コーラン 第53章 星の章 2 反省と祈りと信仰 自力と他力と信仰 | たこなぐりの宗教ブログ

たこなぐりの宗教ブログ

宗教の古典の紹介
この世での生活状況

以前のブログでは「仏教理論で説明すると」となっている。
偉そうに。

自力と他力のはなし

19~22.三女神(アッラート、ウッザー、マナート)の話
アラブの昔の信仰(無道時代)なので、どうでもいい。

23.三女神は、お前たちや祖先たちが名付けた(呼んでいた)ただの名前に過ぎない。アッラーはどんな権威をも、そんなものに下されなかった。不信心者は、虚しい臆測や私慾に従っているに過ぎない。既に主からの導きが、彼らに来ているのに。

唯一絶対神が啓示を下している今、先祖代々の信仰対象は完全否定される。そんなものはイワシの頭にしか過ぎない。
釈迦の魂の中核であるエル・カンターレが法を説いている今
法華経だの昔の宗教だのは、子供だましのレベルだ。

稲盛和夫と五木寛之の対談で
全部の宗教が集まって「啓典の決定版」を作ってほしい。
ものすごい仕事。現実にできるとも思えない。

24.それとも人間には、欲しいものは何でも手にはいるのか。

25.いや、来世も現世も、アッラーのもの。

26.天にいかに多くのに天使がいても、アッラーが望まれ、その御喜びにあずかる者にたいする御許しがでた後でなければ、天使たちのとり成しは何の役にも立たない。

唯一絶対神(社長)の前では、課長や部長は無力か。
前のブログではいろいろ書いているが、読むに値するのかしら。

[結論(仏教のつもり)]
26.霊天上界にいかに多くのに天使がいても、宇宙の理法(縁起、三法印ほか)を納得させるものでないと、天使の助けも功を奏さない。
救いや祝福にあずかる者(地獄霊)が、宇宙の理法に合致するものにならなければ、天使(神近き高級霊)のとり成し(救いの光)は何の役にも立たない。
縁がなければ、地獄霊を救うことはできない。

「心が変われば環境(地獄)が変わる」。これも縁起。
「アッラーの望み、思し召し」を得るには人間側の努力が必要。
この世で一番わかりやすいのは、コトバを正す努力らしい。
目に見えるから。
正語は正思や正念と違って、記録できる。
正しい言葉やきれいな言葉を語る。難しいけど。

反省と祈りと信仰
これ以外に宗教の教学は浮かばないね。