維新の道の噺⑦ | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
~思い返せば~

2011年の西日本弾丸旅行当時、実はあまり城に興味がなかった私。
相棒の希望で回っていたのだが、今思えば何故もっとじっくり観なかったのか!!と言う気持ちがすごくある。

ただ、じっくり観ていたら一週間であんなに回りきれなかっただろうと言う思いもあり、これは機会と金銭と気概が揃ったら二周目もありだなぁと思っている(笑)
でも、九州や北陸も同じ勢いで回りたいと言う欲求も捨てきれず、日本の見所の多さに嬉しいやら困ったやら・・・( ̄▽ ̄;)

さて、私の旅はその後も城跡を中心に進むのだが、肝心の幕末の史跡は結構取りこぼしている。
と言うのも、特定の幕末の人物以外にあまり焦点を当てていなかったと言う事がその原因。

坂本龍馬(土佐)や高杉晋作(長州)など幕末を語る上で真っ先に名前が出てくる人物やその周辺の人物の縁の地、史跡を中心に回っていたのだ。

ここで私にもう少し幕末の知識が加わっていれば城を回る際にもっと時間を割いていたに違いない。

現在開催されている
大政奉還スタンプラリー
でスタンプが押せる都市を私はいくつも通過しているが、残念ながらそこでは城跡には立ち寄ったものの、幕末の風に触れ忘れていた(*T^T)

☆幕末期の老中首座として欧州列強と肩を並べるべく開国へと舵を切り、身分にとらわれず有能な人材を適材適所大胆に起用した阿部正弘公が藩主をしていた広島県福山市(福山城)

☆わずか十万石と言う小藩でありながら、当時の政治に影響力のある発言をする四賢候の一人にその名を連ね、いち早く自藩の富国強兵、軍制の西洋化に取りかかっていた伊達宗城公が藩主をしていた愛媛県宇和島市(宇和島城)

もっとよく見れば良かった・・・。
各地域を紹介する資料も入手したので是非参考にしていただきたい。



あれ・・・と思ってくれた方がいるとの嬉しいのですが、この上で紹介した阿部正弘公が多くの意見を取り入れるため伊達宗城公などの四賢候を中心とした有能、有力な人材の言葉を幕府の政治体制に届くような仕組みを作ったことにより、幕府に意見や建白することなど不可能だった身分の者達の意見も吸い上げてくれる方も出てくる。
四賢候の1人、越前福井藩の松平春嶽公がその柔軟な思考を持つお方のお一人であり、自然と春嶽公には様々な意見書や建白書が届けられた。
上記の資料で紹介され、私が以前から関わりを持ってきた信州上田の赤松小三郎もその一人だったのです。

一つを調べれば新たな発見と様々な事件や出来事に繋がっていく幕末。
これは幕末に限らず歴史を好きな人にとってはパズルが組上がっていくような嬉しい瞬間のような気がする。

身近なところや何気なく立ち寄った場所も歴史を辿ればやはり景色がまるで変わると思っています。

こちら↓にたっぷり資料がありますので、夏の楽しみに是非(^_-)


次回に続く(’-’*)♪