこで慈悲を発せられたお釈迦様はまず叱って、目を覚まさせる必要があったのです。
「お前は成仏しないぞ」と弾詞されたのでしょう。もう少し詳しくみてみます。
あとがき
管理人の悟りのレベル
十戒を固く守り?
見惑(全ての物に実体ありと考え、自分の我が常に存在すると考える事)を破す。
諸行無常と諸法無我はわっかたつもり。
洞窟にこもりたい。