これは皆、昨日から今朝にかけてのニュースだ。
ここに昨日の日本学術振興会の件を追加してもいい。

大学での「起業家教育」促進へ 経産省が新組織 ***Asahi.com

電気自動車、走行距離1.5倍 官民で蓄電池開発 ***NIKKEI NET

民法、2011年にも抜本改正へ 法務省、消費者の保護重視 ***NIKKEI NET

地方版「産業再生機構」 対象企業は300社 トップ責任問わず ***MSN産経

東芝「公的資金排除せぬ」 赤字3500億円に拡大、資本増強急務
***フジサンケイビジネス-アイ



ひとつひとつ見ていけば、確かに話しは分かる。
これが官僚が描く、この国家のセカイなんだろう。

民法改正の件など... 本来ならありえない。
法改正を法務省が行うというんだから┐( ̄ヘ ̄)┌
そのことに違和感のないことが一番の深刻だ。


方や、こちらは議員立法が難しいことになっている。
(議員立法)議員立法は若いみなさんがやる気をもって能力が発揮できる社会をつくるための第一歩 ***中川秀直さんのブログ


「この国は官僚が作っているから、政治家は黙っていろ。」ということなんだろう。

確かに、上記のように東芝にはガッカリだ。
世界から見て東芝の評価は非常に高い。それでも・・ 公的資金か。

ここまできたら、いっそ官僚にすべて任せようか....
誰も責任を取らない社会の実現に向けて、
社会資本主義の実現に向けて。

それが今どきの責任を取らない大人たちの望みでもある。




それは「機会」だ。

まずは、引き継ぐべきものを「価値観」だとしてみようか....
価値観とは、●そういう発想で ●そういうことを大切に思っている人がいる ということしか引き継げない。

「四季を大切にしなきゃいけない!」... それをそのまま引き継いだところで一体何を価値があると言うのだろう。(もちろん“四季”でなくてもなんでもいいが。)
それを引き継ごうとする行動がもたらしているのは ①それを主張する人の一部がわかる ②そういう概念の存在を知ることができる ③その概念の中身がわかる ということだ。

確かに、存在を知ることで自己の中にその概念が着地できるチャンスを増やしてはいる。
しかし、それを教えまた、引き継ぐことよりもずっと、当人の中で着地することのほうが難しい。

着地をさせるためには、それを経験または実感させなければならない。
この世の概念とは皆、コミュニケーションや他者に係っており、自己以外からの自己へのアクセスによって自己を知り、相手を知る。「自分とは・・・」がすべて教科書(“人生の”含む)から引っ張ってきたもので形成されている自己など... 自分である必要すらない。

そして、その様な社会生活含むコミュニケーション全般から学ぶしかないとして・・ ところがそれは自分の都合や望み(つまり想定内)の通りにはいかない。

→大切なのは機会にあるということ。



今のようなハヤりの「失敗をしない人生」とは、全く、人生などと呼べるものは始まってもいない
そんな人生とは、「人類生」と呼ぶのがふさわしい。それは人類という... つまり生物種以上に価値のある人生など送っていないからだ。

人生と呼ぶものの価値とは、失敗から立ち上がることややり直すこと、これまでの関係を修復すること、自己以外の誰かと共に歩むこと(夫婦じゃなくっていいんだよ、仲間でも十分だ。)つまり利害血縁服従以外の関係性を築けることにある。
※血縁もまた... 救い救われる大切な関係だが、それは動物も変わらない。人間の救い-救われ方とは、命のことではなくコミュニケーションのことだ。



教育の効果や意義については(これまで55ではほっとんどそこには触れてきていない。)、●過去の悲しい失敗を繰り返さないためだったり ●より良い未来を築くためだったり ●各個人が社会の中で生きていくためのコミュニケーションツールの取得だったり ●論理的に物事を考えていけるためのトレーニングだったりしている。

では逆に、教育を受けなければ過去のような悲しみの多い社会に戻ってしまうだろうか....

