長期デフレの真因、橋本龍太郎内閣の行財政改革
バブル崩壊による巨大な需要喪失を、公共投資を中心とした積極財政でなんとか埋めきり這い上がって来た日本経済。
しかし、巨額を投じた割に、たいした回復とはならなかったと酷評され、むしろ借金が増えたとし「財政再建」が叫ばれたのです。
そこで出てきたのが橋本龍太郎内閣の「行財政構造改革」でした。
1997年、「財政再建」を進めるべく「3%から5%への消費増税」が行われ、同時に「所得税の特別減税の廃止」や「医療費自己負担分の引き上げ」、「公共事業の大幅削減」など需要を大きく削る「超緊縮財政」を進めました。
さらには、「財政構造改革法」を定め、国債発行を毎年度削減しようともしました。
片や行われた「行政改革」も、実はその目的は財政再建でした。
膨れ上がった国債残高を減らすには、予算規模の縮小や歳出削減が必要であり、それを行うには行革が必要とされたのです。
しかし、一連の「超緊縮財政」の当然結果として景気が大きく後退し、橋本内閣はあわてて方針転換せざるをえなくなりました。
再び「積極財政政策」に舵を切ったのです。この景気回復優先の流れは次の小渕恵三内閣にも引き継がれました。そのおかげで日本経済は、「超緊縮財政」の負の影響を凌ぐことが出来たのです。
橋本龍太郎元総理は、後に「財政再建を急ぐあまり消費税増税、緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた、お詫びしたい。」という趣旨の謝罪をし、その悔恨を述べておられます。
橋本内閣で内閣官房長官をされていた梶山清六氏などは、消費税増税に踏み切った閣議決定の裏話として、「大蔵官僚は増税しても大丈夫と言った。大蔵省に騙された」とお話しされていたとのことです。
しかし、この橋本内閣の政策を皮切りに、日本は以後延々と「構造改革」「財政再建」に明け暮れることになったのです。
確かに橋本龍太郎元総理は、間違いに気づいて財政政策を緊縮から拡大に切り替え、小渕恵三総理もそれに続きましたが、彼らにしても消費税をそのままとし、構造改革の流れも止めることはありませんでした。
日本の長期デフレは、橋本緊縮財政が入口でした。そしてデフレ長期化を決定的にしたのが後の小泉純一郎内閣なのです。