療育のパンフレットを手に
旦那にどう伝えようか。



でも結局遠回しになんて言えなくて
ありのままに話した
話しながらも、涙が止まらなかった




最初は、きっとわたしの考え過ぎだと思っていた旦那。

でも、ソレはどんどんリアルに現実味を帯びてきて、否定できなくなっている。

でも、あの頃、きっとわたしが考えているより全然、息子のことを旦那は信じて疑わなかったんだと思う。




結局
どうなるかは分からないけど
やれることはやろう。


そうなった。



だから療育の面接を受ける前から迷いはなかった。


面接当日
ドキドキしながら
門をくぐった。
もう引き返せない
とも思った。
見た感じ、保育園そのまま。後に知るが、廃園を利用して活動していた。

面接の説明を受けて
「障がい」という言葉は一言も使われず
ただただ、園でどんなことをするのか
発達を促すために支援していきたい旨を伝えられ
実際に通っているお母さん方の話を伺ったり、在園児と交流したり。

お母さん方は、ここにきて良かった。でなければ問題ばかりに直面して孤独だったと話された。
実際に通っている子どもたちは、一見どこも問題がなさそうな子や、明らかに少し定型とは違った様子の子もいた。

ここでわたしが気になっていたことは
ただただ

うちの子は、障がいがあるから、
ここに通うことを勧められたんですか?

ということだけ。





でもそんなこと、誰にも聞けなかった。

そうだと言われても、
信じられなかっただろうし、
そうじゃないと言われても、
信じられなかった、と思う。


でも頭に浮かぶのはただ、
我が子のためになるなら

やれることはやろう。


だから通園を決めた。


※市町村によっては、診断がないと療育に通えないところもあるようですが、わたしが住んでいるところは診断がなくても通えました。

予約したその日
1歳半の息子と産まれたばかりの下の子を連れて
病院に行った。

もう診断が下るのかな。
何ともないかもしれない。
不安でいっぱいだった。

でもその日は検査の用紙に記入しただけで
終わった。


結果が出てもはっきりしなくて
「この時期に伸びる子はたくさんいるからね。」
「今はグレーゾーンとしか言えない」


月に1回はクリニックに通い
その時そのときの様子を伝えて

やっぱり様子見。


発達障がいとも言われず、
でも白でもないと言われる。



この時期も苦しかったー。
どっち?どっちで対応したらいいのーって。
発達障がいなら、そのように対応しなきゃいけない。けど違うなら、なおしていかなきゃいけない。そんな風にその頃は考えていた。


ヤキモキしながら数回通院したのち
先生から、市の保健センターの発達に心配がある子たちが集まって体を動かしたり遊んだりする会があると聞き、行くようになった。

そこではビックリするくらいわたしから
離れなかった息子。
3回で1クールを2回ほど通った最終日
心配な子だけ保健師さんからお話があるという時間があった。


当然呼ばれた。

そしてピンク色のある紙を渡された。

療育の園の紹介のパンフレットだった。


その療育の園の話はママ友から聞いていたから、何かしらの障がいのある子が通っていることは知っていた。





やっぱり
という気持ちと
打ちのめされたどうしようもない気持ちと

とにかく涙を堪えるのに必死だった。




他の子は誰もパンフレットを渡されていない。
うちだけ。




すごく孤独だった。

何かが違う

でも、旦那にはなかなか言えなかった、はっきりとは。

日常の中でちょっとずつ、伝えてきたつもり。
でも返ってきた言葉は
「こどもってこんなものじゃない?」

そんなの、わたしが1番そう思いたい!!
だけど
だけどね。





支援センターに行ったある日

その日は本当にしんどかった。
お友達には手を出し、癇癪もひどく、
挙句、紙芝居の時間に奇声を発して走り回った。

多少じっとしていられない子も数人はいる。
でもレベルが違う。


支援センターの帰り道、涙した日々は
数えきれない。
涙で前が見えなくて、運転もできない、前に進めない。
市が運営している女性相談室にも何度も電話した。
一時は楽になる。でも、一時だけ。


だめだ!自分ではどうにもならない
そう思った帰り道
車の中で「◯◯市」「小児科」「発達障害」
でヒットした病院に電話予約をした。



予約を取ってからも
本当にこれで良いのか
わたしの考え過ぎじゃないか
わたしの育て方がいけないのか
そんなことばかり考えていた。