途上国(飢餓国)で叫ばれている教育は、悲しい現実を切り開いていける希望だったり、具体的な手段が見えるようになることの意義は大きい。
ところが、この様な(日本のような)安全で快適な国家にあっては、その様な意味での教育は該当しない。

日本における教育の何よりの効果とは、このように理不尽にも強制されて授業を受けなければならず、集団に適応しなければならない・・ この仕組み自体の影響が一番に大きいことだ。
次に、他者を知り、そしてコミュニケートしていくことだろう。

他者を猛烈に知りたいと思う関係(恋人など)や、集団の中で生きていく方法・・・ そのようなものでも、自己を知りまた論理的に考え、答えを見つけていく術を学ぶことは出来るのであり、それは教育の内容自体が及ぼすであろう効果の半分くらいを取得することができるだろう。
※だからといって、それを目的とした教育方法を取るのはダメだ。それは別の話し。それは今までの55主張でさんざん議論してきている。

「人は前姿で知り、後姿で学ぶものだ。***55政党」とは、結局知識や教養で知り、存在や関係から学ぶということ。
結局何が言いたいか.... それは価値観の強要や正義が横行していることの間違いを指摘するここ一連の流れに与する話しだ。
昨日から今日にかけてのニュースをピックアップした。

まず、小泉ジュニアについて。
「小泉ジュニア、他の選挙区から出れば」世襲制限に賛意 自民・平沢氏
***MSN産経

世襲に反対だというなら、今の内閣はどうする?
世襲議員だらけじゃないか・・

その地域で何かを成した人がいて、それを引き継ぐのもまた、その地域が抱える世論だ。
平沢さんは国対副委員長だというから、これはむしろ世襲制を反対する勢力かなんかへの対策手段なのかもしれないが・・ 

そこに強力な組織票というものがあるのならまだしも
、親の地盤を受け継いだ人を選ぶかどうかは、その市民が判断することだ。
つまり、このような主張は、市民をバカにしているということなんだ。
世論が世襲を反対しているというのなら、世襲議員は選挙に当選しないということになるんだが... 私たちは、世襲反対!と言っていながら、世襲議員に投票するんだろうか?

逆に、それでも当選するということは、世襲制に反対でもないということになる。
ここにルールを増やす必要などどこにもないんだ。



次、法科大学院。
これは先日の記事で中教審を批判した件のその後の進展。
法科大学院「2倍割れなら定員削減」 中教審最終報告
***Asahi.com

この記事には載ってないが・・ 朝日新聞のほうにはもっと詳しく出ている。
新司法試験の合格率は3割程度であり、中には1人も合格者を出せない大学院もあったそうだ。

このような記事もある。
法科大学院で自民議連が「緊急提言」
***MSN産経

こっちを見ると、今まで通りの司法試験での合格者との整合性を気にしているようだ。

もともと弁護士や裁判官を増やしたい量というのは無いらしい。
定員を2割削減すると、いったいどれほどの教育の質の向上があるというのか一切意味不明だし、現状で合格率が3割だというものに、2割削減で生徒の質の向上に意味があるのだろうか?

まあいいや、これは国がそこを調整する必要があるのかどうか程度の内容になった。どってことない。


次、官僚方面。まず注目したいのが秀直さんの。
■特別版■「政局だ」「役人叩きだ」との誤解に答える―いまなぜ「幹部公務員法」か
***中川秀直さんのアメブロ

主張内容自体はごもっともなんだが・・ この中に大変に気になる一文がある。
「自民党が改革に後ろ向きであるかのようなプロパガンダを許さず~」というもの。
今の政権が果たしてホントに後ろ向きではないと?
もしそうでないというのなら、「改革は改革で前向きだが、その分じゃんじゃん微妙なところに逃がしているだけ」ということになる。それこそ最も悪質であろう。

役人関連でおもしろい記事を見つけた。
パーキンソンの法則 ***@IT

パーキンソン?.... などと思ってしまうが、これは現在の行政機構にあてはまる法則だ。


最先端技術についても独立行政法人がちょっと気になる。
先端研究に破格の支援 政府、30テーマに2700億円
***Asahi.com

これ自体は大変に素晴らしいのだが・・ (何といっても事業の拡大だ。)この中に出てくる日本学術振興会・・・ ここに3000億円を運用させるようだ。この機関は文科省の外郭団体である独立行政法人だ。
こういう手段しかないのだろうか.....。








昨日の『美しい国へ』で触れた件。
加藤紘一氏が小泉チルドレンに説教をしたようだ。
現在の世を『市場原理主義の敗北だ』といってそれをするという話しだけは読んでいた。

市場原理とは、私たちの日々日常の各パートパートに存在するメカニズムだ。
これに“主義”を付けると... どうやら「社会はそのメカニズムで全て解決できる」という政治思想になるようだ。
ここの部分については、55では渡辺美樹(ワタミ)さんの教育論で批判している。
“市場原理でも解決できる”.... この場合、その解決方法はハナっからベストの解決法ではないことを表している。

そして何よりまず重要なのは、市場原理主義の世など未だ訪れていないということ。
訪れてもいないことに声高で批判する姿勢は、何よりもまず悪徳だろう。


「市場メカニズムで全てを解決する世」
・・・・そんな世があったか?!!


