Jacques Brel -フランス最大のヒーロー | 100nights+ & music

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2020年の1年間に好きな音楽を100回紹介していました。
追記)2023年になっても見てくれる人がいて驚きました、感謝を込めて?気が向いた時にときどきまた書こうかと思います、よろしく!

 

ジャック・ブレル  情熱と静寂

 

 新星堂というレコード会社に、「オーガマトキ」という変わったレーベルがあった。 「まだ聞いたことのない音楽」をいつも探していた20代の頃に、そこから出ていたベルギー生まれのジャック・ブレルのCDを買った。

 家に帰って訳詞を見ながらCDを聞いていて、「もしかして、これはすごく良くないか?」と気がついた。

 

 「シャンソン」と言われている音楽には、変な歌い方をしていて権威主義っぽい感じの、かなり悪い印象を持っていたのだが、何人かは本当に凄いと思うようになった。

(ジョン・ライドンやあぶらだこを聞いている奴に、変な歌い方なんて言われたくないとは思うけど)

 中でも、ジャック・ブレル、ジョルジュ・ブラッサンス、セルジュ・ゲインスブールは特に気に入った。

 

 ジャック・ブレルは、1978年に49才で死んだフランスのスーパースター。初期のデビッド・ボウイが影響を受けて、ジギー・スターダストのツアーで“My Death”という暗い曲を歌っていたし、ソフト・セルにいたマーク・アーモンドはカバーアルバムを出している。

 

 デビッド・ボウイもカバーした“Amsterdam”は、アムステルダムの港での、酒を浴びるように飲む船乗りと娼婦の歌で、ぬるいパンクロックの100倍のエネルギーと激しい感情がこもっている。

 この曲にはスタジオ録音がない。ライブで初めて演奏した年のライブ録音が正式な音源として残されている。まったく道徳的でも上品でもない歌詞のこの曲と、そのパフォーマンスは、これ以上はない最高の音楽のひとつだと思う。

 

Amsterdam


 

 ジャック・ブレルは、英米だと例えばジョン・レノンやマービン・ゲイのような、その文化圏での最大の影響力を持つミュージシャンの一人で、とてもドラマチックな人生を送った。

 

 彼はフランスのスーパースターだが、実際はベルギーで生まれた。平坦な自分の生まれた土地のことを歌った「平野の国」という曲がとても好きだった。

 厳しい自然と地の果てのような海、濃霧と風、唯一の山並みのようなカテドラル、低くて灰色の空、7月の温かい風とその歌声、ジャック・ブレルの育った平野の国。

 

Le plat pays

 

 ジャック・ブレルは、最も売れていた1968年にステージから引退し、1973年にはポリネシアに移住してしまう。

 そして自分の病気が深刻であることが分かった1977年にパリに戻り、久しぶりのレコーディングを行い、完成したらすぐに発表して1978年に亡くなった。

 

 亡くなる直前に出したアルバムのB面最後に、“Voir un ami pleurer (泣く友を見る)”という曲が入っている。これも昔からずっと好きな曲だ。

 ピアノをバックにした静かな曲調のなか、「アイルランドには戦争がある」、「アメリカはもう存在しない」、「みんな花を踏んで歩いている」などの歌詞に続いて、「だけど、泣く友達を見てみろよ」と歌っている。

 

 Voir un ami pleurer (泣く友を見る)

 

 ベルギーで生まれてパリで死んだ彼の墓は、タヒチのマルキーズ諸島にある。すぐ近くには、同じように晩年になってマルキーズ諸島に移り住んだポール・ゴーギャンの墓もあるという。

 人生の終盤にタヒチに住むのはどんな気分なんだろう、自分の年齢もいつの間にか彼が亡くなった年齢を超えてしまった。

 

セルジュ・ゲインズブール フランスのトリックスター

ジョルジュ・ブラッサンス フランスの国民的アウトサイダー