隈本確先生が繰り返し言われている。
その宗教の教えは、
実在する神霊から出ているのか、人間の頭脳から生み出されたものか。
キチガイ度が増すほど、ポイントが上がる?
釈迦の説いたダルマ。
「誰も信じんでしょう」と、当初釈迦は思った。
テレビゲームの画面の中の世界(この世)と、実際の世界(あの世)は違うからね。
キャラクターの見る夢のお告げ。正しいか正しくないか、判定できないのでは。
宗教批判の原理があります。その中でよく使われる原理が「文証(もんしょう)・理証(りしょう)・現証(げんしょう)」です。ある一つの宗教を考える時に、「その宗教の正当性はなんであるのか?」という事が文証ということです。
「どうして、この宗教を信じているのか?」「文証に残っている、その正当性は何か?」ということです。誰かがいきなり始めた宗教ならば、「私が神様だ」というのですから文証がありません。新興宗教は、文証にのっとらないのです。
大山ねずの命神示教会は、風呂屋の親父が客の帰った後、風呂に板をかぶせて座って「わしゃ、神じゃ!」と始めたのです。何の文証もないのです。「どんな文章に基づいて、貴方は神になったのですか?」ということが文証です。
大川隆法も、何の文証もないのです。勝手に「霊言」と称するのです。幸福の科学の大学が不認可になったのは、「霊言は学問ではない」という理由らしいのです。「霊言をいくら研究しても、それは学問にならないというので、不認可になったのではないか」と本人が言っています。
ともかく、文証がないのです。では、「文証とは何か?」というと、仏教の文証は経典のことです。経典をきちっと勉強していかないと宗教の流れは分かりません。それをやられた人はあまりいませんが、隋の天台大師が文証の研究をしたのです。
末法においては、日蓮大聖人様が文証を完璧にされたのです。文証の予言に基づいて仏様が現れてくるのですから、釈尊の予言に基づいて天台大師は現れてきたのです。釈迦は、「私の死後、千年間は私の教えを聞いて成仏する人がいるであろう」と言いました。これが釈尊の文証です。
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同時代に教祖の肉声が聞けない悲しみ。
釈迦の言葉は残っているような、残っていないような。
学者が頭脳知で書いた内容も混じってくる。
霊界の実相を反映していないかも。
教祖の真意より、後世に書かれた経典を重視するって。
なんかおかしいね。
文証の定義が人によって違うような。
隆法先生は「本を読めば、それを書いた人間は仏陀であるとわかる」。
元嫁の悪口「トイレの跳ね返りや口が臭い」。これはどう説明するのかしら。
「虚業教団」によると
「もうすぐ高橋佳子の死亡記事が載るから、新聞をチェックしといて」と
隆法先生が秘書に言ったそうな。
現在は事実と確信している。
実現党幹部の発言や、「私が死ねと思ったらホントに死ぬと思うよ」と、何かの講義で言っていた。やはりキチガイだったのか?
文証・理証・現証
日蓮が宗教の正邪を見極めるために用いられた判定基準のことだって。
そしたらそもそもインド原産ではないのか。
800年経っているから。日本での信者数が非常に多いから。
それが日蓮宗(日蓮の発言)が正しいことの証明になるのか。
ホント、疑い出したらキリがないわい。
釈迦やイエスの言った言葉をそのまま全部書きとめたら、最強の文証になる?
そうとも言えないような気もするし。釈迦をキチガイ扱いした人も多そう。
イエスが殺されたのは有名。
いつもながら、わからんわからん。