不幸なまま、幸せにたどりつく
フランスの歌手の中で、セルジュ・ゲインズブールはとても変わった存在に見える。
ロシア革命から逃れてきたユダヤ系ロシア人の息子として生まれ、子どもの頃にナチスのユダヤ人狩りから逃れた一人でもあった。
曲やインタビューから、内向的で攻撃的、繊細で乱暴、やさしくて冷酷、愛情と空虚さといった2つの側面が極端な人のように感じる。
「私はすべてに成功したが、人生に失敗した」とか、「シニカルな仮面を付けたら、それが取れなくなった」とか、言葉の使い方もとてもうまい。
歌詞は、フランス語が分からないと理解できないダブルミーニングがやたらに多いらしい。
そういえば、最初にセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを高く評価したのは彼だった。「シドの素晴らしさは、俺にしか分からないよ」と言っていた記事を見たことがある。
1961年の “プレヴェールに捧ぐ” という曲は、有名なシャンソンの「枯葉」という曲のオマージュで、「失った恋愛をずっと忘れ続ける」という内容を持つ繊細な曲。
冷やかで内向的な感じのする目を持つ、まだ若い彼はとても傲慢でとても不安で、そしてとてもシャイなんだろうと思う。
La chanson de Prévert
セルジュ・ゲインズブールは、自分よりも女性のために書く方に良い曲が多い。
とくに有名なものに、付き合っていたフランス最大の女優の一人ブリジッド・バルドーのために書いた曲がある。
1967年、ブリジッド・バルドーに「私のために世界で一番美しい曲を書いて」と言われて一晩でつくった2曲 “ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ” と ”ボニー・アンド・クライド” は確かに美しい。
前者は、きれいなメロディにセックスそのままのバルドーの声と、「愛しているわ」「俺もそうじゃないよ」という歌詞がついている。
後者はアメリカの有名な犯罪者カップルのボニーとクライドという孤独な二人の人殺しが、犯罪だらけの逃避ランデブーの果てに警官に撃ち殺される曲。そもそもゲインズブールとバルドーは不倫関係だった。
Bonnie and Clyde
彼の音楽のスタイルは最初期のデリケートさから、わざと繊細さを壊すような感じで、フレンチポップ、ロック、レゲエのように意識的に変わっていった。
ロリータ、スカトロ、ナチス、変態っぽいセックスなどを曲の題材にしたり、国歌のラ・マルセイユーズをジャマイカでレゲエ風に録音して大問題になったり、一般常識からはぶっ飛んだテーマをよく取り上げる。
それらをポップスのフォーマットで露悪趣味的に表現していたので、フランスでもキワモノ扱いされていたんじゃないだろうか。
まあ、マルキ・ド・サドやボードレールなんかがいたので、フランス人は慣れているのかもしれないが。
娘のシャルロット・ゲンズブールとの近親相姦を匂わせるデュエット、“レモン・インセスト” も酷い悪趣味だと大顰蹙を買ったが、娘のことは本当に可愛がっていた。
Lemon Incest
彼は1991年に62歳で死んだ。心臓が弱っているから止めろと言われても煙草を手放さずに「自分の棺桶に、こうやって一本ずつ釘を打っているんだ」、と話したという記事を見たことがある。多分本当に言ったんだろう。
セルジュ・ゲインズブールは、幸せな気持ちになることが一瞬しかできなくて、上手くいっているときも空虚な気持ちから逃れることのできないタイプのようだ。
そういう人間が何人かの素晴らしい女性と恋愛をすることができ、音楽を作り続け他人と共有することができたんだから、これ以上人生に何を求めることができるんだ? と思う。
1984年にアメリカ人のミュージシャンと一緒に出したファンキーなアルバム「ラブ・オン・ザ・ビート」の次の年に、それまでの集大成のようなコンサートを行った。
アンコールは昔の “ジャバネーズ”という曲だった。悪い目つきでぶつぶつ歌うセルジュ・ゲインズブールと、メロディーをちゃんと歌う観客がなかなかいい。
※youtubeで消えていたので別の曲を聞いてみてください。
「ヘイ、ジョニー・ジェーン。ゲインズブールの映画を覚えてるか?」2022.07.29
Ballade De Johnny Jane
※その後また見つけたので、最後に付けておきます 2023.07.18
La Javanaise