”旧車について”〜チンクエチェント物語より編集・再掲〜 | Memory and Experience ~Cinquecento syndrome~

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○○○ 71' FIAT500との生活○○○
MEXが綴る旧FIAT500との悲喜こもごもな日々

このブログは元々、2002年に”チンクエチェント物語”と称して車好きな友人達へ送った、トラブルネタ報告メールマガジンが始まりでした。

壊れた交換したという内容が多いことから、旧車の事をあまり知らない方々には、”旧車とは古くてトラブルの多い、ただの劣ったもの”などと思われるかもしれません。

そこで車の文化云々は置いておいて、ザックリとですが”そもそも旧車ってどんなもの?”というお話しとして、ここで再度ブログを補足しておこうと思います。

 

 

 

ということで、”チンクエチェント物語”や、”チンクエチェント物語 リタ~ンズ”の『あとがき』の他でも時々触れていますが、ブログのあちこちに埋もれてしまっているので、あえて再掲載する今回は

 

”旧車について”

〜チンクエチェント物語より

編集・再掲〜

でございます。

 

*このブログを見にいらっしゃる旧車を知らない人や、旧車初心者の人に向けてのお話しなので、猛者の皆様はスルーしてくださいww。

 

 

 

購入した現代車に何年乗り続けますか?

ライフスタイルの変化などの要因を除けば、5年、 7年、9年、11年?そんな車検の時期が買い替え時ということも多いでしょう。

今の時代、特に日本車に於いては”壊れない”ことが当たり前と感じるようになりましたが、当然のことながら全く壊れない訳ではありません。

技術力や部品精度の向上により、材質もローコストで均質で良い物を作れるようになったこともあり、自動車は安定した性能を維持しつつ長期間壊れにくいものとなりましたが、機械部品である以上どんな物でも摩耗し、すり減っていくのは当然であって、そうならないものなどこの世にありません。

これは現代の日本車でも例外ではなく、消耗部品ですから仕方ありません。

従って、予め悪くなりそうな部位を特定し、部品を修理・交換していく。

これが通常は車の定期検診である、車検のタイミングですよね。

車検時のチェックリストを見ればわかるとおり、とても多くの場所や部品がチェックされ、交換されている部品もあったりします。

元々良くできている上にそのおかげもあって、過去に両親が乗っていた車を思い起こしても、通常は7〜8年くらいではそうそう不具合は出ません。

あくまで一般論で乗り方や走行距離等にもよりますが、大抵新車から10年目を越えた辺りから故障とまで行かなくても、経年劣化による修理・交換が必要な箇所が徐々に出て来ることが多いようです。

そうなると維持費も今までより掛かることもあって、特別に思い入れがある車でない限り、

「次の車検の時にでも買い替えようか。」

となるのではないでしょうか。

つまり、大きな不具合や故障が出る前に買い替える事になります。

そういう意味で”壊れにくい→壊れない”と言ってもおかしくはないでしょうし、私も日本車は壊れないと感じています。

 

不具合が出る前に買い替えることが良いとか悪いとかを問うつもりは全くありません。

同じ車に長く乗ることを勧めているわけでもありません。

時代と共により快適性・安全性を増していくのが普通であり、所有者が負うリスクも減ります。

なのでリースで車を持つという手もあります。

購入する人それぞれが好きなようにするのが一番です。

4〜5年経った中古車を購入した場合や、10年程度経った車でも整備工場でちゃんと再整備された車を購入したともなれば、ほとんどの不具合も一旦解消されてまだまだ乗れますしね。

 

 

 

9年目でも

消耗品であるワイパーブレード、タイヤ、

オイル類、エアコンフィルター、

ブレーキパッド、バッテリーの交換以外は

故障ひとつない親の2015年製PASSO。

本当に優秀よね^^。

 

 

 

では、いわゆる旧車どうなのか。

自動車は、『走る・曲がる・止まるの基本動作が間違いなく行なえるか。』ということを、自動車メーカーが幾度も厳しいテストを繰り返し確認し、そして責任を持って世に送り出されています。

それは当時のFIAT 500であっても例外ではありません。

ただし、その基準は当時のものです。

機械部品や素材に関しても全く同じで、単純に”作られた時代が違う”のです。

少し乱暴な言い方ですがほぼこの一点に尽きるのでしょう。

ここに覚悟が必要になります。

 

当時の素材・精度・組立て・防錆技術などの多くは今の時代に及ぶべくもありません。

今ではもう使われなくなったものも多いため、摩耗・経年劣化などによるメンテナンスや部品交換頻度が高くなるのは当然のことです。

そのため、当時街には”駆け込み寺”たる自動車修理工場も街中に多くあり、ドライバー自身で行う点検項目も多くありました。

昔は道端でドライバーがちょっとした修理をする光景もさほど特別な事ではなかったのです。

旧車に限らず古い機械とはそのような時代のものであるという、ただそれだけのことです。

 

