川崎駅近くのラゾーナ川崎プラザソルという多目的スペースで、山本タクさん作・演出の「風を切れ2019」というお芝居を鑑賞した。

その前に、驚かされたのが、すっかりおしゃれな街に変貌した川崎駅前ラゾーナのにぎわい、発展だった。私は、駅の南側には何度も何度も来て、何度も何度も裁判に負けていたが、こっちにはあまり来たことがなかった。

むかし、川崎市長選で、当時のある現職市長の「川崎も若い女性がひとりで歩けるようになりました。」との実績自慢の迷演説に出くわしたときには、「川崎って、若い女性がひとりで歩けないようなおっかないとこだったのかよ!」と耳を疑ったものだったが、それにしても、たしかに駅前の変わりようには目をみはった。

さいしょ、プラザソルというのがどこにあるかよくわからなかったが、警備員さんに聞いたら親切に教えてくれて、なんとか開場前にたどり着く。

さて、「風を切れ2019」という作品はセーリングをモチーフにした青春群像劇、“マイナー競技”であるセーリングの普及にもひと役かおうという演劇とのことで、日本セーリング連盟も応援している公演なのだった。しかし、セーリングは決してマイナーとは思ってなかったし(もっとも、第1回目のオリンピックから公式競技になっていたとまでは知らなかった!)、「普及」というならもうちょい一般向けの状況設定の方がいいんじゃないか、タイトルから予想されたさわやかさというよりも、なにか、力みというか、重々しさが目立つ、かなり玄人向けの作品。もうちょっと余裕というか、リラックスできる「間」も欲しかったなというのが本音のところで、最終的に声を張り上げるシーンの連続は、見ていてやや疲れた。

ただし、これだけたくさんの役者さんを使って、これだけの力作を織りなした山本タクさんは天才としかいいようがない。それから力演、熱演の当の役者さんたちには、おのずと稽古量の豊富さがうかがえ、ただただ頭が下がった。

また、なんといっても、ヨットのセットを縦横に駆使する舞台美術がすごいと思った。舞台の上で、ヨットをぐるぐる回転させながら、レースを表現していたが、はいつくばるようにセットを押しまわしていた4人の役者さん(?)の体力に驚嘆した(疲れた・・・というのは彼らの奮闘が目に焼き付いたから、というのもある。)。

力感あふれる舞台には、出演した役者さんのファンのみなさんも、さぞや満足したのではなかったか。

やっぱり、テレビとか映画とかとちがって、生の舞台はひとつの「経験」として人生に刻まれる。

そんなことを思わされた「風を切れ2019」であった。

 

 

