無量寿経 62 胎生と化生の区別 | たこなぐりの宗教ブログ

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天国の描写
信仰のレベルによる生まれ方を問題にしている。
「善行をした者は天国に生まれ、悪行をした者は地獄に生まれる。」
これが基本
以下の記述も、活字として読めば、たいしたことは書いてない。
しかし死後、実際に自分が行く世界と考えたら。

(42) そこで釈尊は阿難と弥勒菩薩に仰せになった。

 「そなたたちは、その国の大地から天空に至るまでの間にあるすべてのものが、実にすぐれて清らかなことをよく見ただろうか 」

 阿難がお答えする。

  「 はい、その通りに見させていただきました 」
  「 ではそなたは、無量寿仏が、すべての世界に響きわたる声で教えを説き述べて、人々を導いておられるのを聞いたか 」
「 はい、その通りに聞かせていただきました 」
  「 では、その国の人々が、百千由旬もある大きな七つの宝でできた宮殿にいながら、何のさまたげもなく、ひろくすべての世界へ行き、さまざまな仏がたを供養しているのを見たか 」
  「 はい、見させていただきました 」

  「 ではまた、その国の人々の中に胎生のものがいるのを見たか 」
  「 はい、それも見させていただきました 」
*
『胎生のもの』『化生のもの』
(43)を参照
信仰のレベルによる違い

釈尊が仰せになる。
  「 その胎生のもののいる宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬という大きさで、みなその中でとう利天と同じように何のさまたげもなくさまざまな楽しみを受けているのである 」

(43) そのとき弥勒菩薩がお尋ねした。
 「 世尊、いったいどういうわけで、その国の人々に胎生と化生の区別があるのでしょうか 」

[胎生の説明]
 釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
  「 さまざまな功徳を積んでその国に生れたいと願いながら疑いの心を持っている者がいて、無量寿仏の五種の智慧を知らず、この智慧を疑って信じない。それでいて悪の報いを恐れ、善の果報を望んで善い行いをし、功徳を積んでその国に生れたいと願うのであれば、これらの者はその国に生れても宮殿の中にとどまり、五百年の間まったく仏を見たてまつることができず、教えを聞くことができず、菩薩や声聞たちを見ることもできない。そのため、無量寿仏の国土ではこれをたとえて胎生というのである。

[化生の説明]
 これに対して、無量寿仏の五種の智慧を疑いなく信じてさまざまな功徳を積み、まごころからその功徳を持ってこの国に生れようとするものは、ただちに七つの宝でできた蓮の花に座しておのずから生れる。これを化生といい、たちまちその姿を光明や智慧や功徳などを、他の菩薩たちと同じように、欠けることなく身にそなえるのである。

あとがき
管理人はあんまり興味がないので、引用のみ。