『朝鮮独立運動之血史』では、日本の官憲が残虐な拷問を行う姿が多数描かれていますが、そもそも拷問は、前回も申し上げた通り、日本の保護国となっていた1908年には日本の指導のもと、拷問禁止の法が制定され禁止となり、1910年の日韓併合においては、日本の刑法が適用され、残酷な刑罰は一掃されていたのです。
日本は朝鮮の残虐極まりない拷問や、それが日常的に行われていることに驚き、反発し、とにかくこれを無くそうとやっきだったのです。
こういうことを隠して『朝鮮独立運動之血史』は書かれているのです。
そういう意味では、三一独立運動の悲劇の英雄とされる「柳寛順」についても、彼女が、同運動を呼び掛けたために残虐な拷問で殺されたということも出鱈目だということです。
にも関わらず、韓国の教科書のみならず日本の教科書でも「16歳の少女柳寛順は、三一独立運動への参加を呼び掛けたために、日本軍にとらえられ、きびしい拷問を受けて命を奪われました」なんて記載しているのです。
これも朴殷植氏が「血史」の中で「逮捕されて拷問にかけられた者は10万人に達した」「逮捕された女学生は、裸体で十字架に張り付けられ、髪を引っ張られると髪の毛も皮膚とともに剥げ落ちて血が溢れるように流れ、大地を染めた。日本の野蛮人どもは大笑いしてこの残虐を楽しんだ」などと書いているところからきたようです。
というのも「血史」の著作時点では、柳寛順は全くの無名で、彼女に関する具体的な記述はありません。柳寛順が「三・一独立運動の象徴(朝鮮のジャンヌ・ダルク)」として広く顕彰されるようになったのは、1945年以降でした。
教科書の記述は、韓国政府の国家報勲部などが編纂した「独立運動史」から持ってきたものと思われますが、この「運動史」も「血史」を根拠に作成されているのです。
柳寛順の真の死因は、デモ現場での負傷や獄中での反抗による体力消耗だと言われています。幼いころから独立活動家の両親によって反日思想を叩きこまれ続けた結果の悲劇だったのでしょう。
ついで「監獄」についても触れておきましょう。
日本の統治がはじまるまでの朝鮮の監獄はそれこそ生き地獄でした。一坪に15~16人も押し込め、立ちっぱなしで寝るのも交代。当然ながら不潔さも想像を超えるものでした。
まともな食事も与えられません。しかもそうした待遇の良しあしは刑の重さではなく、賄賂次第だったのです。拷問も日常的に繰り返されていました。
やはりというか、これも漏らさず、朴殷植氏は日本がやったこととして「血史」に書いているのです。
実際には、日本は近代的な刑務所に作り直しました。スペースも広く清潔で、ちゃんとした食事も与えられ、運動場なども備えられました。先述の通り拷問は禁止になっています。
こうして日本は、朝鮮に近代法制度を導入することで、それまで官吏や両班の気分次第・賄賂次第で刑が決まり、残虐な拷問や劣悪極まりない牢獄が待ち受けているというこの世の地獄を消し去ったのです。
そのことにより、多くの朝鮮人の人権や命が守られたのです。それがどうして人命を奪ったなどと非難されなければならないのでしょうか。
ただ残念ながら、反日を国是にし、嘘、出鱈目が罷り通る韓国ではともかく、日本の教科書でも韓国の主張(血史の内容)をそのまま記載しているものがあるようで、本当に情けない限りです。一日も早く教科書からそのようなあってはならない記述が除かれることを祈るばかりです。
次回に続きます。