経済学は出鱈目⁉(1) 経済とは | 子や孫世代の幸せを願って

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経済学は出鱈目⁉(1) 経済とは

 

最初に誤解の無いように申し上げますが、「経済学」そのものは「学問」としては成立しているもので、「人が研究し、学ぶ価値もない」なんてことはありません。

ここで問題にしているのは、「実社会」を前に「政策」として用いるには、かなり問題があり、実際に有害だった。そういう話です。

また多くの人の理解を得たいため、ここでは、わかりやすさ重視でザックリとお話ししますので、その点ご了承ください。

 

まずは、繰り返しにはなりますが、そもそも「経済」とはなにかから始めます。

 

「経済」とは、ひとが暮らしを立てる上で必要となる「モノやサービスの生産、消費や分配にかかる人々の活動」をさします。

その活動において、モノやサービスを「買いたい力(需要)」「売りたい力(供給)」の「力比べ」によってさまざまな現象が生じます。

 

「買いたい力(需要)」が「売りたい力(供給)」を上回れば、企業の売り上げが伸びます。

これが先々も期待できるのであれば、企業も投資や雇用を増やし、賃金を引き上げます。

 

給料が上がれば消費者の財布のひもも緩み、また売り上げが伸びていくという形で、世間の金回りが良くなり、景気が上昇します。これが経済成長です。

買いたい力が大きくなると物価が上昇し始めますが、この伸びが穏やかな間は、好景気が続くのです。

 

逆に「買いたい力(需要)」が「売りたい力(供給)」を下回れば、少ない需要を巡っての取り合いが始まり、価格引下げ競争となり、次第に売り上げが減り、利益も減り、事態が進めば賃金引き下げに到ります。

 

給料が減ると消費者の財布の紐がいよいよ硬くなり、売価を引き下げても売れず、ますます売り上げが落ちていきます。

先々に回復するという期待を持てなければ、利益確保の為に更なるコスト引き下げに追い込まれ、遂には雇用を減らすしかなくなります。

 

こうして世の中の金回りがどんどん悪くなり、街に失業者があふれることになっていくのです。

これがデフレであり、このような流れで螺旋的に景気が落ち込んでいくことをデフレスパイラルと言います。

デフレの過程で物価は下がりますが、喜ばしいことではなく、下落が継続すると、最終的には首切りが横行する「恐慌」と呼ばれる生き地獄のような事態に至るのです。

 

かつての世界大恐慌や日本の昭和恐慌などはこの代表的な例で、デフレによって引き起こされたのです。

勘違いされている方が多いと思われますが、かつての恐慌はインフレによるものではなく、デフレによるものだったのです。

 

これも改めての紹介になりますが、経済という言葉自体の意味です。

大事なので再掲します。

 

「経済」という言葉自体は、「経世済民」を略したもの。

「経世済民」とは、「世を経め民を済う」(よをおさめ、たみをすくう)という意味です。

これは福沢諭吉の翻訳とされています。経済を単なる「現象」としてではなく、「治世」と捉えたのです。

 

世の治め方つまり政治の在り方次第で、世を好況にも不況にもしてしまう。

大きく間違えれば恐慌を招くが、それを救えるのもまた政治ということです。

 

人の営みから生まれる現象である「経済」について、政治が責任をもってこれを管理しなければならない。そうでなければ、人々が塗炭の苦しみを味わい、多くの死人が出る、極まれば国を失うことを福沢諭吉はよく理解していました。

だからこそ、「economy」を端から「善政を敷き、人を救う」つまり「経世済民」をもって「経済」と訳したのでしょう。