終戦の日 | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
祖父には兄がいました。
その兄は先の大戦で出征し、戦死しています。
私はかつて、その祖父の兄の戦中の足跡を調べたことがあります。
祖父の兄はパプワニューギニアのフインシと言う場所で爆撃にあった艦隊と共に海に沈んだ、とされています。
青森の図書館にあった名簿でも同様の記載がありました。


文字にすればわずか一行。
そんな一行の戦死記録が膨大にあります。
しかし、一行で記された人々が、一行で済むような人生をおくっていたはずはないです。

昨年、祖父が他界しました。
祖父は兄からもらった腕時計を亡くなるまでずっと大切に持っていた事を後で聞きました。
祖父に、祖父が元気なうちに、何故お兄さんの話を聞かなかったのか今ではとても後悔しています。
教えてくれなかったかもしれないけど、聞けばよかった、私の大きな後悔の一つになりました。

終戦の日の本日。
その年に生まれた方も72歳を迎える年月が経ちました。
日本人の寿命が延びたとは言え、その時代を生きた方々も高齢となりました。

本当の戦争を知っている方は戦争の事を語りたがらない。と言う言葉を頂いた事があります。
半世紀を過ぎても、その時の映像が鮮明によみがえり、涙と後悔を口にする方がいます。

それが戦争と言う行為がもたらすモノなのだといつも強く思うようにしています。
私は本当の戦争を知らないから。

今日はもしかしたら皆さんの祖父や祖母がその時の話をしてくれるかもしれない機会だと思います。

百聞は一見にしかず、と言う言葉がありますが、戦争だけは千聞しようが、万聞しようが、一見だけはしてはいけない、だからこそ、今が何故平和と呼ばれる時代なのか、我々はそうではなかった時代を生きた方たちから、聞かなくてはならない、学ばなくてはならない、引き継がなくてはならない、そう言う世代なのだと思います。

資料や本、テレビの番組で戦争を学ぶのも大切ですが、可能なら、答えてくれないかもしれないけど、今日は身近な戦争を知る方の話を聞いてみる時間にしては如何でしょうか?

くれぐれも無理強いはしないでください。
同時に一つ学ぶはずです。
話したくないと言われたら、長い年月を経てもなお、話したくない出来事。それが戦争なんだと。