いい加減にしてもらいたいヽ(`Д´)ノ
社会の一部でそのメカニズムが重用されているという場合、それはそもそも社会とはそういうものだ。
取り立てて象徴付ける特性ではない。

市場メカニズムというもの自体が否定されているのならば、それはもう共産主義だろう。
社会主義とは計画統制全体主義のことであり、そのメカニズムを活用すること自体は何ら否定されてはいない。

何主義でもいいのだが... まず私たちは、そんな主義を基に行動などしていない。
そしてより良い手段を差し置いて、○○主義に基づいた手段を優先させなきゃならない根拠などどこにもない。(市場原理主義の権化ミルトン・フリードマンでさえ、「まずは、より良い手段を選択しなければならない」と言っている!)

重要なのは、①何を問題として取り上げるか ②それは社会政治が対策を施すべきか ③それについてのベストな方法は何か であり、その重要な視点においてどこにも○○主義は関係がない。

それとも.. 多くの人は○○主義・思想に基づいてそれらを判断しているというのだろうか・・・ バカな┐( ̄ヘ ̄)┌ それこそ最も愚かな方法だろう。(ある学説が大変に評価されているとして・・ 学説を国政に活用していくのが望ましいのかどうかは一切説明されていない。)
そして“方法”つまり手段において、何を選択するのか?こそが、その人の人間性を表している。

逆に、○○主義に基づかない判断とはどのようなものか?
それも本来一律に規則性を探すことは重要ではないが・・ 特徴を抽出してみよう....

それは結局、「何を問題とするか」にすべて表れている。

社会にあらゆる現象が存在している中で、何かを問題としてわざわざピックアップする時点で、それは大いに判断されているということになる。
①身の安全・安心 ②暴力という理不尽 ③利益の偏り ④不平等な仕組み
①②に根拠なんていらない。つまりそれだけで根拠がある必要は否定される。③・・勝手にしてくれ。④・・ではそれを修正するなり、そもそものルールを全廃するなりしたらいいだろう┐( ̄ヘ ̄)┌
さあ、どうだ・・ どこに○○主義が関係している?


現在の問題とは、【投資-事業-消費】という経済サイクルの中で投資だけが肥大化してしまっているということにある。金で金を増やしても... それは結局何も生まない。CDSだって、普通に日経225ミニだってオプションだってFXだって・・・ それらは本来投資対象は存在していないようなものだ。商品先物や不動産の暴騰も“余ってる”という金が引き起こしている。実経済に関係のない市場が広がっていけば、実経済が疲弊することなどあまりにも見えている。これは投資-投資-消費だ。投資とは一昔前で言えば全て貯蓄のことであり、つまり貯蓄が膨らみ続けて一体何が実社会と関係する?
問題なのは市場メカニズムじゃないだろう?
金融派生商品というものが認められることのほうがまず問題だ。そしてより深刻な次の問題とは、事業投資にお金が回らないことにある。そして最も深刻な次の問題とは、金の使い道がとてもじゃないが真っ当とはいえないところに金が集まり続けていることにある。要は、金を金足らしめる「モノを買うための対価」としての金を得たい人間に金が回ってこないことにある。それは実業投資に金が回らないことから起こっている。そしてそれは、金を使わないことにも関係している。※55は別に市場原理主義ではないよ、念のため。そんな妄想は社会政治とあまり関係がないと言っている。

では何故?
何故、市場原理主義が問題だとなるんだ???
これでいけば事業を強化していかなければならない。ところが、未だに事業は縮小方向の対策が加えられていく。・・・まるっきり逆だ。

いい加減... 妄想で人を説教するような人間を降ろしてくれ。

「営利目的の企業ではありません!」
・・・共産党が支援するような法人によくこのような文言がある。

あたかも営利目的がよろしくないかのようなニュアンスだ。
「人よりちょっとでもいい学校に入れてあげたい。」
「たまにはちょっと贅沢をしたい。」
・・・・そのように思わない人間がいったいどれほどいるというのだろうか?

個々がそのように周囲よりも経済的により富みたいと思うのは至って普通のことだ。
ここは重要だ。“周囲より富みたい”と思っている。(いや、自覚はないかもしれないが...。)
そんな個人にあって、一体... 営利がいけないとは何をしゃべっているのか?