店の前に出てる、その天丼の見本に私はいつも目を奪われていた。
どんぶりにでっかいエビ天がデデデーンと4本も載ってるのだから。
…今日はじめて、憧れのその店の暖簾をくぐった。
入るなり感心したのは、すでに分煙法にそなえ、はっきりと仕切られた喫煙席のスペースがあることだ。さすが一流店はちがう。私はうなった。
また、天ぷら屋なのに、なぜか食べ放題だというのだ、私の大好きな明太子が!
私は思わずこぶしを握りしめた。
…よし、海老天2本はビールのつまみにして、残りの2本でご飯を半分くらい食べ、残ったご飯は明太子でいただこう! こころゆくまで!!
さてさて4本立て天丼のおでましだ。やけに早いな。…が、おいおい、そこのインドかスリランカからの留学生と見受けるウェイトレスさんよ、ずいぶんちっちゃかないか、この海老天は、見本に比べて。
私は自分の目の方が誤ってるかと思ってメニューの写真と見比べたのだが、やっぱり見本より二回りも三回りもちっちゃい。
しかし、こういうのを錯視、さもなくば、ひがみ根性っていうんだ。文句を言うとしても、まず食ってみてからだろう、じいさん!
…それにしても、やっぱ、天ぷらとか寿司ってのは日本人に運んできてもらいたいもんだな。なんだか彼女が運んでくるとカレーみたいなんだよな、雰囲気が。…あ、それどころか、天ぷら揚げてんのもどうやらアフリカ系の板前じゃないか。天ぷらは天ぷらなんだけど、なんか違和感あるんだよな、昭和生まれの俺としては。…だが、うまけりゃ文句はないんだ。
で、食べてみる。
すると、なかなかじゃねぇか。なんか弱々しくって、でも決して病気のエビじゃない、「わたくしエビちゃんです」みたいな、けなげなとこ、いいじゃないか。それに、みずみずしい、というか、噛むほどにそこはかとなく水道水の味がするじゃないか、バナメイエビの味にまじって。
衣がカリッとしてないのも錦糸町の立ち食い蕎麦屋の「ちくわ天そば」を思い出させ、また歯周病に蝕まれた年老いた歯茎が痛くならなくていい。
それにこのタレの甘さ!
バナメイエビがより高級な甘エビに変身だ。
その甘々しいタレが、しかもどんぶりの底の方にたっぷりたまってて、ご飯がジャブジャブしてんじゃないか。こいつは気に入ったぞ!
だがしかし、これじゃ残ったご飯を明太子でいただくっていう当初のプランは大幅な修正を余儀なくされるな。
どっちにしろスプーンがほしいとこだな!
…だが、気がつけばわたしはすでにこの天丼もどきを完食していた。
実においしかった!
こってりした味、ねっとり弱々しい4匹のエビたち、そして甘くておいしいシャブシャブのご飯。
…今気づいた。そうか、明太子はこの甘飯にきっと合うんだな、と。もったいないことをした、せっかく食べ放題だったのに。
が、いずれにせよ最後のこの満腹感というか膨満感。…いや、もしかしたら、今はもう二度と食べたくないという気持ちの方が強いかもしれない、どっちかといえば。が、明日の今頃、腹が減ってきたら絶対もう一度食べたくなるんだ、こういう天丼は!
わたしはインド人かスリランカ人のようなウェイトレスに勘定をすませ(見本は最低でも3000円くらいに見える立派さだったが、実はたったの1050円なのだ!)、家路についた。次は、田舎の両親をぜひ連れてきてやろう、人生最後の親孝行として…と思いながら!
最近、ひきこもりの人に対する風当たりが強い。
というより、そもそもが「ひきこもり」という言葉自体に、かなり否定的な響きがある。
しかし何をかくそう、実は、私自身、ひきこもりの一人であることを、ここに告白せねばならない。
私は、子供のころから外で遊んだりするのが苦手で、家の中でひとりで昆虫図鑑とか見てるのが好きだった。
その後、年食ってからも、他人との付き合いとか、チームワークとか、どうしても馴染めないまま。いい年して人見知りであった。
飲み会とか、同窓会とか、ほんとに苦手で、引っ込み思案な毎日。孤独でいると、むしろ心が安らぐのだった。
たしかに旅行とかはきらいじゃなかったが、いつも一人旅を好んだ。
そんな私だから、予備校とか模試とかにも行けず、まさにひきこもりの独習生活を何年も何年も送った(近所の人は爆弾の設計でもしてんのかと、怪しんでたかもしれない!)。あげく、運よく司法試験に受かり、弁護士の端くれになれた。
しかし、そうやって対人関係を閉ざし、いつまでもひきこもりを続けていたら、食べていけないことがわかった。
8050問題と言うんだそうだが、私の両親にいつまでも世話になれない、という、いっぱしの見栄だけはあった。
…で、毎日ほんとにつらくてつらくて仕方ないが、ひきこもりでないふりをしながら、こんな私が今日も人様の相談に乗ったり、裁判所で相手方と対峙したりしている。いや、そうせざるを得ないのである。
そして、そうしてるうちに、自分がもうひきこもりを卒業したような気にもなるのである!
ただ、今回複数の事件が契機になった「ひきこもり論」を聞きながら、自分の胸に手を当ててみると、改めてホントに思い当たることばかりなのである!
しかし、ひきこもりイコール悪でないことだけは、そんな私でも強調しておきたい。
本当のひきこもりはわざわざ外に出て、乱暴な事件を起こしたりしないと思う。
私だって、ひきこもってたあの頃は、ほとんど人に迷惑をかけたことがなかった。
むしろ、ひきこもりでないふりして人様の前に無理にしゃしゃり出ている今の方が、とんだミス、失態、敗訴の連続で人様にご迷惑ばかりおかけしている。
本来はひきこもりはひきこもってた方がいいのかもしれないのだ。
…が、同時に――自分ではみなわかってるのだが――ひきこもりはたしかにあまり健康的とはいえない。
外に出て、外の風にあたり、お日様を浴びる。いろんな人とつきあい、いろんな意見を聞く。…その方が健康的であり、精神衛生上もすぐれているだろう。
わかってる。
でもそれができない人もいる。
それでいて、本当はこの私だって「あなたはひきこもりなんかじゃないよ!」…そう言ってもらいたい。そういうものなのだ!
いずれにせよ、ひきこもりを理解して、とは言わない。短絡的な偏見をもたないでいただきたい。また、危険視しないでいただきたいと思う。