文証・理証・現証に照らし合わせて宗教の正邪を判定する。
優れた考え方と思う。
そこで、ユダヤ教は大きな間違いを犯しているのです。ユダヤ教は、神の存在は認めますが、神が口をきいたというところがおかしいのです。何故、モーゼだけにしか神は近づいてこないのでしょう。モーゼが神の言葉として言った事は、本当に神の言葉かどうか、納得できるものもあれば、納得できないものもありま す。
例えば、「ウロコのない魚は食べてよいけれども、ウロコのある魚は食べていけない」など、納得できません。その他には「ひづめがある豚は食べてはいけない」など、そのような規定があるのです。それは「神が言ったのだ」と言いますが、神がそんな事を言うはずがありません。
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管理人は旧約の記述は知らない。
イスラムの戒律、これはいったいなんなんだろう。
マホメットの好みを言っているだけ?
人肉を含めてなんでも食べる中国人が合理的か。
孔子や老子も人肉を食べていた?
他の民族は豚を食べるのです。馬は食べてもよいのです。「何故なのか?」これは理証で考えて、理屈の上で納得できるものでないとダメなのです。文証・理証がともなっていても、更に大事なものは現証です。現証とは、現実に身におきてくることなのです。
「この教えを信じれば、貴方は幸せになれますよ」と言っても「離婚した」、「子供がグレて関東連合に入った」、「奥さんが浮気をして男をつくってしまった」など、或いは自分が病気になったなど、現実には幸せになっていないのです。これを現証というのです。
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果実を見ればその木がわかる。
KKに対する世間の反応。
信者の信仰心が足りないのか、教祖という根っこがくさっているのか。
両方正しいのか、両方誤りか(世間が悪い?)。
文証・理証が難しくても、現証を見たほうがいいのです。現証が大事なのです。「この宗教に入ったら病気が治った」これは、現証です。ところが邪教や、間違った宗教でも現証が出ることがあるのです。「初心の功徳」というのです。魔が人々をたぶらかせるために「おお、お前はよく第六天の魔王を拝んだな。よし、ご褒美をやろう」とポンとくるのです。それが初心の功徳です。すると「ああ、よい 宗教に入った! 本当に私の病気が治ったのだ」と思い、それから魔の弟子になってしまうのです。
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KKのおかげでいろんな宗教を研究するようになった。
オームにはいってヨガやギータの研究をしたり、阿含宗を知って仏典を読み始めた人もいるだろう。これは功徳でしょう。
KK会員に聖書やコーランをすすめても聞く耳を持たない。
仏陀が下生されて直説金口の法を説かれているのだ。
古い宗教は滅びるのだ。
これも正しい考え方。アンチは「洗脳されている」と批判するが。
邪宗教は初心の功徳を与える神通力は持っているのです。それを間違えてはいけないのです。邪教ですから、最初から悪いことばかり起きてくるわけではないのです。最初は良い事が起きてくるのです。だから、ますます深く信じるのです。しまいには、廃人になってしまうのです。廃人の道を一直線です。廃人になるか、奴隷になるか、どうしようもならない悲惨な最期を遂げるというのが現証です。
あとがき
バクチにおけるビギナーズ・ラックか。
そのあと深みにはまる。
画面の中の世界は退屈なので、いろいろとキチガイな経験をしたくなるね。
KK
信仰が崩壊すれば廃人(精心的な意味で)
熱烈は隆法先生の奴隷(カネヅル)
結論として、ヤコゼンが一番