アストル・ピアソラ ブエノスアイレスとニューヨーク
アルゼンチンのバンドネオン奏者で作曲家のアストル・ピアソラを知ったのは、1980年代の終わり頃だった。
アルゼンチン・タンゴというと、男女が特有のリズムに合わせて踊る、むかし流行ったダンス音楽という印象を持っていたが、ニューヨーク・アンダーグランド色が強いキップ・ハンラハンがプロデュースしたアルバムは、「革新的なミュージシャンが創る現代的で尖った音楽」という感じだった。
1986年リリースの「タンゴ・ゼロアワー」はすごかった。バンドネオン、ピアノ、ヴァイオリン、エレキギター、ベースの五重奏で、不協和音とメロディアスなパートが続けざまに出てくる。
ジャズでも、クラシックでも、タンゴでもない。リラックスできず、踊ることもできず、緊張感が途切れない、とても激しくて完成度とオリジナリティの高い音楽。
そういえば同じアルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品にも、どこか似た熱情と混乱、秩序と緊張感があるような気がする。
「タンゴ・ゼロアワー」は、酒場かストリートのような所の人々の声から始まる。1曲目の“Tanguedia III”も、静寂が入ってはまた再開される不思議な雰囲気を持った曲だ。
Tanguedia III
クラシックが好きだった母親に、テレビで放映されたアストル・ピアソラのコンサート映像を正月に見せられたのは、ピアソラが亡くなった後だったと思う。
尖った音楽というよりも、もっと人間味があるコンサートだったような印象が残っている。
その時に気に入った曲を、いつの間にか「タンゴ・ゼロアワー」よりよく聞くようになっていた。
「ブエノスアイレスの四季」という組曲で、ビバルディの「四季」のようにブエノスアイレスの季節に沿って曲が変わっていく。
「ブエノスアイレスの夏」は1965年、秋、冬、春は1969年に発表されているので、「タンゴ・ゼロアワー」の20年前の作品になる。
(南半球は、夏・秋・冬・春の順になると聞いたけど本当かな)。
“ブエノスアイレスの冬”が、特に好きになった。
マイナーな曲調の演奏が続くなかで、少しずつ冬が終わって春が近づいてくるような美しい旋律に変化していき、そして一番最後のピアノの穏やかなパートは、バッハやパッヘルベルのようなバロック音楽を思わせる。
Invierno Porteño(ブエノスアイレスの冬)
後になって、本国のアルゼンチンや日本のタンゴファンには「ピアソラはタンゴじゃない」ととても評判が悪かったと聞いて、「まあそうだろうな」と思った。
どこにもそのフォーマットへの尊敬を残したまま、古い人たちを置いてきぼりにして新しい扉を開けていく人がいる。
他のミュージシャンが演奏するピアソラの音楽も時々どこかで聞くが、ピアソラの曲は自身の演奏以外ではあまり積極的に聞く気にならない。
その違いは、クールな熱情を持ちながら、どこかで自由で破綻しかかっているような演奏にある気がする。ぼくが音楽に求めているのは、そのようなものなんだろう。