歎異抄 第14章-2 念仏さえ称えれば極楽へ往ける? | たこなぐりの宗教ブログ

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なぜならば、阿弥陀仏の光明に摂取され、一念で何があっても変わらない、金剛の信心を頂けば、生きているときに、いつ死んでも極楽往き間違いなしの正定聚の位に定まってしまいますから、死ねば必ず極楽へ往生して弥陀同体のさとりを得られます。
念仏を称えようと称えまいと、救われた後の念仏は、往生には何の関係もありませんから、一声の念仏で八十億劫の罪が消えることが問題にならなくなります。

*
キリスト・イエスへの信仰を固めれば云々
この説明はパウロの手紙を読んだ方がよさそう。

あなた方は信仰によって鉄の柱となれ、
青銅の扉となれ
不動の信仰を持つ者を
何者も打ち倒すことはできない

隆法先生の「信仰と愛」の言葉
そのまま信じると、生命・財産・人間関係を失うので注意

「信解脱」の段階
どれだけの霊格を確保できるか。
パウロや親鸞がトップレベルなのは間違いなさそう。
菩薩なので、始祖にはなれないが。
影響力や救済力はすごいねー。

信じること
私にはごく当然のことだが。
無神論者や唯物論者、唯脳論者にとってはハードルの高い修行かも。
とにかく「何を言っても、信じない」


では救われたら念仏は称えないのかというと、「阿弥陀仏の本願によらなければ、私のような助かる縁手がかりのない罪人が、どうして救われることができただろうか」と、命ある限り、阿弥陀如来の恩徳を報いずにおれない喜びから、御恩報謝の念仏を称えずにおれなくなります。

*
普通に暮らしていたら親に感謝しないか、親の名前を呼ばないか。
どのような状態であろうと
父母を求める幼子のように、「神よ、神よ」と神の名前を呼び続ける。

創造された(命を与えられた)ことへの感謝
地上を運行されたことへの感謝
永遠の生命を与えられたことへの感謝

コーランにも列挙されている。
「アッラー、アクバル(アッラーは偉大なり)」の功徳は。

いずれの宗教も
神仏を信じ
神仏を愛し
神仏と一体となる

「一体となる」となるのは霊的意味において。
信仰集団と霊的につながり、宇宙ステーションみたいになるんだって。
悪霊やサタンも手が出せない状態。
そういう功徳もあるかも。