必要な点検・メンテナンスを怠らず、修理・補修さえ定期的に行なえば機械は安定して仕事をします。

また、多少の不便さはあってもシンプルな構造であるほど修理もしやすく、長く使い続けることができるというのは機械の特徴でもあり、それは現在も過去も変わりません。
そうして旧車は時代を超えて使われ続け、今も尚そこに有るのです。

 

現代車に乗っている人で、ライトやウインカーが点灯するか、オイルは減っていないか等、そんな運行前点検をする人は果たしてどれだけ居るでしょうか。

まぁ一部の車好きさんくらいしか居ませんよね。

大抵の事は車が警告灯等で教えてくれるし、接触不良などという初歩的な不良も先ずありません。

ランプ類もLEDが増えて球切れのリスクも減りました。

走り始めれば車内はとても静かで、ドライバーが走行中のエンジンやギアボックスなどのメカニカルノイズを気にする必要もそうそうありません。

せいぜいオイルの劣化やタイヤの空気圧、バッテリーの寿命にさえ気を付けていれば必要にして充分です。

つまりそれは車の機構や整備方法等を知らなくても運転できるということで、これはまさに自動車業界が古くより目指していた、”誰にでも乗ることができる、便利で快適な自動車”を作ることができる時代となった事を意味します。

先に触れたように車両に関してドライバーが負うリスクは減り、リコール制度などで大半をメーカーが負うようにもなりました。

よって、今時の車は性能維持のためにドライバー自身が手を出すような事はほぼ無くなったとも言えるでしょう。

(電子制御だらけになってしまって、うかつに手を出せなくなったとも言えそうですが。)

”知らなくても”と先に書きましたが、知る必要もなくなったのですね。

 

しかし、FIAT500などの旧車は作られた時代が違うことから、ドライバーには不具合の早期察知が求められます。

如何にフルレストアされた個体であったとしても、50年以上前の技術で作られていることには変わりはないので同じです。

特にタイヤの空気圧、ライト類、ブレーキオイルの量などの運行前点検などは必須項目です。

「昨日までライトが点灯していたのに今朝は点灯しない。」

とかは、そもそも特別な事ではありません。

そこにはちゃんと理由があり、大抵は振動や劣化が原因の接触不良か球切れです。

また、聞きなれない異音による不具合の有無の判断や、部品精度や作り方に伴うオイルの滲み等も、いつもと変わりないか観察が必要です。

原因究明や整備にはある程度の知識や技量、経験も必要となりますが、たとえ自身で整備ができなくても、”元々そういう時代の物である”ことさえ理解・注意して、早めに気付くことで、ちゃんとショップさんに修理依頼をすればそれでいいのです。

もちろん今の車よりは手間が掛かりますが、それは”そういうもの”なので、それをわかってさえいれば周囲が思うほどの手間ではありません。

 

 

 

2016年4月

作りの悪いテールランプASSYを

加工中の写真。

 

 

 

2000年頃からの出来事を”チンクエチェント物語”として2014年にアメブロに再掲して以降、今日までの出来事は主治医による教育や、先達のありがたいアドバイスの下でそうした知識や経験を積んでいく過程を綴ったものです。

もちろん最初はメカニズムなど全然わからず、判断もトンチンカンだったことから、チンクエチェント物語を書いた当時のいわゆる”ダメ出し期間”におけるトラブルは、当人の無知とメンテナンス不足によるものが殆どなので、特に車が悪い訳ではないのです。(インチキで燃えたイタリア人の配線や、不良品でオイルピューになった油圧警告灯スイッチ以外はw。)

 

それらを経て2024年現在では目視や音、或は動作確認で、多少の判断はできるようにもなり、ある程度の自己点検・整備を行なえるようにもなりました。

それでも起こるトラブルや、未だに自分ではできない事や、手出しすべきではない部分に関してはショップさんへ行けばプロの目で即座に診断してもらえるので、状況に応じて微妙な調整をして貰ったり、古くなって寿命を全うした部品を取り替えて貰ったりしています。

 

そんなこんなで26年目の現在も乗り続ける事ができていますが、自身でメンテナンスができない人は最初は全てショップさん任せで良く、徐々に経験値を養っていけば良いのです。

要はそういう手間と、”今とは違う時代の物”だという認識を持ち、そうまでして維持をしていく。

飾り物ではなく、日常の、現役の道具として旧車に乗るということはそういう事なのです。

 
 
 
2004年1月
雪の嬬恋村。
標高1200m付近にて。
 
*毎年のように冬にも通っていたら、
当然だけどフロアに穴が空いたww。
 
 
 
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”旧車について”

〜チンクエチェント物語より編集・再掲〜

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