日本を長期デフレの深みにはめた小泉純一郎内閣 | 子や孫世代の幸せを願って

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日本を長期デフレの深みにはめた小泉純一郎内閣

 

小泉元総理の人気は当時は凄かったですね。

戦後の内閣としては、最高の支持率をマークしているようです。

 

その小泉総理といえばまず浮かぶのが「聖域なき構造改革」

「恐れず、ひるまず、とらわれず、聖域なき構造改革を断行する」「構造改革なくして景気回復なし」。実に勇ましい所信表明をなさいました。

そして改革の本丸とした「郵政民営化」。この是非を巡り解散総選挙に打って出て、自民党は地滑り的勝利を収めたのです。

 

当時は、バブル崩壊や大手金融機関の相次ぐ破綻などによって、日本全体が自信を失い、閉塞状態にありました。

そこに「自民党をぶっ壊す」と叫ぶ小泉氏が登場。

待ち望んでいた「変化と希望」をもたらしてくれそうで、国民は喝采して彼を受け入れました。当時は、ある種のヒーローを見る思いではなかったのでしょうか。

 

しかし、小泉純一郎内閣が行った一連の政策が、実は日本のデフレを深刻化、固定化させてしまったのです。

 

小泉首相は、経済学者の竹中平蔵氏を起用し、二人三脚で「聖域なき構造改革」を断行しました。

 

「聖域なき構造改革」とは、国が経済に極力介入しないようにする、いわゆる「小さな政府」論に基づく政策です。

国の介入、つまり規制や権力層の思惑が蔓延ると市場機能が歪み、経済全体が非効率となり、民間の活力が削がれるとし、できるだけこれを除けば「競争」が促され、経済全体が「効率化」し、その活力を取り戻せるとの考えです。

 

小泉改革のその一は、「財政再建」を目指した「財政構造改革」でした。

これは、橋本龍太郎内閣が始めたものでしたが、その後の不況を前に景気優先となり、この政策はほぼ中断状態となっておりました。それをここへきて小泉首相が強力に復活させたのです。

 

国債発行を抑制し、概ね10年間で「借金に頼らず、税収の範囲内で歳出を賄えるようにする」(基礎的財政収支の黒字化)という目標を掲げ、公共事業費を中心に医療、年金等の社会保障費も含め、一切のタブー無く歳出を削減する「聖域なき歳出削減」を実施しました。

イメージが悪く、景気悪化に直結する「増税」だけは封印し、その代わり歳出の大幅削減で財務省を黙らせたかっこうです。

 

次は、「民営化」「規制緩和」です。これまで国がやっていた仕事を可能な限り民間に渡し、また「規制」を緩め、民間にできるだけ自由に競争をさせることで経済を効率化、活性化させようとの政策です。いわゆる「官から民へ」であり、郵政民営化、道路関係四公団の民営化、労働者派遣法の規制緩和などを行いました。

 

そして、いわゆる「三位一体の改革」です。①地方へ税源を移譲「地方分権」を進める一方、地方への②交付金や③国庫補助金を削減して「財政再建」も進めようとの政策でした。①②③をもって三位一体の改革と呼んだのです。しかし実際のところは、地方からの財源吸い上げ策でしかありませんでした。

 

結局「聖域なき構造改革」の実態は「財政再建」であって、「競争強化」による「効率化」によって「経済の活性化と立ち直り」を期待し、その余勢を駆って「財政再建」を進めようとしたのだと思われます。一連の規制緩和や民営化、行財政改革がその具体的な手段であり、橋本政権の取組みをより強力に推し進めようとしたものといえましょう。

 

しかし実際に「聖域なき構造改革」が招いたものは…

  1. 歳出削減による「需要喪失」
  2. 規制緩和(自由化)や民営化といった「競争政策」が招いた「デフレ効果」
  3. 防衛力以外の防災、食料、エネルギーほか「総合的な安全保障力の大幅低下」
  4. 大学法人化、同予算削減による「科学技術力の低下」
  5. 公共投資の大幅削減で特に建設、土木関係の社数、人員、設備、技術を喪失したことによる道路、橋梁、港湾他の「社会経済インフラの整備力や自然災害大国日本の防災、復旧・復興力の大幅低下」

 

橋本内閣時の「消費税増税」他の緊縮財政により既に需要が削られているなか、強力な歳出削減でさらに需要を削る。

その一方で供給サイド(売りたい力)を増し、競わせれば、一層需給が供給超に傾き、当然の結果として「賃金水準の低下」⇒「消費、投資の縮小」=「需要不足拡大」を招く。

 

即ち、一連の政策全てが「需要削減」に働く「デフレ化」政策であり、バブル崩壊から立ち直ったとはいえ、これをやれば、再び「超需要不足」、デフレ不況まっしぐらとなるのは自明の理なのです。以前の投稿記事「経済政策というもの」(1月13日)に照らした場合、本来行うべきものとは真逆の政策を行っていることがお分かりになると思います。

 

でも、これをやっちゃったんです。しかもそれを未だに継続している。「デフレ脱却」を唱えながら「デフレになる政策」を続ける。こんなおかしなことが続いているのです。

 

とにかくデフレ化政策を始めたのが橋本龍太郎内閣であり、一層の深みにはめ、固定化させたのが小泉純一郎内閣でありました。

 

次回に続きます。