「営利目的の企業ではありません!」
・・・共産党が支援するような法人によくこのような文言がある。

あたかも営利目的がよろしくないかのようなニュアンスだ。
「人よりちょっとでもいい学校に入れてあげたい。」
「たまにはちょっと贅沢をしたい。」
・・・・そのように思わない人間がいったいどれほどいるというのだろうか?

個々がそのように周囲よりも経済的により富みたいと思うのは至って普通のことだ。
ここは重要だ。“周囲より富みたい”と思っている。(いや、自覚はないかもしれないが...。)
そんな個人にあって、一体... 営利がいけないとは何をしゃべっているのか?

人間とは、並べれば競いたくなる生き物だ。(それはまさに競馬馬と同じ程度ってことだが・・)
そんなことが理解できないのか?それとも、それを否定するのだろうか....。

双方同意の上であれば、いくらぼったくったて構わないんだよ。
重要なのは同意しているかどうかで、選べない状況に何かしら介入する国家は確かにいくらか望ましい。
ということは、問うていくのは“選べない状況かどうか?”であって、価値観を強要していくことじゃないだろう。



....おっと、こんな当たり前の話しをしたかったんじゃなかった。

人が自分の欲求を満たすために生活していることを否定し、誰かの役に立つ行動でしか自己を認めることができない人がいるとしよう。
そんな人がいること自体は別に構わない。そんなことは知ったこっちゃない。
ところが、それを社会に要求する人たちがいる。
人がみな他人のために生きろというのなら... いったい誰の望みを叶えろというのだろう...。
身体的に不自由な人のお世話をする人がいるとしよう... ところが、当の本人もまた、そんな人様の手を煩わせるようなことはしたくないということになる。
「いいんですよ、それで私が救われるんです。」とでも言って納得してもらうのだろうか・・・ なんと自己中な┐( ̄ヘ ̄)┌
だから相手もそんな人生を望んでいるのだから・・ その行動とは即ち「死ね!」と言っているに等しいことになる。
つまり最高に献身的なその人は、実質人殺しということになるんだ。

そうは言っても、別にそんな献身的な人を否定したいのではない。それで生きることができるというのなら、そうするしかないだろう。
問題なのは、それを人に要求するということだ。それは人の勝手だ。
「そんな・・・ じゃあ、献身するこっちがバカを見るじゃないか!」とでも思うのだろうか... だったら、最初っからやらないことだ。自分から献身すると言って、それをしない人を非難するとはいったいどれだけのジャイアンか....。

人間性が試されているのは、みなそれぞれ営利なり好みなり勝手にやっていくにあたって、望ましい手段を選択しているかどうか・・ にこそ係っている。
そしてそれが法律で規定されなきゃ基準が分からないというのでは、あまりに淋しい人間性だという話しだ。個人の行動を律するのは、倫理・道徳・価値観であり、まさにそれがその人の「ヒトとナリ」を表している。

訓練しなきゃあルールに従わないのは犬と同じだ。
ただ... 犬の場合、ご主人様の見ていないところでは何をするか分からない。まさか、そこまで一緒じゃあしょうがないだろう┐( ̄ヘ ̄)┌
せめて犬よりましな習性を身につけておかなければ...。

ところが、人の見ていないところは法律では律することができない。
結局、人を人たらしめているのは、倫理・道徳・価値観に係っている。
じゃあ・・・ 倫理・道徳・価値観を法制化しようか?
いや、人が見ていないところを法律で律することができないからそれが大事だと言っているんで、いくらなんでもそれはないだろう。



...ここからは今回の主論とは逸れるが、せっかくなので進めたい。

そうは言っても、誰も見ていないところでよろしくないことを行うのは難しい。何かしら他人に絡むことでこそそういうことが可能になることが多い。
ところが近頃は、個人の勝手自由が進み、他人にいっさい干渉しない場も多い。
そうなってくると、それは誰も見ていないと似たようなものだ。
その中にあって、常に自己を律していくのはまた、簡単なことではない。(そんな時もあるさ~ 人間だもの。※あいだみつお的)

ここで監視カメラを持ち込むのは早計だ。
その前に検討しなければならないことがある。
55で度々取り上げている「見張り、且つ信じること」・・ これに尽きる。
これはつまり、各個人がどっかしら何かしらに属している・繋がっている ということだ。
ここが「根なし草」にも繋がっている。

子供が起こした行動に対し、親がそれを大変に恥ずかしいと思い、社会に対しての責任を親が負うのであれば、子供はそれをいつか気づくだろう。それが“根がある草”であり、つまり見張り且つ信じるということ。(ここまででは“信じる”が弱いと感じるだろうか... 日々の行動を本人に任せていれば、それは“信じる”ということだ。)

これは、今どきの親の多くが、それほど気にしていない部分だろう。
「どうしてこんな子に育っちゃんだろう。゚(T^T)゚。」
いや、だから.... それはあなたが親だからだろう。

あと補強するのは... その繋がり方だろう。それは別に血が繋がっているという意味でもない。
それは、当人に対し、その人が何かしら大切であり、まただからこそ、その人に要求するものがある・・・ そのような関係が重要だ。当人が大切にしている相手が“見張り”では・・ そりゃあメリット-デメリットの関係でしかない。それだと“信じる”がない。当人が、勝手に信じられていると思い込んでいることが必要だということだ。