遠藤ミチロウ - 激しさと静けさと暗い情熱 | 100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を100回紹介していました。
追記)2023年になっても見てくれる人がいて驚きました、感謝を込めて?気が向いた時にときどきまた書こうかと思います、よろしく!

 

遠藤ミチロウ ザ・スターリン

 

 2019年4月に亡くなった遠藤ミチロウは、いろいろな顔を持っているようにも見えるし、ずっと変わることがなかったようにも思える。

 

 かつての日本のロック好きの人がまず思い出すのは、悪名高いバンド「ザ・スターリン」だろう。

 ダーティだが妙にポップなところもあるパンクロック、サイケデリックで暗い音、文学的な歌詞、露悪趣味で強い緊張感のあるパフォーマンスは、10代だった頃の自分にとって、近づくと危ない感じと惹かれる感じの両面があった。

 

 ザ・スターリンのレコードは買っていたが、ライブのひどく暴力的な感じも怖かったし、臓物などを投げられるのも嫌だったので結局ライブに行くことがなかった。

 しかし解散時のライブアルバム「For Never」がとても素晴らしく、行かなかったことを後悔した。

 

 メジャーからの2枚目「虫」の最初に入っていて、アルバムで最も聴きやすい曲、「水銀」。

 

水銀

 

「天ぷら」のライブがyoutubeから消えていたので代わりに。

 

下水道のペテン師

 

 ザ・スターリン解散後は、いろいろなバンドを結成しては壊し、実は良い曲が多い「ザ」のないスターリン、パンクバンド、サイケデリックバンドなどで、休むことなく活動を続けてきた。

 

 1984年に出たカセットブック「ベトナム伝説」に入っている名曲“お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました”で驚かせたように、ミチロウはフォークギターでも独特の音楽をつくる。

 いつの間にかミチロウはフォークギターを抱えて日本中で演奏することと、時折気ままに結成する複数のバンドでの活動が中心になっていた。

 

 2011年の東日本大震災はミチロウの方向を大きく変えた。顧みることのなかった故郷「フクシマ」に目を向け、そこでの活動を始めた。

 ミチロウが震災前から撮り始めていた映画では、ミチロウの素晴らしさが音楽込みでよく分かる。手に入れることができるので、この映画はぜひ見て欲しい。

 

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』予告編

 

 その後の多忙な演奏活動の中でミチロウは病に倒れるが、何と今度は「音頭」を始めた。

 “Stop Jap音頭”には、またまた笑わせてもらったが、しかしそれは被災地の年寄りにも音が届くようにという理由だった。

 

Stop Jap音頭

 

 ミチロウは、亡くなる約半年前までライブ活動を続けていた。

 普段はとても礼儀正しく、アルコールは飲まず、日本中を2本のギターを抱えて廻るワーカホリック気味のミチロウは、その一方で誰よりも過激で冷たく激しい音楽を、執拗なまでに挑発的に演奏してきた。

 

 ボブ・ディランの曲に詩をつけた“天国の扉”は、遠藤ミチロウの作った最高の音楽の一つだ。こんなふうに歌うことのできる人は、彼以外にいない。

 

おれは天国の扉を叩き壊す

叩き割っても叩き割っても壊れない 天国の扉を

原爆のような痛みが 何度も何度も襲ってくるのか

人間なんて ただただ生きてるだけだと

思いながら 明日のことばかり考えて

ズボンのポケットの下で 

百円玉をガチガチガチガチ鳴らしてる

いっそ ゴミ箱の中でセックスをしよう

死んだやつらが手を取って踊るよ

 

天国の扉 2012年3月11日