Iggy Pop  -ただ名前だけが残った | 100nights+ & music

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2020年の1年間に好きな音楽を100回紹介していました。
追記)2023年になっても見てくれる人がいて驚きました、感謝を込めて?気が向いた時にときどきまた書こうかと思います、よろしく!

 

ウィザードになったイグアナ

 

 イギー・ポップを初めて知ったのは、1979年に出たシーナ・アンド・ロケットのメジャー・デビューアルバムだった。

 そこに入っていた“オマエガホシイ”という曲がザ・ストゥージズの“1970 (I Feel Alright)”で、その時にはイギー・ポップだとは分からなかった。

 そのずっと後になってから聞いたストゥージズの“1970 (I Feel Alright)”は、シンプルなギターリフと繰り返す「I Feel Alright」という単純な歌詞が最高だったし、フリーキーなサックスはシーナ・アンド・ロケットにはない要素だった。(でもギターは鮎川誠の方が良いと思う)

 

1970 (I Feel Alright)

 

 イギー・ポップをはっきり意識したのは、ザ・ルースターズのライブ・ヴィデオ「パラノイアック・ライブ」に入っていたカバー、“トゥナイト”だった。当時の大江慎也のどこか儚い感じが、この曲にピッタリだった。

 

 1983年のイギーの初来日コンサートのオープニングアクトは、ルースターズだった。

 コンサートを見ることはできなかったが、豹変した復帰直後の大江慎也とイギー・ポップが同じ舞台に出たことに何かの歴史みたいなものを感じる。

  “トゥナイト”はデビッド・ボウイとイギー・ポップの共作で、恐らくドラッグで死にゆく女性に「今夜はすべてが上手くいくぜ」と語りかける歌詞がついている。

 

今夜はすべてが上手くいくぜ

今夜はすべてが上手くいくぜ

誰も動かない 誰も話さない

誰も考えない 誰も歩いていない

今夜は

 

俺は最後まで彼女を愛している

俺は死ぬまで彼女を愛し続けるだろう

俺は空で彼女を見ることになるだろう

今夜は

 

Tonight

 

 デビッド・ボウイの「ロウ」と「“ヒーローズ”」が好きだったから、同じ時期にベルリンで録音された「イディオット」と「ラスト・フォー・ライフ」を遡って同時に買った。そしてもちろんイギー・ポップのことをすぐ気に入った。

 

 その時の最新アルバムだった1982年の「ゾンビ―・バード・ハウス」も同時期に手に入れた。

 デビッド・ボウイがプロデュースした前の2枚とは違ってパンクっぽい感じのラフなアルバムだったが、チープで少しバカバカしい感じのするところが面白かった。

 

 当時の映像をいま見て思ったのだが、これって江頭2:50と同じセンスじゃないか。

 見かけもそうだけどデフォルメされた乱暴さと隠し切れないデリケートさ、エンターテイナーとしての打ち出し方と、それらすべてをとても大切で下らないと同時に思っているような感じ。

 江頭2:50は芸能人にまったく関心のない自分が、ずっと好きな数少ない芸人だ(あと飯島愛も好きだったな)。

 

 “ラン・ライク・ヴィライン(悪党みたいに走れ)”は、江頭が出てくる時の音楽ともそっくりだ。

 

Run Like A Villain

 

 イギー・ポップには、乱暴で自己破壊的な部分と思慮深くて内省的な部分が同居している。

 若い頃はそれがドラッグ中毒と破滅的な言動に結びついてしまったようだが、年を経るにつれ自分なりにコントロールできるようになった。(ただときどき、それもぶち壊したくなるようだ)

 

 2016年に出た「ポスト・ポップ・ディプレクション」は、とても良いアルバムだ。

 ベルリンで作成した2枚を意識したようだが、現在の視点でそれらを消化していてまったく過去の焼き直しになっていない。

 

 いまのイギー・ポップの見かけは、まるでロード・オブ・リングに出てくる年寄りの魔法使いのようだ。

 「地べたを這いまわる知性と狂気を持つ爬虫類が、年を取って十分な知識と思慮を持ちながらそれをぶっ飛ばして戦う乱暴な魔法使いになった」みたいな感じ。

 ジム・モリソンが好きだったイギー・ポップは、何十年かかけて自分なりのウィザード・キングになったのかもしれない。

 

純粋さ

その姿を理解することはとても難しい

俺は知らない

 

アメリカのヴァルハラはどこにあるんだ

死は飲み込むことが難しい錠剤

そこに誰かいるのか?

俺の友人を連れて行ってもいいか?

俺はすべてを持っている男じゃない

俺には何もない

ただ名前を持っているだけだ

 

American Valhalla