人間とは、並べれば競いたくなる生き物だ。(それはまさに競馬馬と同じ程度ってことだが・・)
そんなことが理解できないのか?それとも、それを否定するのだろうか....。

双方同意の上であれば、いくらぼったくったて構わないんだよ。
重要なのは同意しているかどうかで、選べない状況に何かしら介入する国家は確かにいくらか望ましい。
ということは、問うていくのは“選べない状況かどうか?”であって、価値観を強要していくことじゃないだろう。



....おっと、こんな当たり前の話しをしたかったんじゃなかった。

人が自分の欲求を満たすために生活していることを否定し、誰かの役に立つ行動でしか自己を認めることができない人がいるとしよう。
そんな人がいること自体は別に構わない。そんなことは知ったこっちゃない。
ところが、それを社会に要求する人たちがいる。
人がみな他人のために生きろというのなら... いったい誰の望みを叶えろというのだろう...。
身体的に不自由な人のお世話をする人がいるとしよう... ところが、当の本人もまた、そんな人様の手を煩わせるようなことはしたくないということになる。
「いいんですよ、それで私が救われるんです。」とでも言って納得してもらうのだろうか・・・ なんと自己中な┐( ̄ヘ ̄)┌
だから相手もそんな人生を望んでいるのだから・・ その行動とは即ち「死ね!」と言っているに等しいことになる。
つまり最高に献身的なその人は、実質人殺しということになるんだ。

そうは言っても、別にそんな献身的な人を否定したいのではない。それで生きることができるというのなら、そうするしかないだろう。
問題なのは、それを人に要求するということだ。それは人の勝手だ。
「そんな・・・ じゃあ、献身するこっちがバカを見るじゃないか!」とでも思うのだろうか... だったら、最初っからやらないことだ。自分から献身すると言って、それをしない人を非難するとはいったいどれだけのジャイアンか....。

人間性が試されているのは、みなそれぞれ営利なり好みなり勝手にやっていくにあたって、望ましい手段を選択しているかどうか・・ にこそ係っている。
そしてそれが法律で規定されなきゃ基準が分からないというのでは、あまりに淋しい人間性だという話しだ。個人の行動を律するのは、倫理・道徳・価値観であり、まさにそれがその人の「ヒトとナリ」を表している。

訓練しなきゃあルールに従わないのは犬と同じだ。
ただ... 犬の場合、ご主人様の見ていないところでは何をするか分からない。まさか、そこまで一緒じゃあしょうがないだろう┐( ̄ヘ ̄)┌
せめて犬よりましな習性を身につけておかなければ...。

ところが、人の見ていないところは法律では律することができない。
結局、人を人たらしめているのは、倫理・道徳・価値観に係っている。
じゃあ・・・ 倫理・道徳・価値観を法制化しようか?
いや、人が見ていないところを法律で律することができないからそれが大事だと言っているんで、いくらなんでもそれはないだろう。



...ここからは今回の主論とは逸れるが、せっかくなので進めたい。

そうは言っても、誰も見ていないところでよろしくないことを行うのは難しい。何かしら他人に絡むことでこそそういうことが可能になることが多い。
ところが近頃は、個人の勝手自由が進み、他人にいっさい干渉しない場も多い。
そうなってくると、それは誰も見ていないと似たようなものだ。
その中にあって、常に自己を律していくのはまた、簡単なことではない。(そんな時もあるさ~ 人間だもの。※あいだみつお的)

ここで監視カメラを持ち込むのは早計だ。
その前に検討しなければならないことがある。
55で度々取り上げている「見張り、且つ信じること」・・ これに尽きる。
これはつまり、各個人がどっかしら何かしらに属している・繋がっている ということだ。
ここが「根なし草」にも繋がっている。

子供が起こした行動に対し、親がそれを大変に恥ずかしいと思い、社会に対しての責任を親が負うのであれば、子供はそれをいつか気づくだろう。それが“根がある草”であり、つまり見張り且つ信じるということ。(ここまででは“信じる”が弱いと感じるだろうか... 日々の行動を本人に任せていれば、それは“信じる”ということだ。)

これは、今どきの親の多くが、それほど気にしていない部分だろう。
「どうしてこんな子に育っちゃんだろう。゚(T^T)゚。」
いや、だから.... それはあなたが親だからだろう。

あと補強するのは... その繋がり方だろう。それは別に血が繋がっているという意味でもない。
それは、当人に対し、その人が何かしら大切であり、まただからこそ、その人に要求するものがある・・・ そのような関係が重要だ。当人が大切にしている相手が“見張り”では・・ そりゃあメリット-デメリットの関係でしかない。それだと“信じる”がない。当人が、勝手に信じられていると思い込んでいることが必要だということだ。