アベノミクスの変質 | 子や孫世代の幸せを願って

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アベノミクスの変質

 

これまで見てきたように橋本龍太郎内閣、小泉純一郎内閣が、日本経済にデフレを招き、また深刻化、固定化させてしまいました。

 

民主党政権時代もこの流れは変わらず、「事業仕分け」(歳出削減を進めるための国や自治体の無駄と思しき事業のあぶり出し)に見られるように緊縮財政が一層先鋭化し、また一方で「超円高放置」が行われ、国内企業が生産拠点を海外に移す「産業の空洞化」を促進してしまいました。

 

橋本龍太郎政権から始まった「構造改革路線」。「改革には痛みが伴う。」とは聞かされてきましたが、「痛み」しか残りませんでした。

「改革の効果発現には、時間が掛かる。」とか、「改革効果が見えないのは、まだ改革が不十分だから。一層改革に取り組まなければならない。」とか、今となってはいい加減な話、言い訳が繰り返されました。

 

そうした中、安倍晋三総理が「アベノミクス」を引っ提げて登場(第二次安倍政権)したのでした。

「デフレからの脱却」を目標に掲げ、「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」を一体的に実施するアベノミクスは、これまでの「デフレ化」政策とは一線を画した「デフレ対策」(需要不足解消政策)となっており、大きく期待されました。

ようやく真っ当な経済政策が掲げられたのです。早速、株価上昇、超円高離脱、日本経済に明るさが蘇ってきました。

 

しかし、それも束の間、結局安倍晋三首相も「財政再建」の軛から逃れられず、「基礎的財政収支黒字化目標」を踏襲し、2回の「消費増税」、介護報酬の引き下げや公共事業の削減を実施しました。そして、不足する需要を埋めるはずの「機動的な財政出動」は、いつの間にやら消されていました。

 

需要が不足して生じる「デフレ」。その打開策は、不足する需要を増やしてやること。にもかかわらず「需要を生み出す財政拡大」を封印し、「需要を削る緊縮財政」ばかりが繰り返されました。

 

その理由はただひとつ「財政再建」でした。そして「景気浮揚」と「財政再建」を両立させる手段として「構造改革」が認識され、橋本龍太郎内閣、小泉純一郎内閣はそれを実行し、安倍晋三内閣も最終的には右へ倣えとなったのです。

 

次回に続きます。